僕の8080計画について、ブログを呼んで、無謀、周囲の人がなぜ止めないのかというご指摘を頂いたが。ありがたいことです。
そして、周囲の人にも、しっかりと忠告をいただいている。だからということではないのだが、なぜ潜るのか。何のために、どうやって、と、安全と危険について考える。
この80m潜水、80mまで行くかどうかは別のこととして、これをやりながら、考えていこうと思う。机の上だけではなくて、スクーバの危険と安全、無謀と冒険について、手伝ってくれる仲間と考えて行くつもりで、それはその都度、書いても良いことについては、ブログにもフェイスブックにも書いていって、終わったらば本にまとめられたらいいと思っている。
この80m潜水、80mまで行くかどうかは別のこととして、これをやりながら、机の上だけではなくて、スクーバの危険と安全、無謀と冒険について考えて行くつもりで、それはその都度、書いても良いことについては、ブログにもフェイスブックにも書いていって、終わったらば本にまとめられたらいいと思っている。
写真は8080とは関係ないものです。インターバルの古い形です。80m潜水では、新しい形で使う予定です。
安全か危険かといえば、ダイビングは本来人間が生きてはいけない水中に入っていくのだから、間違いなく危険であり、その危険をどのようにしてか解決、克服して戻ってくる冒険がダイビングなのだと考えている。
その危険度は、当然のことだが加齢によって増加してくる。
しかし、身体能力もメンタル能力も低下していく課程のなかで、行動し考えていると、若く能力が今の何十倍もあったときには見えなかったもの、感じられなかったことが、見えてきて、感じられもする。
たとえば、オープンサーキットのスクーバでも、なぜ、こんな簡単なことで、20mよりも浅いところで、人は死ぬのだといつも疑問におもってきた。だから、ダイビング死亡事故は原因不明が多い。高齢になり、能力が低下すると、その原因不明の原因が見えてくる。その解決方法もみえてくる。
しかし、ダイビングは危険だから、いつでも命がけであって、年齢に関わらない。
これまで、生きてきて、幾度遺言を書いたことだろう。字でかいたことも何回かある。頭の中で別れを告げたことは数え切れない、極端にいえばダイビングの度に頭の中では遺言を書いている。40m以上潜る仕事のときは必ずと言っていいほど頭のなかで書く。クリスチャンが十時を切るのとおなじなのだろう。
しかし、60歳の100m潜水の時は書かなかった。計算し尽くして、他力本願になっていたからだと思う。今度80歳で80m潜ったとして、遺言を書くような状態だったら、先に延ばす。 こんな感じで8080で、書き進めて行く。
無謀ということをいえば、生まれて初めて潜水機を着けて潜るとき、それはだれにとっても無謀かもしれない。だから、最初に潜った時のことは生涯忘れることはない。いつでも目をつぶれば、そのときの状況を思い浮かべることができる。誰でも一番最初と言うのはある。だから、無謀でもチャレンジする。
もう一つ、80歳はハイブリッドなどと称してさらに訳のわからないことをやっている。このシステムの疑問点についてもこれまでいくつも指摘をいただいているし、今後もそのようだろう。しかし、だからこそやるのだともいえる。これまでやらない手法を試してみる、機材を試してみる。27歳の90mはデマンドバルブ付きのフルフェースマスクのテストとして日本初だった。自分で考えて作った潜水機だった。60歳の時は、新しいものを何一つ付け加えることがなかった。システム潜水に乗って、潜水させてもらった。だから不満でありフラストレーションが残っている。だから、今度は新しい潜水システムを作り出そうとおもった。そのシステムが使えない代物であったとしても、新しいことを実践、実証していけば、その過程で見えてくるものがある。
これはまた、別の時に書くつもりだが、生きるスタイルが各人各様であるのとおなじように、ダイビングのすたいるも各それぞれで、その良否は、問えない。というのが自己責任の原則だ。ただ、思い上がりは事故の重要な原因であると、自分を戒める。自分が関わった事故については、何十度も書く。同じことを繰り返さないためだ。自分の関わった事故は、サーフェスコンタクトがない、一人の潜水だった。だからそれは、事業者、社長だった僕の責任だった。命綱を重要視する理由でもある。
詳しいことは走りながら、泳ぎながら考えて、書いていく。
そんなことを2月21日(日曜日)朝5時、テレビ朝日の「はい、テレビ朝日です。」でちょっとだけ話をする。是非ごらんになってください。
そして、周囲の人にも、しっかりと忠告をいただいている。だからということではないのだが、なぜ潜るのか。何のために、どうやって、と、安全と危険について考える。
この80m潜水、80mまで行くかどうかは別のこととして、これをやりながら、考えていこうと思う。机の上だけではなくて、スクーバの危険と安全、無謀と冒険について、手伝ってくれる仲間と考えて行くつもりで、それはその都度、書いても良いことについては、ブログにもフェイスブックにも書いていって、終わったらば本にまとめられたらいいと思っている。
この80m潜水、80mまで行くかどうかは別のこととして、これをやりながら、机の上だけではなくて、スクーバの危険と安全、無謀と冒険について考えて行くつもりで、それはその都度、書いても良いことについては、ブログにもフェイスブックにも書いていって、終わったらば本にまとめられたらいいと思っている。
写真は8080とは関係ないものです。インターバルの古い形です。80m潜水では、新しい形で使う予定です。
安全か危険かといえば、ダイビングは本来人間が生きてはいけない水中に入っていくのだから、間違いなく危険であり、その危険をどのようにしてか解決、克服して戻ってくる冒険がダイビングなのだと考えている。
その危険度は、当然のことだが加齢によって増加してくる。
しかし、身体能力もメンタル能力も低下していく課程のなかで、行動し考えていると、若く能力が今の何十倍もあったときには見えなかったもの、感じられなかったことが、見えてきて、感じられもする。
たとえば、オープンサーキットのスクーバでも、なぜ、こんな簡単なことで、20mよりも浅いところで、人は死ぬのだといつも疑問におもってきた。だから、ダイビング死亡事故は原因不明が多い。高齢になり、能力が低下すると、その原因不明の原因が見えてくる。その解決方法もみえてくる。
しかし、ダイビングは危険だから、いつでも命がけであって、年齢に関わらない。
これまで、生きてきて、幾度遺言を書いたことだろう。字でかいたことも何回かある。頭の中で別れを告げたことは数え切れない、極端にいえばダイビングの度に頭の中では遺言を書いている。40m以上潜る仕事のときは必ずと言っていいほど頭のなかで書く。クリスチャンが十時を切るのとおなじなのだろう。
しかし、60歳の100m潜水の時は書かなかった。計算し尽くして、他力本願になっていたからだと思う。今度80歳で80m潜ったとして、遺言を書くような状態だったら、先に延ばす。 こんな感じで8080で、書き進めて行く。
無謀ということをいえば、生まれて初めて潜水機を着けて潜るとき、それはだれにとっても無謀かもしれない。だから、最初に潜った時のことは生涯忘れることはない。いつでも目をつぶれば、そのときの状況を思い浮かべることができる。誰でも一番最初と言うのはある。だから、無謀でもチャレンジする。
もう一つ、80歳はハイブリッドなどと称してさらに訳のわからないことをやっている。このシステムの疑問点についてもこれまでいくつも指摘をいただいているし、今後もそのようだろう。しかし、だからこそやるのだともいえる。これまでやらない手法を試してみる、機材を試してみる。27歳の90mはデマンドバルブ付きのフルフェースマスクのテストとして日本初だった。自分で考えて作った潜水機だった。60歳の時は、新しいものを何一つ付け加えることがなかった。システム潜水に乗って、潜水させてもらった。だから不満でありフラストレーションが残っている。だから、今度は新しい潜水システムを作り出そうとおもった。そのシステムが使えない代物であったとしても、新しいことを実践、実証していけば、その過程で見えてくるものがある。
これはまた、別の時に書くつもりだが、生きるスタイルが各人各様であるのとおなじように、ダイビングのすたいるも各それぞれで、その良否は、問えない。というのが自己責任の原則だ。ただ、思い上がりは事故の重要な原因であると、自分を戒める。自分が関わった事故については、何十度も書く。同じことを繰り返さないためだ。自分の関わった事故は、サーフェスコンタクトがない、一人の潜水だった。だからそれは、事業者、社長だった僕の責任だった。命綱を重要視する理由でもある。
詳しいことは走りながら、泳ぎながら考えて、書いていく。
そんなことを2月21日(日曜日)朝5時、テレビ朝日の「はい、テレビ朝日です。」でちょっとだけ話をする。是非ごらんになってください。