ふと、長太郎池のスノーケリングの写真をフェイスブックにだして、モイヤーさんのことを思い出した。
モイヤーさんは、三宅島アカコッコ館の館長さんをしていて、長太郎池でスノーケリングを、若い人、子供たちと一緒にする時間を作っていた。
テレビ朝日ニュース・ステーション
昭和61年1986年 8月13日放送。
ニュース・ステーションの水中レポートシリーズについて立松和平さんが書いた「雲をともとして、心と感動の旅」1987年から書き抜いた。
「三宅島の大噴火、自然の恐ろしい力を前に、人間は全く無力でした。噴火が終わり、ようやく静けさがもどってくるや、アメリカ軍の夜間訓練飛行場を建設するという問題があ、富士箱根伊豆国立公園のこの島に降って湧いたのです。
飛行場建設予定地に、一人のアメリカ人海洋生物研究家が住んでいます。ジャック・もイヤーさんです。
昭和29ね3んから33年間もモイヤーさんは海と陸から三宅島の自然を愛惜してきたのです。世界でもここだけにしかない貴重は死zぇんがよく残っている点では、ガラパゴスに匹敵する。三宅島は日本のガラパゴスだ。とモイヤーさんは言います。生物学者の地に足のついた視点から、もイヤーさんは飛行場建設に異議をとなえ、レーガン大統領やワインバーガー国防長官に論文や手紙を送りました。
モイヤーさんの案内で、僕たちも溶岩の流れ込んだ海に潜ってみました。大自然の猛威のために一度は死滅した海です。
潮美
陸上と同じように何も生えていない香料としてるところなのかと思ったら、いや、こんなに海藻が生えてるんですねえ。
立松
海藻がだんだんでてきましたね。
潮美
噴火からまだ2年10ヶ月しかたっていないのに、もうこんなに海藻が生えているんです。
モイヤー
これは新しいサンゴですね、熱帯のものがもどってきましたね。
潮美
海藻だけじゃなくて、もうサンゴもはえているんですねえ。
モイヤー
魚がいっぱいいますよ。海が浅くなりましたが、魚の種類は同じですね。あまりかわりません。
立松
いったん熱い溶岩が流れ込むと海の生物はその場所は死にますね。
モイヤー
もちろん溶岩のところには死にましたけれど、私はまだ泡のでた熱いとき溶岩の上に潜りました。もうスズメダイも入ってきました。
立松
海の中と陸の上とどちらが自然の回復が速いですか。
モイヤー
海は絶対に速い。もう今のところこれぐらいのサンゴが溶岩の上にあります。
立松
もう育っているんですか。そうすると自然の破壊というか、自然の力で火山の爆発とか、そういう破壊と人間の破壊は全然ちがうわけですね。
モイヤー
そうです。三宅島の溶岩も守ること良いと思います。その上にコンクリート作りましたら、自然はでてきません。」
昭和61年8月13日放送。
こんなふうに、水中と陸上をミックスした会話を続けて、ニュース・ステーション、「心と感動の旅」シリーズで私たちは日本を旅していた。
モイヤーさんも立松さんももういない。
三宅島の海の中の自然は、幸いなことに昔と変わらない。でも、三宅島に行って潜る若い人たちがモイヤーさんに出会うことはもうなく、モイヤーさんのことを知らない若いダイバーがほとんどなのだろう。御蔵島のイルカとダイバーとの付き合いは、モイヤーさんがルーツだったことも、きっとみんな知らないだろう。
三宅島の放映テープがどこかにのこっているだろうか。探してみよう。
モイヤーさんは、三宅島アカコッコ館の館長さんをしていて、長太郎池でスノーケリングを、若い人、子供たちと一緒にする時間を作っていた。
テレビ朝日ニュース・ステーション
昭和61年1986年 8月13日放送。
ニュース・ステーションの水中レポートシリーズについて立松和平さんが書いた「雲をともとして、心と感動の旅」1987年から書き抜いた。
「三宅島の大噴火、自然の恐ろしい力を前に、人間は全く無力でした。噴火が終わり、ようやく静けさがもどってくるや、アメリカ軍の夜間訓練飛行場を建設するという問題があ、富士箱根伊豆国立公園のこの島に降って湧いたのです。
飛行場建設予定地に、一人のアメリカ人海洋生物研究家が住んでいます。ジャック・もイヤーさんです。
昭和29ね3んから33年間もモイヤーさんは海と陸から三宅島の自然を愛惜してきたのです。世界でもここだけにしかない貴重は死zぇんがよく残っている点では、ガラパゴスに匹敵する。三宅島は日本のガラパゴスだ。とモイヤーさんは言います。生物学者の地に足のついた視点から、もイヤーさんは飛行場建設に異議をとなえ、レーガン大統領やワインバーガー国防長官に論文や手紙を送りました。
モイヤーさんの案内で、僕たちも溶岩の流れ込んだ海に潜ってみました。大自然の猛威のために一度は死滅した海です。
潮美
陸上と同じように何も生えていない香料としてるところなのかと思ったら、いや、こんなに海藻が生えてるんですねえ。
立松
海藻がだんだんでてきましたね。
潮美
噴火からまだ2年10ヶ月しかたっていないのに、もうこんなに海藻が生えているんです。
モイヤー
これは新しいサンゴですね、熱帯のものがもどってきましたね。
潮美
海藻だけじゃなくて、もうサンゴもはえているんですねえ。
モイヤー
魚がいっぱいいますよ。海が浅くなりましたが、魚の種類は同じですね。あまりかわりません。
立松
いったん熱い溶岩が流れ込むと海の生物はその場所は死にますね。
モイヤー
もちろん溶岩のところには死にましたけれど、私はまだ泡のでた熱いとき溶岩の上に潜りました。もうスズメダイも入ってきました。
立松
海の中と陸の上とどちらが自然の回復が速いですか。
モイヤー
海は絶対に速い。もう今のところこれぐらいのサンゴが溶岩の上にあります。
立松
もう育っているんですか。そうすると自然の破壊というか、自然の力で火山の爆発とか、そういう破壊と人間の破壊は全然ちがうわけですね。
モイヤー
そうです。三宅島の溶岩も守ること良いと思います。その上にコンクリート作りましたら、自然はでてきません。」
昭和61年8月13日放送。
こんなふうに、水中と陸上をミックスした会話を続けて、ニュース・ステーション、「心と感動の旅」シリーズで私たちは日本を旅していた。
モイヤーさんも立松さんももういない。
三宅島の海の中の自然は、幸いなことに昔と変わらない。でも、三宅島に行って潜る若い人たちがモイヤーさんに出会うことはもうなく、モイヤーさんのことを知らない若いダイバーがほとんどなのだろう。御蔵島のイルカとダイバーとの付き合いは、モイヤーさんがルーツだったことも、きっとみんな知らないだろう。
三宅島の放映テープがどこかにのこっているだろうか。探してみよう。