岡本美鈴のワークショップ 2016-0223
計画の最初、彼女に声を掛けて、お願いしただけでもう何もする必要はないと思った。でもそれでは無責任を、自分も一緒に話す、トークショウを考えて、そのあらすじを、美鈴と司会、主催の山本さんに送った。了承ということで、そのまま。前日に辰巳で会って、打ち合わせをすればよいのに僕はハイブリッドのテストに頭のなかが塞がっていて、この頃、一つのことしか、一時に考えられなくなっているので、これが耄碌というものかと、日々を送っているので、打ち合わせもしない。当日になって映像の使いかたの打ち合わせをしていない。どんな映像を使うのかについても、分からない。慌ててメッセージをいれた。
そして、当日、大きなモノフィンとかロングフィンを飾り付けて、映像の準備をして、ここでも、トークの打ち合わせはできない。頭のなかにイメージが固まらない。全てキャンセルして、計画の最初、彼女に全て任せたほうが良い。
聴いてくれる参加者、受け取り方はさまざまだろうと思う。自分としては、彼女の真っ直ぐなダイビングへの姿勢が受け取られ、それが、とても良いし、彼女の後援者、生徒などを惹きつけているところなのだろうと感じる。だから、演出シナリオとしてはこれでいい。自分のちょっと視点をずらしたようなシナリオは夾雑物でしかない。僕が質問しようと思っていたことについては、全部話してくれている。ただ、生理学的な部分についての、アクセントは、僕が訊いて答えてもらったほうが良かったのかなと思うが、それでは、生理学セミナーになってしまう。その部分は後半、の質疑のところでしようか、と考える。
しかし、その後半の質疑も、会場からかなりの質問があり、それにストレートに答えが帰ってきて、これでいい。残念ながら、僕の聴力は、質疑応答の間に入ってまとめることはできない。聴力が無いということは、二つの考えの間に立って、考えをまとめるということはできない。昔、そういうことが得意であったので、その感覚が自分に残っているが、もはや、むりなのだろうな。とおもう。
一言だけ、真鶴での競技会でのアクシデント修羅場の映像が流れて、凄いナマの映像で、安全ということを考える時、百の議論よりも一つの映像、こういう映像は当事者でなければ、発表できない。ストレートにこの映像を流して、まっすぐに説明と反省をしていた、フリーダイビングの集まりがあり、感動したので、そのことだけを話した。
しかし、その安全をクローズアップしてこの会をまとめたら、それは安全潜水の会になってしまう。それは意図したことではないので、それでも、安全を考えてしまう自分がいる。
冒険、チャレンジと安全から離れようとしながら、安全を持ってきてしまう。そのことが、僕を生き延びさせているのかもしれない。だから、それで良い。
フリーダイビングについて、いろいろ考えることがある。何故、生理学的な限界に挑むのかとか、しかし、ダイビングの本質は、冒険者としてのダイバーの本質は底にあるのかもしれない。とか、考えるが、岡本美鈴をはじめとして、フリーダイビングのトップランカーの女性はそれぞれ、とても魅力的だ。みんな、まっすぐに話して見たいとおもう。男性の第一人者である篠宮くんも、実はまだ一度も直に会ったことがない。そのうちに会いたいねと、お互いに言っているが、会ったとして、どういう会い方をすればよいのかよくわからない。どこかのパーティで顔を合わせても、何も話をしなくても、わかってしまう、という感じで終わるだろう。だから、言葉がなくて、お辞儀を繰り返すだけかもしれない。
水中撮影の鍵井くんも大好きなのだが、このまえ、ダイブビズショウで、久しぶりにばったり出会って、話すことも無く、そのままスレ違いにわかれることも勿体無く、互いに頭を下げる挨拶を繰り返していた。横で見ていた人は、どう思っただろう。しかし、言葉は伝わったと思う。ここに書くまでもない。書かない方がいい。
話を岡本美鈴にもどして、一緒に本を書けたことは、とてもよかった。まだ、販売のノルマが残っているので、僕たちから直に買ってもらいたいけれど、
共著とは、親戚になったと自分は思っているので、そのことを口に出して、ワークショップを終えてしまった。
計画の最初、彼女に声を掛けて、お願いしただけでもう何もする必要はないと思った。でもそれでは無責任を、自分も一緒に話す、トークショウを考えて、そのあらすじを、美鈴と司会、主催の山本さんに送った。了承ということで、そのまま。前日に辰巳で会って、打ち合わせをすればよいのに僕はハイブリッドのテストに頭のなかが塞がっていて、この頃、一つのことしか、一時に考えられなくなっているので、これが耄碌というものかと、日々を送っているので、打ち合わせもしない。当日になって映像の使いかたの打ち合わせをしていない。どんな映像を使うのかについても、分からない。慌ててメッセージをいれた。
そして、当日、大きなモノフィンとかロングフィンを飾り付けて、映像の準備をして、ここでも、トークの打ち合わせはできない。頭のなかにイメージが固まらない。全てキャンセルして、計画の最初、彼女に全て任せたほうが良い。
聴いてくれる参加者、受け取り方はさまざまだろうと思う。自分としては、彼女の真っ直ぐなダイビングへの姿勢が受け取られ、それが、とても良いし、彼女の後援者、生徒などを惹きつけているところなのだろうと感じる。だから、演出シナリオとしてはこれでいい。自分のちょっと視点をずらしたようなシナリオは夾雑物でしかない。僕が質問しようと思っていたことについては、全部話してくれている。ただ、生理学的な部分についての、アクセントは、僕が訊いて答えてもらったほうが良かったのかなと思うが、それでは、生理学セミナーになってしまう。その部分は後半、の質疑のところでしようか、と考える。
しかし、その後半の質疑も、会場からかなりの質問があり、それにストレートに答えが帰ってきて、これでいい。残念ながら、僕の聴力は、質疑応答の間に入ってまとめることはできない。聴力が無いということは、二つの考えの間に立って、考えをまとめるということはできない。昔、そういうことが得意であったので、その感覚が自分に残っているが、もはや、むりなのだろうな。とおもう。
一言だけ、真鶴での競技会でのアクシデント修羅場の映像が流れて、凄いナマの映像で、安全ということを考える時、百の議論よりも一つの映像、こういう映像は当事者でなければ、発表できない。ストレートにこの映像を流して、まっすぐに説明と反省をしていた、フリーダイビングの集まりがあり、感動したので、そのことだけを話した。
しかし、その安全をクローズアップしてこの会をまとめたら、それは安全潜水の会になってしまう。それは意図したことではないので、それでも、安全を考えてしまう自分がいる。
冒険、チャレンジと安全から離れようとしながら、安全を持ってきてしまう。そのことが、僕を生き延びさせているのかもしれない。だから、それで良い。
フリーダイビングについて、いろいろ考えることがある。何故、生理学的な限界に挑むのかとか、しかし、ダイビングの本質は、冒険者としてのダイバーの本質は底にあるのかもしれない。とか、考えるが、岡本美鈴をはじめとして、フリーダイビングのトップランカーの女性はそれぞれ、とても魅力的だ。みんな、まっすぐに話して見たいとおもう。男性の第一人者である篠宮くんも、実はまだ一度も直に会ったことがない。そのうちに会いたいねと、お互いに言っているが、会ったとして、どういう会い方をすればよいのかよくわからない。どこかのパーティで顔を合わせても、何も話をしなくても、わかってしまう、という感じで終わるだろう。だから、言葉がなくて、お辞儀を繰り返すだけかもしれない。
水中撮影の鍵井くんも大好きなのだが、このまえ、ダイブビズショウで、久しぶりにばったり出会って、話すことも無く、そのままスレ違いにわかれることも勿体無く、互いに頭を下げる挨拶を繰り返していた。横で見ていた人は、どう思っただろう。しかし、言葉は伝わったと思う。ここに書くまでもない。書かない方がいい。
話を岡本美鈴にもどして、一緒に本を書けたことは、とてもよかった。まだ、販売のノルマが残っているので、僕たちから直に買ってもらいたいけれど、
共著とは、親戚になったと自分は思っているので、そのことを口に出して、ワークショップを終えてしまった。