時は移り、人は変わる。全日本スポーツダイビング室内選手権大会も22年を迎えた。1968年に日本潜水会がスピアフィッシングをやめるかわりになにかをやろうといって、目黒の日大プールではじめ、ロレックスがスポンサーになった時代も考えれば50年になる。
ただひたすら、フィンで泳ぐ、という一点で不変だが、そのコンセプトは大きく変わっている。そのことはまた別の機会に書くとして、大学、それも関東学生潜水連盟、学連についての変遷についてである。
かつて、常勝であった法政大学の選手の姿がない。海洋大学もいない。健気にがんばっているのは、東京女子体育大学が目立つ。熊本大学は強いことが伝統となっている。
関東学連のお世話をしてきたつもりの、自分としては、このような変化を残念だ、と思う気持ちを無くしてはいけないとは思う。
しかし、競技の運営についての働きで、学連が表に目立っている。よくやってくれていると思う。運営については主催である社会スポーツセンターやそれを支えている全日本潜水連盟のこともあるが、それは、置いておき、表に立って目立つのは学連であって良いと思っている。
そして、選手としての活躍の主流は海洋高校に移りつつある。そして、それも自分が目指していたことでもある。自分が目指すといっても、今の僕はなにもしてはいないが、とにかく、高校のスポーツとしての振興は、自分が目指していたことではある。大学生がお世話をして、高校生が活躍するという姿こそは、一つの理想なのかもしれない。
昔、社会人の僕たちがお世話をして、大学生が勝利をさらって行ったことを思うと、時代の流れであり、悪い流れではない。言うまでもなく、スポーツの目標は勝つことだから、学連も負けて良いというものではない。
学連は大学対抗リレーを取り仕切るようになったが、これも常勝は関東ではない。
次は、自分たちの世代、高齢者のことだが、自分たちが競技会を始めた頃には、年寄りはただの邪魔ものとしてだけ扱い、年寄りの競技などは考えもしなかった。
僕が60代の400mの金メダルをとったのは、選手が僕一人だったからだ。そして今、60代は一つのレースが成立するようになり、石川などが、銀メダルをとり、金メダルを目指すなどと喜んでいる。これも、副賞の賞品などよりも、メダルが良い。喜んでもらえる。自分がプロデューサーの時に議論して決めた。
エクスキュースさせてもらうと、僕の二つ目、三つ目の金メダルは50代、40代の選手も何人か抜いて勝ち取ったものだ。
この話に結論もまとめもない。
タイムはともかくとして、この日に泳ごうと準備を重ねてきた自分が、下痢の影響で、朝の集合では立っているのがつらかった。泳げば治ると知ってはいたし、実行委員長が倒れるのも悪くはない。悩んだ、しかし、ここまでの自分は、くやしがりながら、ぎりぎりのところで撤退して生きている。でも、一夜あけて今の自分は、泳がなかったことを後悔している。
ただひたすら、フィンで泳ぐ、という一点で不変だが、そのコンセプトは大きく変わっている。そのことはまた別の機会に書くとして、大学、それも関東学生潜水連盟、学連についての変遷についてである。
かつて、常勝であった法政大学の選手の姿がない。海洋大学もいない。健気にがんばっているのは、東京女子体育大学が目立つ。熊本大学は強いことが伝統となっている。
関東学連のお世話をしてきたつもりの、自分としては、このような変化を残念だ、と思う気持ちを無くしてはいけないとは思う。
しかし、競技の運営についての働きで、学連が表に目立っている。よくやってくれていると思う。運営については主催である社会スポーツセンターやそれを支えている全日本潜水連盟のこともあるが、それは、置いておき、表に立って目立つのは学連であって良いと思っている。
そして、選手としての活躍の主流は海洋高校に移りつつある。そして、それも自分が目指していたことでもある。自分が目指すといっても、今の僕はなにもしてはいないが、とにかく、高校のスポーツとしての振興は、自分が目指していたことではある。大学生がお世話をして、高校生が活躍するという姿こそは、一つの理想なのかもしれない。
昔、社会人の僕たちがお世話をして、大学生が勝利をさらって行ったことを思うと、時代の流れであり、悪い流れではない。言うまでもなく、スポーツの目標は勝つことだから、学連も負けて良いというものではない。
学連は大学対抗リレーを取り仕切るようになったが、これも常勝は関東ではない。
次は、自分たちの世代、高齢者のことだが、自分たちが競技会を始めた頃には、年寄りはただの邪魔ものとしてだけ扱い、年寄りの競技などは考えもしなかった。
僕が60代の400mの金メダルをとったのは、選手が僕一人だったからだ。そして今、60代は一つのレースが成立するようになり、石川などが、銀メダルをとり、金メダルを目指すなどと喜んでいる。これも、副賞の賞品などよりも、メダルが良い。喜んでもらえる。自分がプロデューサーの時に議論して決めた。
エクスキュースさせてもらうと、僕の二つ目、三つ目の金メダルは50代、40代の選手も何人か抜いて勝ち取ったものだ。
この話に結論もまとめもない。
タイムはともかくとして、この日に泳ごうと準備を重ねてきた自分が、下痢の影響で、朝の集合では立っているのがつらかった。泳げば治ると知ってはいたし、実行委員長が倒れるのも悪くはない。悩んだ、しかし、ここまでの自分は、くやしがりながら、ぎりぎりのところで撤退して生きている。でも、一夜あけて今の自分は、泳がなかったことを後悔している。