特に写真の無いテーマの場合、困ってしまう。写真を何も載せないと、顔写真がフェイスブックにでてしまう。
でタカノケフサイソガニ 昔、保高くんが撮ったものだ。彼がお台場に現れなくなってもう何年だろう。
内耳のトラブルがあったためかもしれない。 未だ治らないのだろうか。ダイバーに取って、耳は致命的なのだ。
ほぼ隔日でブログをアップすると決めている。他の企画書などで書くことが忙しいと、だいたいが忙しいのだが、思いついたことの書きなぐりになる。とんでもない間違いを書いていることもある。きちんとしたことを書くための下書きなのだと自分に言い訳しても、それを読んでいただけることでもあるのだから、無責任だと下を向いてしまう。
自己責任だとか、管理責任だとか、かなり重い、大事なことを書きなぐっていると、これで良いのか、という反省が身に迫ってくる。
企画書にしても、一言一句、身を削る思いで書いても、リリースしてしまえば、時間経過でどんどん自分の中でもいるあせてくる。
資料として映像を用意しようとするとき、昔の事例だと、動画と静止画が平行して用意できることがほとんどない。スチルが二三枚だ。
ああ、そういうことなんだなと思う。一つのテーマ、一つの調査記録、で100枚の静止画と3分の動画が整理された状態で取り出せるようにしておくこと。これが目標で十分なのだが、その整理がたいへんなのだ。でもやらなければ。
人間関係というくらいで、人の悩みの多くは人間のかんけいだ。若い頃は、人間関係に悩むと、ディメンジョンが違う。次元が違うのだと自分を慰められたが、ほとんどのことについて結論がでてしまっている高齢では、この自分に対しての言い訳が通用しない。