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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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新しい年を迎えて.さて、何を書こうか迷っている。しかし、何かを書こうとするとき、まよっていることを書いてはいけない。
 やはり、80歳で80m潜ることを書こう。2016年で81歳になってしまうのだ。週刊朝日に発表などしてしまったので、「どうしたのですか?結果を知らせてください。」などと言われる。とりあえず、なんとか現状を説明しなくてはならない。
 あまり長く、くどく書くよりは、プツンプツンとかいたほうがブログ的だ。その間にトピックスがあったら挟んで行けばよい。そんな方針で進んでいこう。
  このテーマはすでに書き始めている。命綱、サーフェスコンタクトについてがそれだ。書きダブルことになるが、ブログはダブっても繰り返しても良いことにしている。時間が経てば考えも変わってくるし、書いているうちに考えがかわることだってある。もしもうまくいって、本にでもなおすとか。月刊ダイバーに連載ということにでもなれば、まとめて整理すれば良い。それまでは、かなり滅裂だが、試行錯誤を重ねて行こうとしているのだから、支離滅裂でも仕方がない。それから、もう一つ東京港生物研究会のテーマで実現困難な企画をしている。そのことも書くことになるので、これも試行錯誤で混乱するだろう。
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60歳100mでチャーターした新生丸 

 まず、なぜ80歳で80mなんてことを言い出したのか。
 60歳の記念に100m潜水をやった。おおがかりなバウンス潜水で、お金もかかった。。400トンの船をチャーターした。この母船の一日のチャーター料金で、80歳の80mは実行できてしまう。落ち惚れたものだと、肩を落とそうか。とにかく、60歳の100mはお金もかかったし、総指揮をお願いし、ヘリウムガスの都合もつけてくれた、石黒さんはじめ、たくさんの方のお世話になった。そして、ここから先、あと20年80歳まで、現役のリサーチダイバーと言える形でダイビングを続けようと決めた。
 60歳から見上げた20年、80歳は急峻な壁に見えた。一回のダイビングで冒険をするよりも、20年の方が、生涯最大の冒険だと思った。事実、冒険だった。胃ガンにもなったし、経営している会社の始末をつけるのも苦難だった。危機一髪のダイビングもやった。
 しかし、本当に20年は過ぎてしまい、今も、とにかくリサーチダイバーの形で潜っている。
 ここから先のことは別として、一応、締めなくてはならない。一本締めか、三本締めか、とにかく締めなくては、先に進めない。
 そこで、80歳80mと語呂合わせのような呪文をとなえた。そしたら、週刊朝日が取り上げ、朝日新聞の天声人語にもでた。高齢化社会の一つの形として、フィットしたのだろう。
  
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    さて、80m潜るとして、まず、常識的に考えられるのは、リブリーザであり、テクニカルダイビングである。70歳のときに、リブリーザ、「インスピレーション」を購入し、講習も受けた。講習は不合格だった。不合格の理由は、下手くそなのだろう。ダイビング事故の基は、病気、下手くそ、思い上がり、だと僕は唱えてきた。
 下手くその理由は、バランスが悪いことが、まず一点として挙げられる。僕は、テレビのカメラマンとして、絶対のバランスを誇っていた。中性浮力で静止して、撮影対象にフィックスして、360度巡りながら撮影できる訓練をした。しかし、その中性浮力の静止は、肺呼吸によるものだった。これが、習い性となっている。
 不合格でも講習を受け続ければ、合格したかもしれない。1回の講習が10万として、10回で100万。100万の元がとれる仕事があれば良い。しかし、70歳、すでに僕は、自分が潜水することで、100万の元を取る。売上金額で1000万の仕事はとれなくなっていた。撮影の仕事は、中川に譲っていたし、調査の現場仕事は、田沼に任せていた。僕に仕事は残っていない。
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     リブリーザー インスピレーション 辰巳にて。

 自分が練習するのはやめにしたが、この決断は、後になって正解だったとわかる。
 JAUSを始めて、久保彰良理事が創ってくれた基本練習プログラム、プライマリーコースは水平姿勢で完全な静止が求められるが、これができない。これも50年の習いが性になっていて、カメラを持つと、30ー40度の前傾姿勢になってしまう。

 

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