先日、10年分のブログを整理してみて、公表してはいるけれど、これは、自分のログであり、思考する道具、思考した記録であって、10年分をまとめて眺めてみて、繰り返し同じテーマをかくことは、良いことであって、繰り返して書くことで先に進んでいることがわかる。だから、繰り返しは厭わない。また、ある程度連続して、内容にも関連性をもたせてあとでくくれるように書いた方が良いとも考えた。 今は、ダイビングフェアで様々な、起きたことやったこと、考えたことをくくって書いている。 本当に久しぶりで小久保に会った。彼は、スポーツ指導者の講習を受けないと資格が切れてしまうということで、フェアで行われた講習を聴きにきたのだが、そのあとで、で自分が、池袋のカルチャーセンターで講演をするとかで、それが終わるまで、村上コレクションで待ち合わせた。僕は、そのことを忘れかけて、スージーらみんなに挨拶をして帰りかけて、はっと気が付き。このまま帰ってしまおうかとも思ったが、GWには彼と海に行きたい。その打ち合わせをしなければと、会場に戻って待った。 彼が来てから、会場のシーラカンスのビデオを一緒にみた。これは、昨年、2015年のマリンダイビングフェアにもきたローレン・パレスタが水深120mで撮影したものだ。シーラカンスは、僕も追っていた時代があり、村上くんとの商売以外でのお付き合いは、シーラカンスがきっかけだった。昨年だったか一昨年だったか、村上くんは、シーラカンスの絵を彼のダイブビズショウの出展に飾り付けて、日本人のシーラカンス探検隊をやりたいのだという。日本人のシーラカンス探検隊だったら、僕も関わったことがあると言って、自分の資料も貸した。貸した資料は戻って来ないで、今回の展示にも使われている。僕も水中撮影でシーラカンスを撮ろうとしたのだが、結局、当時のダイビング機材と技術では、生息している深さまでは潜れなかった。今回の村上くんの展示は、シーラカンスが芯になっていて、ローレンパティスタのビデオが表、僕がの水中撮影監督として、加わったビデオがその裏で展示されている。表というのは入り口に面していて、柱の裏側だ。僕は、現地に出発する寸前に現地コモロの政治情勢がわるくなり、出発できなかったので、僕は名目だけの水中監督であり、映写しているビデオは、予備調査の撮影分だ。予備調査に加わったのは、現在スガ・マリンメカニックの社長をしている田沼くんであった。 撮影禁止などと書いてあるが、僕の資料を無断でつかっているし、この魚拓も、スガ・マリンメカニックの事務所の冷凍庫に置いてあったものからとったのだとも思われるので、良いだろう。 ローレンは、テクニカルダイビングの技術で120mに潜って撮影することができた。テクニカルダイビングができた効用の、軍事的な目的を別として、役に立った数少ない例だろう。駿河湾にもシーラカンスが居てもおかしくはないし、そういう噂もある。TDIの展示に来ていた田原くんは村上くんの同級生だとかいうから、駿河湾のシーラカンスの撮影ができるかもしれない。夢を見るということは良いことだ。 この11日にJAUSのワークショップでやる、久保くんの水中スクーターをこのシーラカンス撮影で多用している。 シーラカンスだけではなくて、じっくり見ると潜水技術についてよく理解できる記録であった。僕のハイブリッドもこんな撮影ができると良いのだが、スポンサーも無いし、難航している。 小久保君は理論天文学の東大教授であり、最年少で教授になった。僕としては一番近しいダイビングの弟子であり、沖縄の大型浮き漁礁調査とか、ポートリンカンの頬白鮫撮影とか、連れ回して、東大の海洋調査探検部の指導を任せている。探検部はその発足以来、僕がコーチをしていて、その時期に小久保くんを教えた。探検部ともご無沙汰してしまっているので、ハイブリッドのテストを本郷の東大プールでやりたいこと、毎年やってきた、ゴールデンウイークのツアーを昨年は、小久保が参加せずに、緑ちゃんと波左間のマンボウランドに潜っただけという惨めな結果だったから今年は、小久保も来るようにして、毎年のように行っていた赤沢にしようと打ち合わせた。 自分も今日があって明日がない、そんなことを40代から言っているが、さすがに80代になると真実味を帯びてくる。何時も一期一会だ。 僕の80mは、10月を予定している話もした。10月はもうすぐそこ、明日なのだ。 いろいろなことをやりすぎているが、命のあるうちに、と思うとそれぞれ、切り捨てられない。
↧