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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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6月4日 座間味

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 6月4日
ホテルは、トマリンのかりゆしアーバンリゾート、良いホテルだ。宴会は、歩いて数分の「海のちむぽうら」沖縄料理でもない、日本食でもない、薩摩でもない、もちろん中華ではない。何だろうと言う料理、鉄板焼がメイン、刺身、締めはエビの天むすに赤出汁、でも、腹一杯食べた。最近、ストレスで食欲がなかったから、体の欲求に合ったのだろう。

      僕はノンアルコリック・ビール

 ☆中田さんの第2章は、業界の構造、現在日本では、どこかのcカードがなければ潜れない、事実上のライセンスになっていて、そのcカードは、指導団体統制下にある。そして、cカードは、商品である。人の命に関わる商品だ。商品の質は重要であるのに、質の管理は不十分である。これが中田さんの論であり、事故が起こった例を調べてみれば、業界は、反論しないでいる。これまで無視していたのだろう。次第に無視できなくなった。業界が何をするのか、あいかわらず無視なのか興味を持って眺めてゆく。それはそれとして、僕はこの本を読み解き、論理のとんでもない矛盾を解いて行く。

☆今、那覇から座間味に向かう、高速船のシートで書いている。だいぶ波がきつくなってきた。チービシの横、このあたりが一番波がきつい。海流があたっている。

座間味に着、二年ぶり、懐かしい。あまり変わっていないが、秀保君の海洋丸は、処分してしまったという。宿のパティオの前の、古い沖縄の家は二年前には住んでいたのが、今は廃屋、住んでいた人はどうしたのか。
花、蝶々、虫がいることが嬉しい。東京には虫がいない。蝶々を見たのは、今年はじめてか?


  うみまーる の井上君を訪ねて、今日の午後、阿真ビーチへ亀を見に行くことにした。
 雨が降りそうな梅雨空
 今日の満潮は16時、明日は17時になるから、今日の潮周りの方が良い。

 ☆ にもどって
 1967年、僕たちは日本で最初の、日本人がつくった潜水指導団体日本潜水会を結成した。僕たちも、認定証を発行した。まだ、cカードなどという呼び名はない。認定書である。ライセンスであるから、最低限を自分の意志と判断で潜れなければいけない。認定書を持っているものがリーダーを訴えるなど考えもしなかった。しかし、責任はある。認定書を持っているダイバーがどこかで事故をおこしたとき一緒に潜ったダイバーとか、その地の人に迷惑をかける責任だと考えた。彼を指導した指導員、認定した日本潜水会は、事故を起こすようなダイバーを送り出した責任がある。だから、指導員は容易には認定書を発行しなかった。認定書のランクは二種類で、一級と二級、で三級という自分の責任で潜れないランクもあったが、ほとんど発行されることはなかった。二級が、一人前の印であり、一級は実技的には指導員と同じ、一級をもっていれば、指導員になるために実技が免除というか、それほどしごかれなくても良いことになっていた。この考え方にそって、一級のプログラムには、「地獄の」というニックネームがつく、ものがいくつもあった。このニックネームは、NHKの潜水班が、日本潜水会の指導員が何人もおり、彼らに教えられた潜水班の新人がつけたものであった。
 もちろん、一級の講習の受講生は二級を持っている必要がある。
 指導員は、なかなか二級を出さなかった。一ヶ月、もしくは三ヶ月、あるいは、ついには認定を発行しない場合もあった。自分だけでは潜れないということである。

 このくだりは、あとでまた論じるところで出てくる。
 
  ☆
 訴訟についての本を読みときながらツアーをするというのも悪くない。これまで、僕のツアーはフリー!自由にさせていたが、今年はバディ遵守。浦安運動公園プールで親子のスノーケリング講習会を手伝ってもらっていて、この講習会の目標の一つがバディ習慣の
植え付けだから、手伝ってくれているメンバーは、よく理解してくれている。すなわち、僕が「バディ!」と号令をかけたら、手をつないで上に上げてくれるようにということなのだが、 しかし、一度や二度の説明では、そのとおりにしてくれない人もいる。
 水中でいつも一緒にいるための習慣づけなのだが、

 一回目の潜水は、ボートを出してもらう。
秀保の海洋丸を出してもらおうと思っていたのだが、売ってしまったとのこと。この船は、加山雄三が使っていたことがある船で、なぜかケラマに来ていて、僕はほとんどすべてのケラマロケ、中継にこの船をつかった。中村宏治君たちも、この船を ほいちょいプロの「彼女が水着に着替えたら」のロケにつかった。なにしろ、三浦岬と言う想定で、すべての水中シーンをケラマで撮ってしまったろいう乱暴な映画で、この映画のおかげで業界が伸びたという伝説の映画だ。ケラマのどこかに海上保安部に内緒で沈めてしまった、飛行機残骸のセットがある、あったはずだ。
 その大型の船がないので、2隻のボートに分乗して、西浜に向かった。
 天気は雨は降っていないがどんよりして、太陽がない。光がないから、美しい絵はとれない。撮影に来たわけではないから、時化ていなければよしにする。




 3mmのウエットスーツで3キロでよいと思ったら、4キロだった。それほど寒くはない。僕はスキンダイビングでダイブコンピューターを持ってきていないが、聞いてみたら25度だった。
 しばらくぶりの海で、水深5m、辰巳と同じなのに、それほど潜れない。なさけない。この前ケラマにきて2010年からこれほどに衰えたかと思う。
 40分ほど潜って遊び、期待のできない撮影をして、もどり、16時から阿真ビーチで井上真也君のガイドでウミガメを見る。
 彼がウミガメを見つけたら、手を振ってくれるという約束で水に入った。
 みんな沖に泳ぎ出たが、亀は岸近くにいた。満潮に乗って、岸近くまで海藻を食べにきている。潮が引いていると、餌の海藻のところまで浅くて行けないので満潮に乗ってくるわけだから、岸近くに来ていて当然。僕は沖にいってしまったみんなを戻すのにちょっと力を入れて泳いだら、足がつってしまった。それでも、みんなを集めた。亀は全く人間、ダイバーを気にしていない様子だ。人になれたのだろう。

 亀は個体識別もされていて、「みか」という名前だ。あまり美しくない亀なのに、「美香?」と思ったら、甲羅の右側が欠けているから 右欠 のミカだそうで納得。
 とにかく、二回潜水ができて、「海洋実習」的には成功した一日だった。

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