旅にでるときは、読むのに抵抗のある本を持って行く。中田誠 「ダイビングの事故と法的責任と問題」2001年の出版で、読むのは二回目になる。アンダーライン、マークの挟み込みが多く、この前もしっかり呼んでいる。いま、また中田さんが業界で問題になっているので、もう一度、読もうとしたわけだ。
冒頭からひっかかった。
「ダイビングでは、「事故発生率がゲートボールよりも低い安全なスポーツ「という識者の見解や、多くの指導団体、及び主としてダイビングマスコミやショップなどが一般に主張している、ダイビングは「安全」で「簡単」ということにほぼ限定された主張や宣伝があるが、実際には毎年多数の人々が事故に遭い、そしてその半数が死亡しているという現実が存在する。」
久しぶりにもって回った文章を読んだが、「ええっ、ダイビング業界はダイビングが安全で簡単」なんて言っているのか?うそだろう。と思ってしまうが、言っていたのだ。そのこととの僕の対決は、また別の機会に書くとして
まず、僕のダイビングについてのスタンスだが、ダイビングが安全だなどと言ったことは一度もない。安全にしたいとは言ったし、全力も尽くした。その結果として、敗戦。危険は人それぞれ個人の中に内在している。他人ではどうすることもできない。
とにかく、ダイビングは危険であり、その危険を回避して目標を達成してもどってくる作業でありスポーツである。そして、どんなにパーフェクトを目指しても、絶対に事故ゼロにはならない。そしてダイビングの事故の多くは、他人、別の個体である人間にとって原因不明である。自分がやっていた会社、スガマリンメカニックでは、入社するとき、ダイビングはロシアルーレットみたいなものである。そのルーレットの弾の数をできるだけ少なくすることはできるが、それは本人次第だ。と言っていた。で、この言葉が気に入って入社した人もいる。70歳以降の僕のリサーチダイビングのバディであった鶴町君だ。彼は最後まで弾に当たらなかったが、癌にあたってしまった。不幸にしてダイビングの弾に当たってしまった脇水君もいる。
これは、プロの世界のことであり、レクリエーショナル・ダイビングは、ちがうが、レクリエーショナルダイビングでは、インストラクター、ガイドダイバーの側からいわせれば、やはりロシアンルーレットだ。不特定多数のお客の原因不明の事故に常に備えていなければならない。
だから、自分の責任回避の意味からも、危険について力説し、自己責任、つまり安全についての努力を負担してもらう。のが論理的に正しい。ダイビングは安全で簡単、そんなことを言うから、「ダイビングで死なないために」なんて本を書かれてしまう。知らない人が見たり聞いたりすれば、ダイビングで死なない方法があるのではないかと誤解する。「ダイビングは安全です」というのと50歩100歩だ。
しかし、「ダイビングの事故と法的責任と問題」は、力作であり2001年だからちょっと古いが、その頃に書かれたダイビング書として、僕は高い位置をあたえている。読み解き、論じる価値がある。
話は、この本から離れるが。
賠償責任保険と言う保険がある。すばらしい保険である。あまり高い金額ではなくて、訴えられさえすれば、裁判、もしくは示談で解決する金額を補填してくれる。訴えられさえすれば良いのだ。お葬式に行っていやな思いをすることもない。最近ではどうかしらないが、お通夜とか葬式に行って陳謝したりしてはいけない。責任を認めたことになるから、という弁護士もいた。逆に、通夜にも葬式にも行かず、事故関係者の態度が悪いと言って、訴えられたケースもある。もちろん、訴えられてかまわない。保険がある。
僕はこの保険が大嫌いだけれど、保険には入っている。責任があろうがなかろうが、好き嫌いによらず、世間は、訴えさえすればお金になると認識しているから、必ず訴えられる。事故者が90%悪くても、10%のお金をとられる。
僕のリスクマネージメントは、まず、先にのべたようにまず危険であることを説明する。スポーツ安全保険に入ってもらう。この保険は当人が入っている形式だから、本人に必ず支払われる。これとは別に、国内であれば、事後申告の旅行傷害保険に入っておく。
この二つの保険からでた金額を渡したうえで、申し訳ないという姿勢は崩さないが、自分が悪くないことを主張する。
それでも、世間の常識で訴えられるだろう。そしたら、示談にはしない。判決を受けて、上告しても争う。
僕もダイビング事故訴訟の原告側の証人を何度も経験した。原告側、つまり訴える遺族の側だ。先に述べた僕のスタンスから見ても、被告、つまりインストラクター、ガイドダイバーには、明確な落ち度があった。示談にするしかないのだ。
プロのロシアンルーレットは、水中で一人でいるときに弾が飛んできて起こっている。それでも、誰かがサイドにいれば、とんでもない弾が飛んできても助かっている。社員のY君は、消化器官、小腸が溶けてしまう癌におそわれて、水中で腸が破れたが、仲間に助けられている。
訴えられても負けない運用をして、そして、決して一人にならないようにする。そうすれば、ダイビングとは、かなり安全率の高いスポーツなのではないかと思う。
飛行機でここまで書いたら、飛行機が高度を下げ始めた。あと30分以内に那覇空港である。
中田さんは、ダイビングは安全だという業界の主張を崩すべく、交通事故と比較し、さらにラクビーフットボールと比較して、ダイビングの方が危険だという証明をしている。ご苦労さまである。
しかし、ダイビングは危険であるという前提のもとに、一人にならず(何もバディとはかぎらない。一人にしなければよいのだ)運用にミスがなければ、つまり、訴えられても勝つ運用をしていれば、ラクビーよりも交通事故よりもダイビングの事故率は低いはずである。それに交通事故はこちらの責任でない場合もあるし、ラクビーはぶちとばしてなんぼのスポーツだ。それに引き換え、ダイビングは、自分さえしっかりしていれば、事故は起こらない。しかし、だから交通事故よりもラクビーよりもダイビングは安全だ、などと幼稚なことは言わない。違う種類の危険なのだ。ダイビングの危険の多く、事故原因の多くは、心的にも身体的にも、自分の内側にある。DNAかもしれない。人間の業かもしれない。
僕はその場にいなかったが、社員の脇水が、減圧停止中に原因不明で死んだのは、会社の空気が原因だったと思っている。僕の責任だ。
学生の潜水部の合宿での飲み会をきびしくやめるようにいうのもそのためだ。飲み会の空気でダイビングして事故が起これば?起こる可能性もある。何といわれるか。社会人について、酒をやめさせることはできない。今夜も盛大な宴会をやった。せめて、自分は飲まない。自分は飲まないで、酒を過ごすなと言うことで、もしものことがあっても僕は自分を責めることがなくなるし、僕は悪くないと主張できる。酒を飲まなかったら事故が起こらないわけでは決してない。空気である。空気とはとても重い。人の命である。遺族のことを考えれば自分の命よりも重い。あらゆることを考えなくてはならない。
那覇のホテルから送っている。次は座間味から送れるだろうか。
冒頭からひっかかった。
「ダイビングでは、「事故発生率がゲートボールよりも低い安全なスポーツ「という識者の見解や、多くの指導団体、及び主としてダイビングマスコミやショップなどが一般に主張している、ダイビングは「安全」で「簡単」ということにほぼ限定された主張や宣伝があるが、実際には毎年多数の人々が事故に遭い、そしてその半数が死亡しているという現実が存在する。」
久しぶりにもって回った文章を読んだが、「ええっ、ダイビング業界はダイビングが安全で簡単」なんて言っているのか?うそだろう。と思ってしまうが、言っていたのだ。そのこととの僕の対決は、また別の機会に書くとして
まず、僕のダイビングについてのスタンスだが、ダイビングが安全だなどと言ったことは一度もない。安全にしたいとは言ったし、全力も尽くした。その結果として、敗戦。危険は人それぞれ個人の中に内在している。他人ではどうすることもできない。
とにかく、ダイビングは危険であり、その危険を回避して目標を達成してもどってくる作業でありスポーツである。そして、どんなにパーフェクトを目指しても、絶対に事故ゼロにはならない。そしてダイビングの事故の多くは、他人、別の個体である人間にとって原因不明である。自分がやっていた会社、スガマリンメカニックでは、入社するとき、ダイビングはロシアルーレットみたいなものである。そのルーレットの弾の数をできるだけ少なくすることはできるが、それは本人次第だ。と言っていた。で、この言葉が気に入って入社した人もいる。70歳以降の僕のリサーチダイビングのバディであった鶴町君だ。彼は最後まで弾に当たらなかったが、癌にあたってしまった。不幸にしてダイビングの弾に当たってしまった脇水君もいる。
これは、プロの世界のことであり、レクリエーショナル・ダイビングは、ちがうが、レクリエーショナルダイビングでは、インストラクター、ガイドダイバーの側からいわせれば、やはりロシアンルーレットだ。不特定多数のお客の原因不明の事故に常に備えていなければならない。
だから、自分の責任回避の意味からも、危険について力説し、自己責任、つまり安全についての努力を負担してもらう。のが論理的に正しい。ダイビングは安全で簡単、そんなことを言うから、「ダイビングで死なないために」なんて本を書かれてしまう。知らない人が見たり聞いたりすれば、ダイビングで死なない方法があるのではないかと誤解する。「ダイビングは安全です」というのと50歩100歩だ。
しかし、「ダイビングの事故と法的責任と問題」は、力作であり2001年だからちょっと古いが、その頃に書かれたダイビング書として、僕は高い位置をあたえている。読み解き、論じる価値がある。
話は、この本から離れるが。
賠償責任保険と言う保険がある。すばらしい保険である。あまり高い金額ではなくて、訴えられさえすれば、裁判、もしくは示談で解決する金額を補填してくれる。訴えられさえすれば良いのだ。お葬式に行っていやな思いをすることもない。最近ではどうかしらないが、お通夜とか葬式に行って陳謝したりしてはいけない。責任を認めたことになるから、という弁護士もいた。逆に、通夜にも葬式にも行かず、事故関係者の態度が悪いと言って、訴えられたケースもある。もちろん、訴えられてかまわない。保険がある。
僕はこの保険が大嫌いだけれど、保険には入っている。責任があろうがなかろうが、好き嫌いによらず、世間は、訴えさえすればお金になると認識しているから、必ず訴えられる。事故者が90%悪くても、10%のお金をとられる。
僕のリスクマネージメントは、まず、先にのべたようにまず危険であることを説明する。スポーツ安全保険に入ってもらう。この保険は当人が入っている形式だから、本人に必ず支払われる。これとは別に、国内であれば、事後申告の旅行傷害保険に入っておく。
この二つの保険からでた金額を渡したうえで、申し訳ないという姿勢は崩さないが、自分が悪くないことを主張する。
それでも、世間の常識で訴えられるだろう。そしたら、示談にはしない。判決を受けて、上告しても争う。
僕もダイビング事故訴訟の原告側の証人を何度も経験した。原告側、つまり訴える遺族の側だ。先に述べた僕のスタンスから見ても、被告、つまりインストラクター、ガイドダイバーには、明確な落ち度があった。示談にするしかないのだ。
プロのロシアンルーレットは、水中で一人でいるときに弾が飛んできて起こっている。それでも、誰かがサイドにいれば、とんでもない弾が飛んできても助かっている。社員のY君は、消化器官、小腸が溶けてしまう癌におそわれて、水中で腸が破れたが、仲間に助けられている。
訴えられても負けない運用をして、そして、決して一人にならないようにする。そうすれば、ダイビングとは、かなり安全率の高いスポーツなのではないかと思う。
飛行機でここまで書いたら、飛行機が高度を下げ始めた。あと30分以内に那覇空港である。
中田さんは、ダイビングは安全だという業界の主張を崩すべく、交通事故と比較し、さらにラクビーフットボールと比較して、ダイビングの方が危険だという証明をしている。ご苦労さまである。
しかし、ダイビングは危険であるという前提のもとに、一人にならず(何もバディとはかぎらない。一人にしなければよいのだ)運用にミスがなければ、つまり、訴えられても勝つ運用をしていれば、ラクビーよりも交通事故よりもダイビングの事故率は低いはずである。それに交通事故はこちらの責任でない場合もあるし、ラクビーはぶちとばしてなんぼのスポーツだ。それに引き換え、ダイビングは、自分さえしっかりしていれば、事故は起こらない。しかし、だから交通事故よりもラクビーよりもダイビングは安全だ、などと幼稚なことは言わない。違う種類の危険なのだ。ダイビングの危険の多く、事故原因の多くは、心的にも身体的にも、自分の内側にある。DNAかもしれない。人間の業かもしれない。
僕はその場にいなかったが、社員の脇水が、減圧停止中に原因不明で死んだのは、会社の空気が原因だったと思っている。僕の責任だ。
学生の潜水部の合宿での飲み会をきびしくやめるようにいうのもそのためだ。飲み会の空気でダイビングして事故が起これば?起こる可能性もある。何といわれるか。社会人について、酒をやめさせることはできない。今夜も盛大な宴会をやった。せめて、自分は飲まない。自分は飲まないで、酒を過ごすなと言うことで、もしものことがあっても僕は自分を責めることがなくなるし、僕は悪くないと主張できる。酒を飲まなかったら事故が起こらないわけでは決してない。空気である。空気とはとても重い。人の命である。遺族のことを考えれば自分の命よりも重い。あらゆることを考えなくてはならない。
那覇のホテルから送っている。次は座間味から送れるだろうか。