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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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331 魚の泪

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魚の泪

お花見が始まった。この数年、といっても5年ぐらい前からだが、お花見になると芭蕉の奥の細道への出立の句
「行く春や鳥蹄き魚の目は泪」
が、浮かんでくる。桜が咲き、散るのは、行く春なのだ。

以下の「」は、2007年2月に書いた、ブログ だ。

「作家の大庭みな子(おおば・みなこ)さんが、24日、亡くなった。(2007年のことだ)76歳だった。少しばかり愛読書がある。「魚の泪」「オレゴン夢十夜」「虹のはしづめ」だ。主な著作は、「三匹の蟹」「津田梅子」などだが、重くて読み返す気持ちになれない。訃報の写真も苦悩に満ちたような顔をしている。ずいぶんつらい人生だったのかな、と思ってしまう。
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「魚の泪」は、伊豆海洋公園の創立者、益田一さんにもらった。まだ、クラブハウスには、コンクリの生簀があって、捕まえてきた魚が泳いでいて、亀もいた。二階には、中村宏治が寝ていた。住んでいたとは言い難い。益田さんは、この本がいたくきにいっていたらしく、ぼくにくれて、「ぼく(益田さん)や、須賀さんは、最後はのたれ死にだからね。」といった。もらった「魚の泪」を読んだけれど、どこにものたれ死ぬようなことは書いていない。魚の泪→芭蕉の奥の細道の出立→旅→旅に死ぬ人生→のたれ死に、と連想をつなげるのだろうか。益田さんは、「のたれ死に」にかなりこだわっていて、娘の潮美がパーティで益田さんと話したとき、「君のお父さんとか、僕はのたれ死にだから」と言っていた。潮美としては、なんのことかわからないと僕に聞く。僕もはっきりとはわからない。僕はともかくとして、益田さんはのたれ死ぬ方向には進んでいない。立派な仕事をして、立派な家に住んでいるお金もちだ。きっと、覚悟として旅に死ぬつもりだったのだろう。益田さんは、みんなに見送られて、きっちり死んだ。形の上ではのたれ死にではない。一方の僕は、益田さんの言うとおりの道を歩んでいる。

益田さんのことを書けばブログ10回分ほどの思い出がある。そして、その思いが一つも不愉快なことがない。きっと、袖スリ合った人、だれにも、そのくらいの思いを残しているにちがいない。
 魚の泪は、「Xへ、」という書き出しで、Xへの手紙の形をとっている。Xは不倫相手のような書き方だが、あからさまではない。
 テーマはアラスカのことで、ご主人がアラスカに赴任して、アラスカでの生活の日常をとても美しい文章で書いている。
読んでいて快い。もう一度、引き出して、読み始めている。眠る前に読むのにちょうど良い。

大庭みな子は、96年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、左半身不随で車いす生活になった。02年には夫との二人三脚の日々や若い日の追憶を詠んだ短歌を集めた「浦安うた日記」(紫式部文学賞)を刊行して話題を呼んだ。Xとの不倫は作家の創作だったのだろうか。
浦安に住んでいたことも、この「浦安うた日記」のことも知らなかった。けれど読む気持ちにはなれない。「魚の泪」「オレゴン夢十夜」「虹のはしづめ」を続けて読もう。」


さて、ここからが、今の自分だが、野垂れ死にが近くなってきて、ようやく、すこし意味がわかってきたような気がする。やはり、旅のうちに死ぬということだろうか?。


 今、もう一度読みたくなったので書架を探したが、表面にはない。

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