企画書をかくために古い資料を見ていると、CDに保存していた文書がある。2000年、ごろだ。21世紀を前にして、お台場でなにかやろう。それでこんなことを考えた。今の自分の企画とずいぶんと違う。
結局は実現しなかった企画だが、抄録する。
最後のくだりに、「 あと5年、ダイバーたちがこの海に潜ることが普通になり、浄化のメッセージを発信し続ければ、東京の海の環境も変わって行くはずである。子供たちのスノーケリングも始められるかも知れない。お台場の海、港の海は、良くも悪くも人の手が加わった環境である。充分な研究のもとに行うならば、人の手による環境の改変も行うべきである。そのためにも、潜り続け、研究の場にすることが必要である。」と締めたが
あれから15年たった。何も変わっていない。
2000 お台場ダイバーズフェスティバル
企画 須賀次郎(全日本潜水連盟・アアク・ファイブ・テレビ)
私たち、お台場の水中を定点潜水観察しているグループは、お台場の水が一番きれいになる冬、2000年1月から2月にかけて、お台場の水中から、世界の水環境保全と復活を願うメッセージを発信する。
お台場は、東京の水環境のリトマス試験紙です。
お台場の水環境が良くなって行くことは、世界の水環境が良くなっている証です。
お台場にダイバーが潜れなくなれば、東京湾の魚は食べられなくなり、それは世界の海にもつながり、人という種類の生物が地球上に生きて行かれなくなることにつながります。
だから、私たちはお台場の海に潜ります。
お台場の海は、東京湾の行き止まり、東京港の奥です。そしてまた、東京の中心を流れてくる隅田川が海に注ぐ河口に近く、隅田川の影響も強く受けています。
お台場の水は、東京湾でも一番汚れているはずです。しかし、それでもなお、お台場の海の中には、沢山の生物がけなげに生きています。お台場のヘドロの海底には、江戸前のマハゼが深い巣穴を掘って産卵しています。私たちは、この東京の象徴とも言うべき海に隔月で定点潜水観察を行っています。
行事内容
Ⅰ 潜水活動
①現在定点潜水を行っているグループ(東京湾潜水探検隊、東京大学海洋調査探検部、東京水産大学潜水部、全日本潜水連盟)がそれぞれ、テーマを決めて、1月下旬から2月中旬にかけて、述べ10日間、毎週末、お台場海浜公園の水中の定点を連続潜水観察し、この東京の象徴ともいうべき海を徹底的に調査検証する。
※学術的なバックアップとしては、グループの中心である東邦大学助教授風呂田利夫が現地でのアドバイスを行い、東京都水産試験場、東京水産大学に協力をお願いする。
②潜水の度に、必ず海底の廃棄物を回収し、定点を徹底的にクリーンアップする。
③首都圏のダイバーに呼びかけ、お台場の水中を体験してもらい、今後の活動の参加者を増やす。
④スチルカメラ、デジタルビデオカメラ、ハイビジョンカメラなど、使用できるカメラを総動員し、徹底的に水中撮影を行う。
⑤これまで、お台場の水中を舞台に活動をしてきた水中カメラマン、お台場に潜水したことのあるタレントなどにゲストとして協力をお願いし、一緒に潜水する。
Ⅱ メッセージの発信(テレビ番組)
考えられる案
①北海道紋別流氷タワーの水中、沖縄・慶良間のサンゴ礁水中、お台場の水中を結んで、それぞれの水中を対比させ、水中環境について話し合う。同時水中中継、できなければ水中はビデオで、トークは中継。
②お台場と同様な、世界の港内奥深くの水中を紹介して比べる。ハワイ・真珠湾、ニューヨーク・ハドソン川など。
③お台場水中の徹底的な紹介
一年を通じて撮影したビデオ、行事期間にテーマを決めて撮影してビデオを紹介する。
Ⅲ 提言
①現在、お台場海浜公園の廃棄物の寄り場となっている潜水定点が港内での生物環境調査、人工海浜の水中環境研究の場となるような施設建設
具体的には、風を避ける脱衣場、器材の洗い場、ゴムボートなどの格納場所になるような小さな建物で良い。実際的な研究は、至近にある研究施設も利用できるし、メンバー各自の研究施設でも可能。
②内湾浄化の象徴種として、アマモの移植
現状ではとても生育の見込みがたたないので、砂の浄化作用を大きく利用して、タイドプールを作れば可能性があると風呂田氏は言っている。
タイドプールは、近在小中学生の理科観察の場ともなる。
③お台場に入る屋形船など観光船の排泄物垂れ流しの禁止
世界の港で、排泄物処理が出来ない船の入港を認めているのは、文化国家を自認する国としては日本だけである。
お台場潜水と私たちの活動の沿革
1950年代、昭和30年前後、日本の自然は豊かで、日本に潤沢にあるものはきれいな水などと言われていたが、その頃の東京湾は死の海であり、東京の都市河川は死の川だった。生産第一から、公害の防止が第一になり、少しづつ都市河川もきれいになり、東京湾も生物が豊かになってきた。
1970年代、昭和50年前後、お台場に潜水するダイバーたちが現れた。東京に住むダイバーたちにとって、一番近い海だったからであろう。東京都水産試験場は、マハゼの産卵の潜水調査を行うようになったし、中村征夫は、この海に潜水し撮影して、出世作である「全東京湾」を書いた。これに刺激を受けて、東京大学海洋調査探検部など、学生たちのグループがお台場近辺で潜水をはじめた。濁って汚い海ではあったが、生物が豊かであり、環境を観察する絶好のテーマもそこにはあった。何よりも近くてお金がかからないことが、良かった。
ところが、ここが公園になると、ウインドサーフィンの場とはなったが、ダイバーの潜水は、二重三重の許可が必要になり、しかも、ウインドサーフィンに気兼ねをしてでなければ、潜水できなくなった。
港湾の汚染防止、事故防止を司る海上保安部にも、ダイビングのエキスパートが多い。お台場潜水の許可を行う海上保安部の絶大な協力を得て、1996年より、6月の環境月間に、お台場の水中を有志ダイバーが潜水してクリーンアップする行事がはじまった。ただ、廃棄物を拾い集めるだけではない。「東京港を泳げる海に」というキャッチフレーズのもとに長期的な見通しの上に立った行事を目指した。「泳げる」と言えば、すでにダイバーは泳いでいるではないか。目指すものは、ダイバーの潜水だけでなく、子供たちが楽しくスノーケリングができるような環境である。
時を同じくして、新しく出来たお台場の町づくり、町の住民、子供たちの行事としての砂浜のクリーンアップと同調することができた。第3回の1998年からは、地域自治体の港区の「港区スポーツふれあい文化健康財団(以下、ふれあい財団と略称)」が、事務方の中心になって運営をして下さることになった。東京都水産試験場も、地元子供たちのための生物教室を同時に開催することになった。
あと5年、ダイバーたちがこの海に潜ることが普通になり、浄化のメッセージを発信し続ければ、東京の海の環境も変わって行くはずである。子供たちのスノーケリングも始められるかも知れない。お台場の海、港の海は、良くも悪くも人の手が加わった環境である。充分な研究のもとに行うならば、人の手による環境の改変も行うべきである。そのためにも、潜り続け、研究の場にすることが必要である。
結局は実現しなかった企画だが、抄録する。
最後のくだりに、「 あと5年、ダイバーたちがこの海に潜ることが普通になり、浄化のメッセージを発信し続ければ、東京の海の環境も変わって行くはずである。子供たちのスノーケリングも始められるかも知れない。お台場の海、港の海は、良くも悪くも人の手が加わった環境である。充分な研究のもとに行うならば、人の手による環境の改変も行うべきである。そのためにも、潜り続け、研究の場にすることが必要である。」と締めたが
あれから15年たった。何も変わっていない。
2000 お台場ダイバーズフェスティバル
企画 須賀次郎(全日本潜水連盟・アアク・ファイブ・テレビ)
私たち、お台場の水中を定点潜水観察しているグループは、お台場の水が一番きれいになる冬、2000年1月から2月にかけて、お台場の水中から、世界の水環境保全と復活を願うメッセージを発信する。
お台場は、東京の水環境のリトマス試験紙です。
お台場の水環境が良くなって行くことは、世界の水環境が良くなっている証です。
お台場にダイバーが潜れなくなれば、東京湾の魚は食べられなくなり、それは世界の海にもつながり、人という種類の生物が地球上に生きて行かれなくなることにつながります。
だから、私たちはお台場の海に潜ります。
お台場の海は、東京湾の行き止まり、東京港の奥です。そしてまた、東京の中心を流れてくる隅田川が海に注ぐ河口に近く、隅田川の影響も強く受けています。
お台場の水は、東京湾でも一番汚れているはずです。しかし、それでもなお、お台場の海の中には、沢山の生物がけなげに生きています。お台場のヘドロの海底には、江戸前のマハゼが深い巣穴を掘って産卵しています。私たちは、この東京の象徴とも言うべき海に隔月で定点潜水観察を行っています。
行事内容
Ⅰ 潜水活動
①現在定点潜水を行っているグループ(東京湾潜水探検隊、東京大学海洋調査探検部、東京水産大学潜水部、全日本潜水連盟)がそれぞれ、テーマを決めて、1月下旬から2月中旬にかけて、述べ10日間、毎週末、お台場海浜公園の水中の定点を連続潜水観察し、この東京の象徴ともいうべき海を徹底的に調査検証する。
※学術的なバックアップとしては、グループの中心である東邦大学助教授風呂田利夫が現地でのアドバイスを行い、東京都水産試験場、東京水産大学に協力をお願いする。
②潜水の度に、必ず海底の廃棄物を回収し、定点を徹底的にクリーンアップする。
③首都圏のダイバーに呼びかけ、お台場の水中を体験してもらい、今後の活動の参加者を増やす。
④スチルカメラ、デジタルビデオカメラ、ハイビジョンカメラなど、使用できるカメラを総動員し、徹底的に水中撮影を行う。
⑤これまで、お台場の水中を舞台に活動をしてきた水中カメラマン、お台場に潜水したことのあるタレントなどにゲストとして協力をお願いし、一緒に潜水する。
Ⅱ メッセージの発信(テレビ番組)
考えられる案
①北海道紋別流氷タワーの水中、沖縄・慶良間のサンゴ礁水中、お台場の水中を結んで、それぞれの水中を対比させ、水中環境について話し合う。同時水中中継、できなければ水中はビデオで、トークは中継。
②お台場と同様な、世界の港内奥深くの水中を紹介して比べる。ハワイ・真珠湾、ニューヨーク・ハドソン川など。
③お台場水中の徹底的な紹介
一年を通じて撮影したビデオ、行事期間にテーマを決めて撮影してビデオを紹介する。
Ⅲ 提言
①現在、お台場海浜公園の廃棄物の寄り場となっている潜水定点が港内での生物環境調査、人工海浜の水中環境研究の場となるような施設建設
具体的には、風を避ける脱衣場、器材の洗い場、ゴムボートなどの格納場所になるような小さな建物で良い。実際的な研究は、至近にある研究施設も利用できるし、メンバー各自の研究施設でも可能。
②内湾浄化の象徴種として、アマモの移植
現状ではとても生育の見込みがたたないので、砂の浄化作用を大きく利用して、タイドプールを作れば可能性があると風呂田氏は言っている。
タイドプールは、近在小中学生の理科観察の場ともなる。
③お台場に入る屋形船など観光船の排泄物垂れ流しの禁止
世界の港で、排泄物処理が出来ない船の入港を認めているのは、文化国家を自認する国としては日本だけである。
お台場潜水と私たちの活動の沿革
1950年代、昭和30年前後、日本の自然は豊かで、日本に潤沢にあるものはきれいな水などと言われていたが、その頃の東京湾は死の海であり、東京の都市河川は死の川だった。生産第一から、公害の防止が第一になり、少しづつ都市河川もきれいになり、東京湾も生物が豊かになってきた。
1970年代、昭和50年前後、お台場に潜水するダイバーたちが現れた。東京に住むダイバーたちにとって、一番近い海だったからであろう。東京都水産試験場は、マハゼの産卵の潜水調査を行うようになったし、中村征夫は、この海に潜水し撮影して、出世作である「全東京湾」を書いた。これに刺激を受けて、東京大学海洋調査探検部など、学生たちのグループがお台場近辺で潜水をはじめた。濁って汚い海ではあったが、生物が豊かであり、環境を観察する絶好のテーマもそこにはあった。何よりも近くてお金がかからないことが、良かった。
ところが、ここが公園になると、ウインドサーフィンの場とはなったが、ダイバーの潜水は、二重三重の許可が必要になり、しかも、ウインドサーフィンに気兼ねをしてでなければ、潜水できなくなった。
港湾の汚染防止、事故防止を司る海上保安部にも、ダイビングのエキスパートが多い。お台場潜水の許可を行う海上保安部の絶大な協力を得て、1996年より、6月の環境月間に、お台場の水中を有志ダイバーが潜水してクリーンアップする行事がはじまった。ただ、廃棄物を拾い集めるだけではない。「東京港を泳げる海に」というキャッチフレーズのもとに長期的な見通しの上に立った行事を目指した。「泳げる」と言えば、すでにダイバーは泳いでいるではないか。目指すものは、ダイバーの潜水だけでなく、子供たちが楽しくスノーケリングができるような環境である。
時を同じくして、新しく出来たお台場の町づくり、町の住民、子供たちの行事としての砂浜のクリーンアップと同調することができた。第3回の1998年からは、地域自治体の港区の「港区スポーツふれあい文化健康財団(以下、ふれあい財団と略称)」が、事務方の中心になって運営をして下さることになった。東京都水産試験場も、地元子供たちのための生物教室を同時に開催することになった。
あと5年、ダイバーたちがこの海に潜ることが普通になり、浄化のメッセージを発信し続ければ、東京の海の環境も変わって行くはずである。子供たちのスノーケリングも始められるかも知れない。お台場の海、港の海は、良くも悪くも人の手が加わった環境である。充分な研究のもとに行うならば、人の手による環境の改変も行うべきである。そのためにも、潜り続け、研究の場にすることが必要である。