13日のシンポジユウム、自分としては、自分のダイビングのまとめと、その上に立っての今後を示唆することが目標だった。JAUSも5年目を過ぎ、模索してきた途をはっきりとさせたい。
自分のダイビングについては、冒険、探検、科学がキーワード、この歳になって冒険とは?
高齢を生きるということ、それは冒険そのものなのだ、そして、すぐ目の前には、避けることが絶対に出来ない死という最後で最大の冒険が待っている。
60歳で100m潜ったとき、ここから先、20年をダイバーとして生きること、下世話にいうと生涯現役という目標をたて、この20年が生涯最大の冒険だと思った。
しかし、80歳になりそれも終わってしまった。後は、死という冒険が残されているのだが、その前に、生きられる間はダイバーとして、価値ある生を生きなくてはならない、
自分を中心に置いてしまうこと、それは気が引けたが、後残すところいくばくだから、自分は自分として全力を尽くすことにした。
成功したかどうかはわからない。人生とはわからないものなのだ。
JAUSの進んで行く道をはっきりと見つけたい。この目標について、
少なくともスタイルは出したかった。JAUSとはこういう団体だと。まず、メンバーみんなでやる、進むということ。
よく、業界という言葉が使われる。自分が業界の人だろうか、あまり業界の人にはなりたくない。しかし、業界の妨げをしては、いけない。平行して、助け合う途を探す。また、指導団体と同じことをしてはいけない。物事は言葉では総括できない。形で示さなくてはいけない。それがシンポジウムだ。
ユーザーユニオンという言葉も考えた。しかしちがう。業界と対立する匂いがする。平行して補うものでありたい。
上から教えられること指導されることではなく、自分の活動を樹立すること、平たく言うとダイビングでなにが出来るのか、ダイビングを道具としてなにが出来るのか、そう考えた時、それは、60年前の潜水科学協会への回帰だった。
このシンポジユウムで達成できたとは、いえない。そもそも一回のシンポジウムで達成できることではないのだ。
活動の道を求めている団体であることは、示せた。とおもう。
具体的に考えて見よう。
シンポジユウムでは、まず「映像ありき」調査、研究とは撮影で実証され表現される。出来る限り映像で、絵で表現したい。
成功したかどうかは、わからないが、悪くはなかったと思う。
いくつか、賛辞をいただいた。新藤健一さんからいただいたものについては、前回披露したが、うれしかった要点は「JAUSは、撮影が水中活動の最重要なファクターと考え、サイエンスダイビング、リサーチダイビングによる撮影を活動の中心に据えている。したがって調査結果はもちろんだが、開発した撮影機器とその運用によって、何が撮れるか、何がわかるのかの手法も研究しているので実に楽しいクリエイティブな団体になっている。」
小池潔さん からも賛辞をいただいた。フェイスブックでの書き込みである。 小池さんさんは、Marine office Moonbay 代表、The Jane Goodall Institute Japan 理事長であり、。チンパンジーと自然の密林の中で親類関係を結んだ、グードル博士の日本における活動の中心になっていたり立派な活動を継続している。JAUSの理事である、慶良間在住の井上慎也君と琉球大学で同級のはずである。
嬉しかったので、そのまま引用させてもらう。
「12/13(日)、海洋大で開催された、JAUS 第5回ダイビング活動研究シンポジウムにおじゃまして来ました。
心から楽しませていただきました。
あー、そもそもまさに、こういう感じに憧れていつか私もダイビングというものがしてみたいと思い始めたんですー!と何度も心の中で叫んでいました。
須賀さんの1963年の潜水記録映像に胸は高鳴り、後藤さん追悼「マチャアキ海を行く」の、ウツボに咬まれながらも、穴から出して輪くぐりをさせようと奮闘する姿に爆笑しました!...
自分のダイビングについては、冒険、探検、科学がキーワード、この歳になって冒険とは?
高齢を生きるということ、それは冒険そのものなのだ、そして、すぐ目の前には、避けることが絶対に出来ない死という最後で最大の冒険が待っている。
60歳で100m潜ったとき、ここから先、20年をダイバーとして生きること、下世話にいうと生涯現役という目標をたて、この20年が生涯最大の冒険だと思った。
しかし、80歳になりそれも終わってしまった。後は、死という冒険が残されているのだが、その前に、生きられる間はダイバーとして、価値ある生を生きなくてはならない、
自分を中心に置いてしまうこと、それは気が引けたが、後残すところいくばくだから、自分は自分として全力を尽くすことにした。
成功したかどうかはわからない。人生とはわからないものなのだ。
JAUSの進んで行く道をはっきりと見つけたい。この目標について、
少なくともスタイルは出したかった。JAUSとはこういう団体だと。まず、メンバーみんなでやる、進むということ。
よく、業界という言葉が使われる。自分が業界の人だろうか、あまり業界の人にはなりたくない。しかし、業界の妨げをしては、いけない。平行して、助け合う途を探す。また、指導団体と同じことをしてはいけない。物事は言葉では総括できない。形で示さなくてはいけない。それがシンポジウムだ。
ユーザーユニオンという言葉も考えた。しかしちがう。業界と対立する匂いがする。平行して補うものでありたい。
上から教えられること指導されることではなく、自分の活動を樹立すること、平たく言うとダイビングでなにが出来るのか、ダイビングを道具としてなにが出来るのか、そう考えた時、それは、60年前の潜水科学協会への回帰だった。
このシンポジユウムで達成できたとは、いえない。そもそも一回のシンポジウムで達成できることではないのだ。
活動の道を求めている団体であることは、示せた。とおもう。
具体的に考えて見よう。
シンポジユウムでは、まず「映像ありき」調査、研究とは撮影で実証され表現される。出来る限り映像で、絵で表現したい。
成功したかどうかは、わからないが、悪くはなかったと思う。
いくつか、賛辞をいただいた。新藤健一さんからいただいたものについては、前回披露したが、うれしかった要点は「JAUSは、撮影が水中活動の最重要なファクターと考え、サイエンスダイビング、リサーチダイビングによる撮影を活動の中心に据えている。したがって調査結果はもちろんだが、開発した撮影機器とその運用によって、何が撮れるか、何がわかるのかの手法も研究しているので実に楽しいクリエイティブな団体になっている。」
小池潔さん からも賛辞をいただいた。フェイスブックでの書き込みである。 小池さんさんは、Marine office Moonbay 代表、The Jane Goodall Institute Japan 理事長であり、。チンパンジーと自然の密林の中で親類関係を結んだ、グードル博士の日本における活動の中心になっていたり立派な活動を継続している。JAUSの理事である、慶良間在住の井上慎也君と琉球大学で同級のはずである。
嬉しかったので、そのまま引用させてもらう。
「12/13(日)、海洋大で開催された、JAUS 第5回ダイビング活動研究シンポジウムにおじゃまして来ました。
心から楽しませていただきました。
あー、そもそもまさに、こういう感じに憧れていつか私もダイビングというものがしてみたいと思い始めたんですー!と何度も心の中で叫んでいました。
須賀さんの1963年の潜水記録映像に胸は高鳴り、後藤さん追悼「マチャアキ海を行く」の、ウツボに咬まれながらも、穴から出して輪くぐりをさせようと奮闘する姿に爆笑しました!...