今日(4月2日)のダイビングフェア、お世話になっている河合先生が講演するので、聞くつもりで、でた。例によって時間間違えで、遅刻してしまったら、満員で入れない。満員ならば、人数になる必要もないと中には入らなかった。その後、食事をしながら、ゆっくりお話し出来た。カメラマン関係では鍵井くんと握手することが出来たし、マリンダイビングの北川君は向こうから声を掛けてくれた。どちらかと言うと、シャイなので、声を掛けてもらえないと、話ができない。フェイスブックとかがあるから、何をやっているのか、お互いに見えてしまっている。親愛の形を伝えることができれば、それで良いのだ。あと、このごろチュークの沈没船で活躍している古見くんにあっていない。トラックの沈船は亡き吉村の舞台で、全部の沈船を二人で潜った。今度は、一度、古見くんと一緒に行きたいなと思っている。思っているだけで終わると思うが、とにかく思っている。伝えたい事もある。 今日はかなり満員で、PADIビレッジでは、人をかき分けて歩くのが大変だった。この業界の右肩は上がっているのか下がっているのか。その内側にいる人は、いつでも難儀だから、良いようには言わない。僕は調度良いスタンスの局外者だから、冷静に判断することができるかもしれない。自分の潜水のスタイルでの頂点は、1970年代で、1980年にPADIジャパンができて、リセットされた。C-カードの統計は、1980年あたりを基点(0に)している。それから、そのスタイルでのピークは何時だったかは、立ち位置によって異なるが、1995年頃から、下り坂に入り、以後、ゆるやかな下り坂が続いているというのが僕の視点からの観察結果だ。その下り坂の中で、ダイビングフェスティバルは、終末を迎え、規模を縮小してダイブビズショウになって、今年ぐらいで、落ち着いて来たように見える。マリンダイビングフェアはあまり陰りを見せずに盛況を続けてきている。ダイビング器材メーカーが後退して、ダイビングショップ、国内外のダイビングリゾートのフェアになっている。ダイビングリゾートは、海外が勢いを失っているように見える。別に書こうとおもっているが、全般的に、この業界、変換期に来ているように感じる。しかし、このマリンダイビングフェアは、まず写真の展示があり、撮影機材メーカーがあり、パディビレッジがあって、SSIがあり、続いて国内のダイビングリゾートが並び、セミナー会場のコーナーが有る。セミナーはDANと社会スポーツセンターなど、資格更新にかかわるがセミナーもやっていて、一旦外に出て、階上にあがって海外リゾートがあるというフォーマットは、定着しているし、これをキープしていけば、続けられる。ダイビング業界の変化、変革について、もう少し良く考えなければならないから、ここでは書かないが、このフェステイバルに足を運ぶ事によって感じることは、とても大きい。 さて、それから、村上商事が、歩いて10分ほどの場所、豊島区文化センターで、別の展示会をはじめた。これに、自分の知人、JAUSのメンバーの杉山さん、石川さんが展示している。自分もハイブリッドを展示しようとしたが、未だ、動いている姿の映像が無いので、やめにした。なかなかの盛況である。無料で、机一つ置けば展示ができて、そこに三日間通えば、ずいぶんと大きい効果がある。費用がほぼゼロでもできるから、費用対比効果は大きい。しかし、だからこそ、本体のフェスティバルとの摩擦はあると思う。摩擦の結果がどのような結果になるかはわからないが、どのようになったとしても、これは変化の芽であり、この芽をフェステイバルが上手に取り込むか、村上くんが根性をだすか、別の形になるか、だが、これが、フェスティバルの一つの変革になりうるとも思う。例えば、出店者が減って、隙間が出来た。有料写真展もなくなった。そのスペースを小さい写真で埋めた広場がある。区民センターの何倍かのスペースがある。普通に考えれば、足し算引き算ていどの計算能力があれば、答えはでる。どうなるのか。 書くことがたくさんあり、それぞれが頭のなかでもつれ合っているから、また4月一杯は、この話題の周囲をめぐる事になるだろう。支離滅裂になっても良いから、考えながら書き、ある程度のまとめが出来る様になればまとめる。このフォーマットが良いと、ブログ整理のあと、思っている。
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