SAIが目指したものは「学生のための、学生のリーダーの資格を、関東学生潜水連盟で作り、運営していく、」そんなことを、2002年にあつまってもらった学生諸君に話した。学生連盟の資格である。 やがては、関東だけでなく全国に拡大する。折から大学同好会の死亡事故が起こったことから、正規の学生連盟の輪を広げて行くことには、文科省も、バックアップしてくれる可能性もある。それでこそ、ダイビングが大学生のスポーツになる。 50年前学連が生まれた時、僕たちの指導の手を振り切って、「学生による、学生のための、学生の組織」を目指したはずだ。スピアフィッシングに反対したこと、真鶴の潜水禁止問題、など、大人の指導組織と肩をならべて発言し、行動した。1000人近いメンバーで活動していた。それから、50年経って、進化したとはお世辞にも言えない。 SAIなど、インストラクターの名称を名乗って、もしもの場合は、SAIが責任を問われる。可哀想ではないか。だからこそ、SAIが必要なのだ。責任をいうならば、今でも合宿や遠征では、常にコーチがついてきてくれるものでもない。そのコーチも監督もいない大学の方が多いのだ。街場のインストラクターやガイドダイバーを、常に雇っているか,と言えば、雇っていないことの方が多い。資格を定めて、資格に見合う運用マニュアル、安全管理責任の規約などをつくり、規約がまもられていること、マニュアルがまもられていることがSAIの責任とすれば、事故はほとんど無くなるだろうし、事故が起こった場合でも、マニュアル、運用基準がまもられている範囲であれば、個人が責任をおう部分がすくなくなる。学連全体でスポーツ安全保険などに加入しておけば、その範囲で収めることも出来る。 事故を防ぐためには、パニックにならない、冷静な恐怖心がひつようであり、基準の限界内での行動が常に行われるはずで、基準を守ってさえ居れば、個人が指弾されることはない。 基準、マニュアル、の制定には、真野先生、河合先生、山見先生が名を連ねて、監修してもらい、もしもの場合にはマニュアルの正当性を盾にして弁護、味方になってくれる。 2002年の最初のSAI講義の際、山見先生がもう少し足場をかためて、慎重にという意見をだされた。 その趣意にそって、合宿マニュアル、講習、トレーニングマニュアル、安全管理について、などそれぞれの大学で書いてもらってプリントにした。 今、振り返ってみると、2008年までに書いてもらった書類を重ねると、厚さが10センチに近くなる。勿論、玉石混交であり、石もゴロゴロしているが、玉を集めて、学連で編集すれば立派なものになる。きちんとした本の形にすれば、それが全国をまとめる拠り所になる。自分たちの作ったマニュアル、基準を自分たちがまもる。 この作業をしていただけで、その間は安全度が高かったはずだ。SAI会議が無くなった今、学生たちはその作業を続けているだろうか。2008年頃には、まとめて、SAIを立ち上げる事はできたと思う。 ダイビングの安全は運用にかかっていると、常に唱えている。学生たちのマニュアルも安全対策主将会議のまとめた練習の基準らしkものは、運用が主体になっているように見える。ソレが、僕の努力の成果であるのか、それとも、少ないながらも監督、コーチの指導が全体に影響をお呼びしているのか、あるいは、学生たち自身のポテンシャルであるのかわからないが、習慣、手順のようになってはいる。その意味では、町のダイビングショップのツアーなどよりは、はるかに安全度は高い。 写真は、監督もコーチもいない早稲田大学水中クラブの練習。新入生と上級生のバディ、をさらにもう一人の上級生がみまもりながら行動するフィーメーションができあがっている。 ここまでは、有利な点、ポジティブなことだけを述べてきた。ネガティブな面を見ていくと、まず、時間的、物理的に無理、がある。3年生で学内OBになる四年生をSAIになってもらうのだが、大学生の4年生は、生涯、生涯賃金をかけた就職活動がある。理系であれば、卒業論文があり、勉強が忙しい。潜水でサボっていた奴ほどがんばらなくてはならない。ただでさえダイビング部の人数は少ない。各大学にSAIなどになってくれる学生を見出すことは、ほぼ無理だろう。幾つか、一、二の大学はなんとかできても、全体としては無理だろう。 それに、学生の場合には、現役部員がいなければ消滅する。SAIの場合もある年度にテンションが落ちてしまえばそれで終わりだ。SAIの活動をしていた間でも、立派なマニュアルを書いてくれていた青山学院大学の部が事実上消滅した。そして、事実、僕が他の活動に忙しく、ちょっと息を抜いている間に、テンションが落ちてしまった。こちらが走り続けないとついてきてはくれない。 もう一つの問題が、監督やコーチがいてしっかりと指導しているクラブの問題があった。この監督、コーチが一緒にやってくれるのでなければ、無理をして資格を立ち上げても、長持ちしない。自分が死んでしまえば終わりだろう。僕も70歳をこえていた。何時死んでもおかしくない。死んだ後も継続させるためには、どうしても、監督、コーチそしてOB会を一つにまとめて資格を立ち上がらせなければだめだ。自分の性格として、知り合って、協力関係を続けてきてくれている監督、コーチなどに横を向かれたら、頑張り続けることなどできない。 それからの経過についてはすでに述べたが、監督、顧問、OB会長はほとんど現在の学連とは関わりをもっていない。学連は、学生たちがやっていることであり、完全に別の世界のことである。そして、自分の部の消長、安全維持だけで手一杯である。別に職業をもっているボランティアであり、ちょっとでも気を抜けば事故が起こるかもしれない。そして、その結果に対して責任を感じ、責任を負っている。他の大学とか学連などのことを見る余裕もない。 自分のやってきたことを振り返ると2002年から2009年までSAIという安全のための勉強会を続けてきて。それなりの成果を上げた。2010年から2015年まで、監督・コーチとお付き合いして研究発表をしてもらい、2014年のパネルディスカッションで、指導者の集いを作ることができた。これは、自分の後押しでやり遂げたことだと思う。しかし、2015年には、学連からのこの集まりへの出席は一人、形だけのものになり、学生たちはショップのインストラクターコースに顔を向けているようにみえる。 その結果としての50周年がどのような形のものになるのだろうか、わからないが、40周年と同じ程度のOB会ができれば上等で、あり、その集いと、指導者の集いの関係がどのようなものになるのかは、見えない。もしかしたら、という期待はある。 50週年のあとの50年、100周年はどうなるだろうか。自分としては、60周年を迎える母校の海洋大学については、100年周年までは、40年だから、なんとか現状維持プラスアルファにさせたい。指導者の集いの4大学も、苦労はするだろうが、なんとか現状維持ができるはずだ。学連はわからない。進歩、進化のないものは必ず消滅するのが原則だとおもうから、同好会的な方向に進化するのかもしれない。そして、今の傾向は、ショップのインストラクターをめぐって、分裂する可能性もある。分裂を接着させているのは、学連の水中スポーツ選手権、と全日本室内選手権大会だと僕は思っている。何か一つのことをする目標があれば、接着剤になる。しかし、同好会的な方向とフリッパースポーツとは、背反するから、次第に小さくなり、もしかしたら、6大学くらいに縮小して、続くかもしれない。50周年で何かの方向付けが出来るものならば、15大学くらいを維持して、分裂せずに行けるかもしれない。 指導者を持たない、持ちたくない学生にとっては、ショップの指導資格も安全のためには無いよりもあったほうが良い。このために、分裂の可能性もあるが、すでに指導、安全確認のための組織としては、分裂した状況が古くからあるのかもしれない。 要は、個々のクラブの安全確保と維持である。 概括してみて、2002年に見えていた事故の芽は、消えているように見える。振り返って、馬鹿のようだったとも思うが、悪くはない月日だった。遊んでくれた学生諸君には心からお礼をいいたい。 自分について言えば、まだギブアップはしていない。死んでしまう可能性が高いが、生きていれば、来年あたりから学生のダイビングについてのプロジェクトを立ち上げようと思っている。それが、どのようなものであるかは、今日述べたことから類推できる。なぜならば、この連続したブログを書きながら考えたことなのだから。でも、多分、時間が残っていないだろう。
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