誕生日というものが来てしまった。昔のように、淡々と通過したい。何を書いても、歳をとったようでいやだ。フェイスブック、せっかくお祝いを言ってくださるのだから素直にありがとうと返さなくては、申し訳ないと思う。
脳の活動が緩くなると、フィルムの回転がおそくなるわけだから、普通に映写すると早送りになってしまう。一週間が一日に、一年が一月ぐらいが、今の感覚だ。
今年が勝負の年だね、とこの前M君に言われた。80歳で80m潜ると言っていたのに81になってしまった。その向こう側にあるものが見えない。
生涯にわたってやってきたリサーチダイビング、この20年余取り組んできた東京港の計画も、。。
何か目標を定めるとそれは、乗り越えなければならない壁を想定することなのだ。これは、人が生きている限り、何時でも、小学生の頃から同じ繰り返しだ。試験と言う壁。死と言う壁。
たんたんと継続だけがすべて、道の尽きるところまで歩く、登る姿勢もある。
「要約すると」というサマセット・モームの長いエッセイがある。大学時代に読んで感動した覚えがある。歳をとって、その視線から読んでみようとちょっと手にとったら、どうもちがう。「月と6ペンス」と混同しているようだ。こう書けば、ああ、あれか、と思いだしてくれる方もいるだろう。人生はタペストリーを編むのと同じ。
振り返れば、すべて、あのころは幸せで、今は不幸、記憶というイリュージョン、未来を見れば、夢というイリュージョン、現在だけが真実なのだと言っても人は、イリュージョンがなければ生きてゆけない。でも、今の自分に未来に夢はない。冒険者として倒れたいと言う夢はあるか。
ところで、冒険とは生き残ることだ、と定義すると、これも困ったことになる。
脳の活動が緩くなると、フィルムの回転がおそくなるわけだから、普通に映写すると早送りになってしまう。一週間が一日に、一年が一月ぐらいが、今の感覚だ。
今年が勝負の年だね、とこの前M君に言われた。80歳で80m潜ると言っていたのに81になってしまった。その向こう側にあるものが見えない。
生涯にわたってやってきたリサーチダイビング、この20年余取り組んできた東京港の計画も、。。
何か目標を定めるとそれは、乗り越えなければならない壁を想定することなのだ。これは、人が生きている限り、何時でも、小学生の頃から同じ繰り返しだ。試験と言う壁。死と言う壁。
たんたんと継続だけがすべて、道の尽きるところまで歩く、登る姿勢もある。
「要約すると」というサマセット・モームの長いエッセイがある。大学時代に読んで感動した覚えがある。歳をとって、その視線から読んでみようとちょっと手にとったら、どうもちがう。「月と6ペンス」と混同しているようだ。こう書けば、ああ、あれか、と思いだしてくれる方もいるだろう。人生はタペストリーを編むのと同じ。
振り返れば、すべて、あのころは幸せで、今は不幸、記憶というイリュージョン、未来を見れば、夢というイリュージョン、現在だけが真実なのだと言っても人は、イリュージョンがなければ生きてゆけない。でも、今の自分に未来に夢はない。冒険者として倒れたいと言う夢はあるか。
ところで、冒険とは生き残ることだ、と定義すると、これも困ったことになる。