ブログに書くことは決めていることなのだが、筆が進まない。
前夜、まず、カメラの整備をしている時、カメラと同じバッグに入れてあるダイブコンピューターが見つからない。慌てて、周囲を探し、この前のお台場で使ったのが最後だから、車にでもあるかと見たがない。失くしたという記憶が無い。もっとも記憶があれば、なくすわけはないか。ドライスーツを脱ぐときに、外す。外した後、カメラのバッグに入れるという手順は決めている。この前から、板敷きのベースを追い出されて、地面に座ることになった。そのことが、なくしやすい環境になっているかもしれない。
深く潜るつもりだから、ダイブコンピューターが無いと困る。最悪、荒川さんに借りる事になるかもしれない。
天気予報は雨、風も強くなるだろう。メッセージで増井さんが知らせてくる。しかし、前回。波浪予報が房総沖から、東京湾の館山あたりまで、真っ赤になっていて、波高、4mの予報で、中止したら、意味もわからずに凪だった。東京湾の風と波、潮は読み切れない。
とにかく、90%は出ることにした。念のために、AM600に連絡を入れる。
朝は凪だということでGO!
山本さんの車で、僕と増井さん、小俣さんは自分の車で行く。
今回は一番深い、水深45mの鉄骨魚礁 1番に潜る。
カメラを底から、5mの位置、10m、そして15mの三段にして、それを2本、1本は魚礁の芯に降ろし、1本は魚礁の側面に置く。
60歳を過ぎた頃から、チャレンジのイメージは、自分の身体の内側へのチャレンジ、危険は内側にある。65歳まではバリバリだ。75歳までは、頑張った。80歳は、ウエットスーツを着た夏は何の問題もない。しかし、冬、ドライスーツに拘束されて、首を締めたれ、11キロの鉛をつけ、15キロ以上のタンクを背負うことは、つらい。ブログに身体が辛いことを書く、弱音をはくことは嫌だ。
しかし、そのことがプレッシャーになっている。
1番の魚礁は、岸から遠いが、ブイは付いているので、さがさないで済む。
カメラを入れる。トラブルが一つ、NO SD SDの入れ忘れ。整備の時にダイブコンピューターが紛失しているのだ焦ってしまったのだろうか、
そう、ダイブコンピューターは事務所で、古いソリューションが、記念にとってある。60歳の100m潜水の時に、メーカーから寄贈してもらって使ったので、ヒストリーに99.4mが出ている。それから10年、2005年まで使って、引退させたが、その後、電池を入れ替えたはずだから、といっても忘れるほどの昔だが、もしも、動けばピンチヒッターとして使おう。要するにダイブコンピューターは、水深、水温が計測でき、減圧の指示が出れば、良い。10年、このダイブコンピューターで、かなり無理な潜水もやってきている。壊れてさえ居なければ自分の身体の一部になっている。
5台のカメラ、3連が一本、2連が一本、2本を入れて、そのうちの一本をダイバー作業で、魚礁の芯に降ろし1本をサイドに置く。
事件だ、僕がマスクを岸に忘れてきている。今更、どうすることもできない。山本さんと増井さんが第一陣で潜ってもらい。彼らが浮上してから、増井さんのマンティスを借りて、僕は小俣さんとバディでもグル。
ウエイトを着け、タンクを背負ったら、もはや、身動きできない。這って行って、頭から滑り落ちる。水中で態勢をたてなおす。足を下にしてドライスーツの空気を抜き、BCの空気を抜く。これだけで沈むのでは、オーバーウエイトで、20を超えてからが重い。潜降索、魚礁に着けたロープにたどり着くまでが、一仕事だ。数年前までは、水面でタンクを背負うのは大変だが、水に入ってしまえば、ベッドに寝転んでいるのと同じ打などと行っていたが、今では、ドライスーツでは意識してバランスを取らなければならない。
結局、ヘッドファーストで潜り込んで、ロープに向かった。足を上にすると空気が足に回って、沈まない。もう一度身体を立てて、空気を抜く。
こんな通常の動作を、ここに書かなければならないほど、意識してやっている。
10mを超えると潜降速度が早い。潜るのが頭からでも、ドライスーツではオーバーになり、身体が締められる。空気を入れ、BCにも空気を入れて、浮力を調整する。ちょっと耳抜きが追いつかない潜降速度になっていて、耳抜きをする。透明度は15m以上あって、10m潜れば、魚礁の上の部分が見える。小俣さんは後から、来るかと振り向いたが見えない。手に持っているGoProのスイッチを入れる。モニター付きを手持ちに着けているので、映像がでる。ここで僕は大変なミスをしてしまう。身体がどんどん落ちていて、30mぐらいで、ブレーキを掛けた能登、同時にGoProの操作をしている。シャッターを押していないのだ。モニターにでた絵を見ただけで、動画が回っていると錯覚している。魚礁の中に入って、周囲を撮る。実は撮っていないのだ。
マハタの稚魚といっても、30cmクラスを撮る。アズキハタがその後ろにいる。鮮やかな縞模様のあるトゴットメバルが点在して、ネンブツダイとキンギョハナダイの幼魚の群れが居る。カメラを向けたものは全部写っていると思い込んでいる。
一番下の段のカメラまで降りて、撮影する。海底は足の下だが、そこから浮上する。
ソリューションの読みで、40.5m,しばらくぶりで40mを越えた。浮上を開始する。途中でカメラを下に向けて、浮上してくる小俣さんを撮る。気泡がキラキラ上がってきて、良いカットだなと思う。
身体は思うように動かない。思うように、とは、40代、50代の身体のうごきを、身体は記憶していて、それとはちがう身体の動きに違和感を感じているのだ。一週間ほど、潜り込めば、バランスだけはもとにもどるかもしれない。きついけれど、夏にウエットスーツで自由に動けるためには、冬の間、ドライスーツで、実践でトレーニングしておかなくては、いけない。ロープを手繰りならラ、ソリューションを見て、速度のバーが、二つを越えないように、浮上する。昔を思い出して懐かしい。姿を消しているダイブコンピューターには、この目盛はない。
昔と今と違うところは、手でロープを掴んで、身体を支えて居るところだ。5mの停止点まで来て、潜水時間は15分だ。18分で浮上すればいい。
5mから水面までの浮上は、1分掛けるとか、簡単に言ってくれるけど、波高が1mもあれば、身体が揺さぶられて、出来るわけはない。無視して浮上すると、ソリューションにSLOW の表示がでる。これも昔通りで、この印がでないのは、本当に波静かな南の海でブイを浮かべて、リールを巻きながらの浮上でなければ、できない。
船に上がるのが一苦労だ。パイプで作った梯子の一番下の段に膝をつき、カメラを受け取ってもらう。二段上って、横に足を揚げて、フィンを外してもらう。水面に身体がでたところから、全重量が身体に掛かる。なんとか一人で上って、タンクを落とし、ウエイトを外す。常態にもどるまで、30秒ほどかかる。
実はこの時に、シャッターを押していないのではとフアンが頭をよぎる。
ソリューションでは、潜水時間19分、最大40.5m 水温は15度だった。
まともに動いている。
続く
なお、自分が写っている写真は小俣さん撮影のものです。
前夜、まず、カメラの整備をしている時、カメラと同じバッグに入れてあるダイブコンピューターが見つからない。慌てて、周囲を探し、この前のお台場で使ったのが最後だから、車にでもあるかと見たがない。失くしたという記憶が無い。もっとも記憶があれば、なくすわけはないか。ドライスーツを脱ぐときに、外す。外した後、カメラのバッグに入れるという手順は決めている。この前から、板敷きのベースを追い出されて、地面に座ることになった。そのことが、なくしやすい環境になっているかもしれない。
深く潜るつもりだから、ダイブコンピューターが無いと困る。最悪、荒川さんに借りる事になるかもしれない。
天気予報は雨、風も強くなるだろう。メッセージで増井さんが知らせてくる。しかし、前回。波浪予報が房総沖から、東京湾の館山あたりまで、真っ赤になっていて、波高、4mの予報で、中止したら、意味もわからずに凪だった。東京湾の風と波、潮は読み切れない。
とにかく、90%は出ることにした。念のために、AM600に連絡を入れる。
朝は凪だということでGO!
山本さんの車で、僕と増井さん、小俣さんは自分の車で行く。
今回は一番深い、水深45mの鉄骨魚礁 1番に潜る。
カメラを底から、5mの位置、10m、そして15mの三段にして、それを2本、1本は魚礁の芯に降ろし、1本は魚礁の側面に置く。
60歳を過ぎた頃から、チャレンジのイメージは、自分の身体の内側へのチャレンジ、危険は内側にある。65歳まではバリバリだ。75歳までは、頑張った。80歳は、ウエットスーツを着た夏は何の問題もない。しかし、冬、ドライスーツに拘束されて、首を締めたれ、11キロの鉛をつけ、15キロ以上のタンクを背負うことは、つらい。ブログに身体が辛いことを書く、弱音をはくことは嫌だ。
しかし、そのことがプレッシャーになっている。
1番の魚礁は、岸から遠いが、ブイは付いているので、さがさないで済む。
カメラを入れる。トラブルが一つ、NO SD SDの入れ忘れ。整備の時にダイブコンピューターが紛失しているのだ焦ってしまったのだろうか、
そう、ダイブコンピューターは事務所で、古いソリューションが、記念にとってある。60歳の100m潜水の時に、メーカーから寄贈してもらって使ったので、ヒストリーに99.4mが出ている。それから10年、2005年まで使って、引退させたが、その後、電池を入れ替えたはずだから、といっても忘れるほどの昔だが、もしも、動けばピンチヒッターとして使おう。要するにダイブコンピューターは、水深、水温が計測でき、減圧の指示が出れば、良い。10年、このダイブコンピューターで、かなり無理な潜水もやってきている。壊れてさえ居なければ自分の身体の一部になっている。
5台のカメラ、3連が一本、2連が一本、2本を入れて、そのうちの一本をダイバー作業で、魚礁の芯に降ろし1本をサイドに置く。
事件だ、僕がマスクを岸に忘れてきている。今更、どうすることもできない。山本さんと増井さんが第一陣で潜ってもらい。彼らが浮上してから、増井さんのマンティスを借りて、僕は小俣さんとバディでもグル。
ウエイトを着け、タンクを背負ったら、もはや、身動きできない。這って行って、頭から滑り落ちる。水中で態勢をたてなおす。足を下にしてドライスーツの空気を抜き、BCの空気を抜く。これだけで沈むのでは、オーバーウエイトで、20を超えてからが重い。潜降索、魚礁に着けたロープにたどり着くまでが、一仕事だ。数年前までは、水面でタンクを背負うのは大変だが、水に入ってしまえば、ベッドに寝転んでいるのと同じ打などと行っていたが、今では、ドライスーツでは意識してバランスを取らなければならない。
結局、ヘッドファーストで潜り込んで、ロープに向かった。足を上にすると空気が足に回って、沈まない。もう一度身体を立てて、空気を抜く。
こんな通常の動作を、ここに書かなければならないほど、意識してやっている。
10mを超えると潜降速度が早い。潜るのが頭からでも、ドライスーツではオーバーになり、身体が締められる。空気を入れ、BCにも空気を入れて、浮力を調整する。ちょっと耳抜きが追いつかない潜降速度になっていて、耳抜きをする。透明度は15m以上あって、10m潜れば、魚礁の上の部分が見える。小俣さんは後から、来るかと振り向いたが見えない。手に持っているGoProのスイッチを入れる。モニター付きを手持ちに着けているので、映像がでる。ここで僕は大変なミスをしてしまう。身体がどんどん落ちていて、30mぐらいで、ブレーキを掛けた能登、同時にGoProの操作をしている。シャッターを押していないのだ。モニターにでた絵を見ただけで、動画が回っていると錯覚している。魚礁の中に入って、周囲を撮る。実は撮っていないのだ。
マハタの稚魚といっても、30cmクラスを撮る。アズキハタがその後ろにいる。鮮やかな縞模様のあるトゴットメバルが点在して、ネンブツダイとキンギョハナダイの幼魚の群れが居る。カメラを向けたものは全部写っていると思い込んでいる。
一番下の段のカメラまで降りて、撮影する。海底は足の下だが、そこから浮上する。
ソリューションの読みで、40.5m,しばらくぶりで40mを越えた。浮上を開始する。途中でカメラを下に向けて、浮上してくる小俣さんを撮る。気泡がキラキラ上がってきて、良いカットだなと思う。
身体は思うように動かない。思うように、とは、40代、50代の身体のうごきを、身体は記憶していて、それとはちがう身体の動きに違和感を感じているのだ。一週間ほど、潜り込めば、バランスだけはもとにもどるかもしれない。きついけれど、夏にウエットスーツで自由に動けるためには、冬の間、ドライスーツで、実践でトレーニングしておかなくては、いけない。ロープを手繰りならラ、ソリューションを見て、速度のバーが、二つを越えないように、浮上する。昔を思い出して懐かしい。姿を消しているダイブコンピューターには、この目盛はない。
昔と今と違うところは、手でロープを掴んで、身体を支えて居るところだ。5mの停止点まで来て、潜水時間は15分だ。18分で浮上すればいい。
5mから水面までの浮上は、1分掛けるとか、簡単に言ってくれるけど、波高が1mもあれば、身体が揺さぶられて、出来るわけはない。無視して浮上すると、ソリューションにSLOW の表示がでる。これも昔通りで、この印がでないのは、本当に波静かな南の海でブイを浮かべて、リールを巻きながらの浮上でなければ、できない。
船に上がるのが一苦労だ。パイプで作った梯子の一番下の段に膝をつき、カメラを受け取ってもらう。二段上って、横に足を揚げて、フィンを外してもらう。水面に身体がでたところから、全重量が身体に掛かる。なんとか一人で上って、タンクを落とし、ウエイトを外す。常態にもどるまで、30秒ほどかかる。
実はこの時に、シャッターを押していないのではとフアンが頭をよぎる。
ソリューションでは、潜水時間19分、最大40.5m 水温は15度だった。
まともに動いている。
続く
なお、自分が写っている写真は小俣さん撮影のものです。