安全を維持するための規則は重要で、特にそれが、自分以外の人に関わるものであれば、まもるために、最善の努力をしなければならない。絶対といってもよい。世の中に絶対などないから、守らないことで被害が他に及べば、賠償をしなければならない。
自分だけに被害が限定されるような場合には、人は規則に縛られるのは好きではない。誰でも自由が幸せだ。
昔、ダイビング事故を自動車の事故と比較したことがある。たとえば、ダイビングには、原則としてもらい事故というのがない。自分さえルールを守っていれば、安全だ。そのとおりだが、同時に、ダイビングの事故は、レスキューで迷惑をかけることはあっても、他の人を傷つけることはないというのも大きな特色だ。
いうまでもなく、ダイビングのインストラクターやガイドダイバーが、自分のことを自分で判断できない初心者を有料でめんどうを見ている場合には、大きな責任が発生する。
しかし、その場合も、どこまでが、誰の責任なのか、線引きがわかりにくい。
この前、エベレストという映画を見た。ヒマラヤ登山は自己責任なのだろうか、自分たちの周囲を見た場合、レクリエーショナルダイビングの限界を超えた、深さに潜るテクニカルダイビングで、その事故はどこまで、ガイドダイバーに責任があるのだろうか、もちろん、賠償責任保険でカバーされているならば、賠償は受けられるだろうか、人の命、あるいは身体障害は賠償金では解決できない。フリーダイビングでも同様だ。いずれにせよ、賠償は受けられても、自分の命は、自己責任だ。
少し筆がすべったが、人に危害を与えるおそれがなく、自分の判断で行動できるランクのダイバーであれば、すべてが、自己責任であるべきだということを言いたかった。
規則に縛られてしまうと、技術とか、行動も縛られてしまって発展がなくなってしまう。なにが言いたいのかというと、高気圧作業安全衛生規則で、水深40m以上は空気で潜ってはいけない、と定められると、どうしたら40m以上を空気で潜れるかという方法、機材などの開発がいっさいできなくなる。これまで経験や運用則でそれ以上の水深に潜っていた技術も消滅してしまう。
ヘリウムの方が安価で安全であれば良いが、ヘリウムは高価であり、さらに、窒素酔いより恐ろしい減圧症については、ヘリウムの方が減圧停止時間が長い。減圧停止時間が長いということは、危急のさいに無事に浮上できない可能性が高いと言うことになる。
しつこいようだが、なぜ三浦定之助の「潜水の友」に窒素酔いの記述がなかったか。疑問が解決しない。慣れによるのではないかと書いたが、慣れならば、かかってから慣れる必要があるのであり、そのことの記述がない。僕自身がかかったような窒素酔いの記述がないことに納得できない。
1000人を越すダイバーの講習を行ったというし、その中の上級者は80mを越していたともいう。三浦さんは信頼できる人である。うそをついたり虚勢をはったりするひとではない。なのに窒素酔いの記述がない。ちょっとした目眩にとどまっている。
三浦定之助さんたちが使ったマスク式は、バイト式による呼吸、歯でかんで鼻のマスクに空気を噴出させる。この方法がなにか絡んではいないだろうか。小さいマスクに送気が噴出するのだから、そして、鼻から吸って口から吐いていれば、おそらく換気効率がとてつもなく、よかった。炭酸ガスの蓄積が絶対的に小さかった。このためではないのだろうか。酔いの症状が炭酸ガスの過多に影響されているところまでは確かなのだろうと思う。窒素酔いになりにくい潜水機が開発され、それを使えば空気で60mまで潜れる。そんな研究がいっさい望めなくなる。
まあ、そういう研究をするとすれば、自己責任で自由な立場でやればよいのであって、それは規則の外にあるから、できないことはないが、成功しても、使えないことだから、意欲を持ちにくい。
でもやはり、どうして窒素酔いの記述がないのだろう?疑問は消えない。
とはいえ、規則はまもらなければならない。混合ガス潜水で、水深60mあたりまでの潜水調査を安全にしかも安価にやる方法を考えださなければならない。
昨日書いたROVを道具として使用することもその一つだし、今度のシンポジウムで発表するハイブリッドダイビングシステムもその一つだ。
自分だけに被害が限定されるような場合には、人は規則に縛られるのは好きではない。誰でも自由が幸せだ。
昔、ダイビング事故を自動車の事故と比較したことがある。たとえば、ダイビングには、原則としてもらい事故というのがない。自分さえルールを守っていれば、安全だ。そのとおりだが、同時に、ダイビングの事故は、レスキューで迷惑をかけることはあっても、他の人を傷つけることはないというのも大きな特色だ。
いうまでもなく、ダイビングのインストラクターやガイドダイバーが、自分のことを自分で判断できない初心者を有料でめんどうを見ている場合には、大きな責任が発生する。
しかし、その場合も、どこまでが、誰の責任なのか、線引きがわかりにくい。
この前、エベレストという映画を見た。ヒマラヤ登山は自己責任なのだろうか、自分たちの周囲を見た場合、レクリエーショナルダイビングの限界を超えた、深さに潜るテクニカルダイビングで、その事故はどこまで、ガイドダイバーに責任があるのだろうか、もちろん、賠償責任保険でカバーされているならば、賠償は受けられるだろうか、人の命、あるいは身体障害は賠償金では解決できない。フリーダイビングでも同様だ。いずれにせよ、賠償は受けられても、自分の命は、自己責任だ。
少し筆がすべったが、人に危害を与えるおそれがなく、自分の判断で行動できるランクのダイバーであれば、すべてが、自己責任であるべきだということを言いたかった。
規則に縛られてしまうと、技術とか、行動も縛られてしまって発展がなくなってしまう。なにが言いたいのかというと、高気圧作業安全衛生規則で、水深40m以上は空気で潜ってはいけない、と定められると、どうしたら40m以上を空気で潜れるかという方法、機材などの開発がいっさいできなくなる。これまで経験や運用則でそれ以上の水深に潜っていた技術も消滅してしまう。
ヘリウムの方が安価で安全であれば良いが、ヘリウムは高価であり、さらに、窒素酔いより恐ろしい減圧症については、ヘリウムの方が減圧停止時間が長い。減圧停止時間が長いということは、危急のさいに無事に浮上できない可能性が高いと言うことになる。
しつこいようだが、なぜ三浦定之助の「潜水の友」に窒素酔いの記述がなかったか。疑問が解決しない。慣れによるのではないかと書いたが、慣れならば、かかってから慣れる必要があるのであり、そのことの記述がない。僕自身がかかったような窒素酔いの記述がないことに納得できない。
1000人を越すダイバーの講習を行ったというし、その中の上級者は80mを越していたともいう。三浦さんは信頼できる人である。うそをついたり虚勢をはったりするひとではない。なのに窒素酔いの記述がない。ちょっとした目眩にとどまっている。
三浦定之助さんたちが使ったマスク式は、バイト式による呼吸、歯でかんで鼻のマスクに空気を噴出させる。この方法がなにか絡んではいないだろうか。小さいマスクに送気が噴出するのだから、そして、鼻から吸って口から吐いていれば、おそらく換気効率がとてつもなく、よかった。炭酸ガスの蓄積が絶対的に小さかった。このためではないのだろうか。酔いの症状が炭酸ガスの過多に影響されているところまでは確かなのだろうと思う。窒素酔いになりにくい潜水機が開発され、それを使えば空気で60mまで潜れる。そんな研究がいっさい望めなくなる。
まあ、そういう研究をするとすれば、自己責任で自由な立場でやればよいのであって、それは規則の外にあるから、できないことはないが、成功しても、使えないことだから、意欲を持ちにくい。
でもやはり、どうして窒素酔いの記述がないのだろう?疑問は消えない。
とはいえ、規則はまもらなければならない。混合ガス潜水で、水深60mあたりまでの潜水調査を安全にしかも安価にやる方法を考えださなければならない。
昨日書いたROVを道具として使用することもその一つだし、今度のシンポジウムで発表するハイブリッドダイビングシステムもその一つだ。