25日26日、JAMSTECの訓練プールでの講習は、プライマリーコースと早稲田水中クラブ二つの講習を併行させ行った。
早稲田水中クラブとの縁は、7ー8年になるだろうか。
僕の主治医である河合先生の息子さんに潜水を教えたのが、彼が小学校6年の時だった。土肥の101へ連れていった。中学生の時には、お父さんの河合先生とともにケラマツアーに行った。大学は早稲田の法科に入り、水中クラブに入ったと聞き、またお父さんともども一緒に潜りに行かれますね。と言ったら、このクラブはクラブでの潜水以外は、たとえ親子であっても禁止だそうで、なかなか厳しいクラブなのだ。
彼が3年の時にまた縁が生まれた。クラブは蓮根のプールを借りて練習していたのだが、二年生と一年生が組になってマンツーマンで指導をしているのだが、一年生がスキンダイビングでマスククリアーをするのに付き添っていた二年生がブラックアウトしたのだ。幸い大事には至らなかったのだが、資格のある責任者がついていなければ、早稲田のクラブはお断りといわれてしまった。そこで、辰巳の国際水泳場を借りることになったのだが、当時の辰巳は厳しくて、ダイビングの指導ができる有資格者がつきそっていなければ、使わせてくれなかった。そこで、その頃、辰巳国際のの主催する講習などをやらせてもらっていた僕がつきあうことになった。
このクラブの基本的な方針が、自分たちだけでやる、ということで、ちょっとした
注意をするだけにとどまった。やがて、河合正男君は卒業し、彼は卒業後にクラブにかかわらなかったので、クラブとは、指導する縁は切れたが、使用するタンクの供給を頼まれた。30本からのタンクを運び、撤収するのは自分ではできないので、空気屋さんに依頼したが、自分が付き添うことはなかった。
JAUSが発足し、JAMSTEC(海洋研究開発機構)のプールでプライマリーコースをやるようになり、ここでやれば、空気の供給もできるし、辰巳では一日に2時間しか使えないのに、5時間使える。上級生にはプライマリーコースを受けてもらって、指導してもらえば、技術的に向上する。これが、一昨年2011年だった。2012年、も同様にして、今年2013年は、一年生のcカード講習も一緒にやったらよいのではと話し合った。もう少し関わった方が良いのではないかと判断したためだ。
このクラブは、一年生の指導は、2年生、3年生の二人が一年の新入生一人に付き添って実技講習が進んで行く。二年生は一年生の指導をすることでダイバーとして成長して行くのだから、良いシステムだとは、思っている。その様子をサイドから見守り、一年にも二年にも適切な注意と指導をして行き、規定通りの実技ができ、ペーパーテストができれば、cカードを出すことができる。練習時間数は、十分すぎるほどである。プライマリーの指導員でもある米沢インストラクターにお願いした。彼は全日本潜水連盟のコースディレクターでもある。
僕は、自分のトレーニングと、カメラのテストを行っていたが、カメラテストの撮影対象として観察したが、一年生を教える二年生を見ていた。一年生が下手なのは当たり前で、二年生の実力を見ることはしていなかった。
二日目にちょっとしたお話をしたが、とにかく一番大事なことは、決して一人にはしないこと、死ぬのならばバディで死ぬようにと、相変わらず過激なことを言ったりしたが、とにかく、学生のダイビングではそのくらいバディが大事だ。幸いにして、このクラブはとてもよいチームワークを持っている。それをなによりも大事にすること、この講習だけで、もはや見ることもない彼らを海に送り出すのだから、チームワークだけが頼りだ。技能そのものは、安全にはあまり関係ないと実はおもっている。しかし、テクニックの訓練はいくら厳しくやっても、そのことで事故を起こすことはない。そのようにプログラムが作られている。そして、たくさん練習すればするほど、危険は少なくなる。海に行っての合宿でも、その練習を主体に行動すれば、危険が少なくなるし、面白い。格好も良くなる。
一年生はこの後、たぶんNAUIのレスキューコースを受ける予定らしい。それはとてもよいことだが、本気のレスキュートレーニングをやると、それで事故を起こしてしまう。一年生の女の子を見ると、自分がレスキューをする立場には、フィジカルで無理のように見える。無理をしないように、と注意した。
早稲田のプログラムには、一年生の講習に緊急浮上と水中脱着という項目があったが、緊急浮上練習は危ない。水中脱着も今回の練習で仕上げるのは、時間的にとても無理だし、最近では、プール底に腰を下ろしてする脱着は、あまりやらない。
水面脱着を完全にできるようにとプログラムを変更した。水面脱着は、小さなボートを使うときも、レスキューの際も重要だ。
水中脱着も、水面脱着も、目的はBC.のチューニング(体に合わせる、使いこなす)練習だ。見本を示したが、寄る年波である。あまりかっこよくできなかった。理由を言うと長くなる。では、やってみてくださいとやらせると、一瞬で着けた奴がいる。3年生の小林君だ。小林君という名前は、最初の日に、上級生の名前を確認したときに覚えた。岸さんも覚えた。他に何人か覚えたが忘れてしまった。
何でも一緒にやってみないといけないものだ。少し認識を変えた。認識を変えて
小林君などをみると上手だ。そのままプライマリーに楽勝で合格する。
もう一人の上級生、羽生君が学部転入試験で不在になってしまったので、小林君が責任者で、彼に相談した。彼の意見ではプライマリーは、三年である自分が受けるよりも、来年指導する二年生が受けた方がよいという。道理である。
しかし、学生の指導をしていて、いつもおもうことは、つき合える時間が短すぎることだ。東大の探検部は博士コーで大学に残る子も多いので、長いつきあいができる。大学一年で付き合い始めた小久保君は教授になって、つきあいが続いている。
早稲田のクラブと別れるのは残念だなあ。そんな風に思って、もどって、フェイスブックを見たら、小林君は早稲田の中尾教授の紹介で、友達になっていた。「ごめん、忘れていた。」とメッセージした。忘れていないで覚えていればよかった。
昼休み爆睡中、女の子はペットボトルを頭に載せられてもわからない。
早稲田水中クラブとの縁は、7ー8年になるだろうか。
僕の主治医である河合先生の息子さんに潜水を教えたのが、彼が小学校6年の時だった。土肥の101へ連れていった。中学生の時には、お父さんの河合先生とともにケラマツアーに行った。大学は早稲田の法科に入り、水中クラブに入ったと聞き、またお父さんともども一緒に潜りに行かれますね。と言ったら、このクラブはクラブでの潜水以外は、たとえ親子であっても禁止だそうで、なかなか厳しいクラブなのだ。
彼が3年の時にまた縁が生まれた。クラブは蓮根のプールを借りて練習していたのだが、二年生と一年生が組になってマンツーマンで指導をしているのだが、一年生がスキンダイビングでマスククリアーをするのに付き添っていた二年生がブラックアウトしたのだ。幸い大事には至らなかったのだが、資格のある責任者がついていなければ、早稲田のクラブはお断りといわれてしまった。そこで、辰巳の国際水泳場を借りることになったのだが、当時の辰巳は厳しくて、ダイビングの指導ができる有資格者がつきそっていなければ、使わせてくれなかった。そこで、その頃、辰巳国際のの主催する講習などをやらせてもらっていた僕がつきあうことになった。
このクラブの基本的な方針が、自分たちだけでやる、ということで、ちょっとした
注意をするだけにとどまった。やがて、河合正男君は卒業し、彼は卒業後にクラブにかかわらなかったので、クラブとは、指導する縁は切れたが、使用するタンクの供給を頼まれた。30本からのタンクを運び、撤収するのは自分ではできないので、空気屋さんに依頼したが、自分が付き添うことはなかった。
JAUSが発足し、JAMSTEC(海洋研究開発機構)のプールでプライマリーコースをやるようになり、ここでやれば、空気の供給もできるし、辰巳では一日に2時間しか使えないのに、5時間使える。上級生にはプライマリーコースを受けてもらって、指導してもらえば、技術的に向上する。これが、一昨年2011年だった。2012年、も同様にして、今年2013年は、一年生のcカード講習も一緒にやったらよいのではと話し合った。もう少し関わった方が良いのではないかと判断したためだ。
このクラブは、一年生の指導は、2年生、3年生の二人が一年の新入生一人に付き添って実技講習が進んで行く。二年生は一年生の指導をすることでダイバーとして成長して行くのだから、良いシステムだとは、思っている。その様子をサイドから見守り、一年にも二年にも適切な注意と指導をして行き、規定通りの実技ができ、ペーパーテストができれば、cカードを出すことができる。練習時間数は、十分すぎるほどである。プライマリーの指導員でもある米沢インストラクターにお願いした。彼は全日本潜水連盟のコースディレクターでもある。
僕は、自分のトレーニングと、カメラのテストを行っていたが、カメラテストの撮影対象として観察したが、一年生を教える二年生を見ていた。一年生が下手なのは当たり前で、二年生の実力を見ることはしていなかった。
二日目にちょっとしたお話をしたが、とにかく一番大事なことは、決して一人にはしないこと、死ぬのならばバディで死ぬようにと、相変わらず過激なことを言ったりしたが、とにかく、学生のダイビングではそのくらいバディが大事だ。幸いにして、このクラブはとてもよいチームワークを持っている。それをなによりも大事にすること、この講習だけで、もはや見ることもない彼らを海に送り出すのだから、チームワークだけが頼りだ。技能そのものは、安全にはあまり関係ないと実はおもっている。しかし、テクニックの訓練はいくら厳しくやっても、そのことで事故を起こすことはない。そのようにプログラムが作られている。そして、たくさん練習すればするほど、危険は少なくなる。海に行っての合宿でも、その練習を主体に行動すれば、危険が少なくなるし、面白い。格好も良くなる。
一年生はこの後、たぶんNAUIのレスキューコースを受ける予定らしい。それはとてもよいことだが、本気のレスキュートレーニングをやると、それで事故を起こしてしまう。一年生の女の子を見ると、自分がレスキューをする立場には、フィジカルで無理のように見える。無理をしないように、と注意した。
早稲田のプログラムには、一年生の講習に緊急浮上と水中脱着という項目があったが、緊急浮上練習は危ない。水中脱着も今回の練習で仕上げるのは、時間的にとても無理だし、最近では、プール底に腰を下ろしてする脱着は、あまりやらない。
水面脱着を完全にできるようにとプログラムを変更した。水面脱着は、小さなボートを使うときも、レスキューの際も重要だ。
水中脱着も、水面脱着も、目的はBC.のチューニング(体に合わせる、使いこなす)練習だ。見本を示したが、寄る年波である。あまりかっこよくできなかった。理由を言うと長くなる。では、やってみてくださいとやらせると、一瞬で着けた奴がいる。3年生の小林君だ。小林君という名前は、最初の日に、上級生の名前を確認したときに覚えた。岸さんも覚えた。他に何人か覚えたが忘れてしまった。
何でも一緒にやってみないといけないものだ。少し認識を変えた。認識を変えて
小林君などをみると上手だ。そのままプライマリーに楽勝で合格する。
もう一人の上級生、羽生君が学部転入試験で不在になってしまったので、小林君が責任者で、彼に相談した。彼の意見ではプライマリーは、三年である自分が受けるよりも、来年指導する二年生が受けた方がよいという。道理である。
しかし、学生の指導をしていて、いつもおもうことは、つき合える時間が短すぎることだ。東大の探検部は博士コーで大学に残る子も多いので、長いつきあいができる。大学一年で付き合い始めた小久保君は教授になって、つきあいが続いている。
早稲田のクラブと別れるのは残念だなあ。そんな風に思って、もどって、フェイスブックを見たら、小林君は早稲田の中尾教授の紹介で、友達になっていた。「ごめん、忘れていた。」とメッセージした。忘れていないで覚えていればよかった。
昼休み爆睡中、女の子はペットボトルを頭に載せられてもわからない。