命綱について、①
日本にアクアラングが正式に入って来たのが、1953年、これは天皇陛下がご覧になったというニュースが新聞に出ているので、これを正式としたが、実際にはもっと前に持ってきたアメリカ兵などが居るかもしれない。
そして、その翌年の1954年に水産大学の小湊実習場で学生の潜水実習中に事故が発生して、学生二人が亡くなる。
この事故のことは、ニッポン潜水グラフィティに書いた。謎が多い事故ではある。
よくぞ、潜水実習が再開できたと思うのだが、恩師の宇野先生が頑張って、56年から再開した。その時に、実習生に命綱を付けさせた。鵜飼の綱のような命綱で、僕の願いは、なんとかして命綱が無くなれば良い。命綱は嫌だ。クストーの映画を見ても、だれも命綱など着けていない。魚のように自由に泳いでいる。
その願いがかなったのか、僕達の代、1957年の潜水実習は、命綱が無く、喜んだ。
命綱を付けてしまったら、スクーバではない。スクーバは、なんの束縛も受けず、死ぬのも生きるのも自分の責任である。
だから、遊びのスクーバで事故を起こして、賠償責任を請求するなんて、スポーツダイバーの風上にも置けない。
ただし、安全管理費がガイド代、インストラクターフィーに含まれている場合には、賠償責任が発生する。そのへんは微妙だけれど、そのことを論じるには、また別の話だ。
社命、業務命令で潜水する場合は、命令した者(事業者)が、その責任のかなりの部分を負うことになる。管理責任である。レクリエーショナルダイビングと、業務の潜水の 大きな違いなのだが、この区別を未だに理解していない人がいる。
とにかく、僕たちの実習は、命綱の束縛から逃れることができた。
命綱の無い潜水実習が大学三年次、そして四年生になり、卒業論文は、伊豆大島の波浮港で、サザエの研究をした。、当時、伊豆大島にはまだ空気充填のできるところが無く。大ボンベに空気を詰めて持って行った。空気はすぐに無くなったので、毎日素潜り、スキンダイビングでサザエのライン調査をやった。7月中はスキンダイビングで潜り、暮らした。おかげで、スキンダイビングで20m程まで,潜れるようになった。
次には、日本橋三越の屋上に大水槽を載せて、ダイビングショウ、と言っても、バディブリージングと水中脱着を見せた。
だから、僕のダイビングの基礎は、スキンダイビングと水中脱着であった。
そして、4年生の秋
僕達の教室、今ではゼミなどと読んでいるが、人工魚礁調査の研究委嘱がきた。僕はサザエが論文のテーマであったので、同じ教室の上島さん(後に日本アクアラングの社長)
が担当することになった。しかし、その頃、ダイビングについては僕の方が先任である。ま
最初の調査ポイントは、三浦半島の浦賀であり、船を出したのは、鴨居港であった。
秋も深かったので、水温も低く、当時はまだウエットスーツがない。ネオプレーンスポンジのウエットスーツが日本で作られたのは159年で、これは1958年の出来事である。今頃のダイバーは、ウエットスーツがまずあって、それからドライスーツができたと思っている人が多いかもしれないが、ヘルメット式の潜水服はドライスーツなわけで、ドライスーツが先にあった。
ドライスーツ コンスタントボリューム型と呼んでいて、頭の部分も全部完全に覆ってしまう
マウスピースはスーツの中に突出していて、前のガラスを締めると密閉されて、外の空気は吸えな い。スクイーズを感じたら、スーツの中に空気を吐き出す。スーツの内圧が高くなれば、頭の部分の 弁、足に着けた弁から余分な分は排出されて、中の圧力は外とバランスする。
コンスタントボリュームである。これを着た。
ヘルメット式のドライスーツでは、ゴワゴワで、スクーバで泳ぐことなどできない。薄い柔らかいゴム布で作ったドライスーツを、それも、お金のない教室では買えないので借りてきた。このドライスーツは、海底で膝を突いたりして、そこに鋭いカメノテなどがあると破れてしまう。
そのドライスーツを着るのは二度目で、一回目は、プールで着ただけだった。昔のことなので、時系列がボケているが、とにかく、海で深くドライスーツで潜るのはこれが初めてだった。
そう、深く、30m潜るのもこれが初めてだった。そして、借りてくるドライスーツは一着しかない。だから、一人で潜水する。生まれて初めての30m、慣れないドライスーツ。それこそ、命綱をつけるべきだったかもしれない。しかし、スクーバダイバーは、命綱を着けると、それが絡んだりして拘束されるのが恐ろしい。事実、命綱が絡んで危なかったこともある。
魚探で人工魚礁の位置を確認して、そこにアンカーを落とす。アンカーロープをダグって行けば魚礁にぶつかるはずだ。
ドライスーツで少し浮き気味だったので、ヘッドファーストで、ロープを手繰って潜降する。透視度は10mほどで、このあたりとしては悪くないのだろう。
頭を下にして、アンカーロープを腹がこするような形で、潜っていく。実はロープの下に魚礁があったのだが、ドライスーツの下方視界が悪く、真上を通りすぎてしまう。
★☆
日本にアクアラングが正式に入って来たのが、1953年、これは天皇陛下がご覧になったというニュースが新聞に出ているので、これを正式としたが、実際にはもっと前に持ってきたアメリカ兵などが居るかもしれない。
そして、その翌年の1954年に水産大学の小湊実習場で学生の潜水実習中に事故が発生して、学生二人が亡くなる。
この事故のことは、ニッポン潜水グラフィティに書いた。謎が多い事故ではある。
よくぞ、潜水実習が再開できたと思うのだが、恩師の宇野先生が頑張って、56年から再開した。その時に、実習生に命綱を付けさせた。鵜飼の綱のような命綱で、僕の願いは、なんとかして命綱が無くなれば良い。命綱は嫌だ。クストーの映画を見ても、だれも命綱など着けていない。魚のように自由に泳いでいる。
その願いがかなったのか、僕達の代、1957年の潜水実習は、命綱が無く、喜んだ。
命綱を付けてしまったら、スクーバではない。スクーバは、なんの束縛も受けず、死ぬのも生きるのも自分の責任である。
だから、遊びのスクーバで事故を起こして、賠償責任を請求するなんて、スポーツダイバーの風上にも置けない。
ただし、安全管理費がガイド代、インストラクターフィーに含まれている場合には、賠償責任が発生する。そのへんは微妙だけれど、そのことを論じるには、また別の話だ。
社命、業務命令で潜水する場合は、命令した者(事業者)が、その責任のかなりの部分を負うことになる。管理責任である。レクリエーショナルダイビングと、業務の潜水の 大きな違いなのだが、この区別を未だに理解していない人がいる。
とにかく、僕たちの実習は、命綱の束縛から逃れることができた。
命綱の無い潜水実習が大学三年次、そして四年生になり、卒業論文は、伊豆大島の波浮港で、サザエの研究をした。、当時、伊豆大島にはまだ空気充填のできるところが無く。大ボンベに空気を詰めて持って行った。空気はすぐに無くなったので、毎日素潜り、スキンダイビングでサザエのライン調査をやった。7月中はスキンダイビングで潜り、暮らした。おかげで、スキンダイビングで20m程まで,潜れるようになった。
次には、日本橋三越の屋上に大水槽を載せて、ダイビングショウ、と言っても、バディブリージングと水中脱着を見せた。
だから、僕のダイビングの基礎は、スキンダイビングと水中脱着であった。
そして、4年生の秋
僕達の教室、今ではゼミなどと読んでいるが、人工魚礁調査の研究委嘱がきた。僕はサザエが論文のテーマであったので、同じ教室の上島さん(後に日本アクアラングの社長)
が担当することになった。しかし、その頃、ダイビングについては僕の方が先任である。ま
最初の調査ポイントは、三浦半島の浦賀であり、船を出したのは、鴨居港であった。
秋も深かったので、水温も低く、当時はまだウエットスーツがない。ネオプレーンスポンジのウエットスーツが日本で作られたのは159年で、これは1958年の出来事である。今頃のダイバーは、ウエットスーツがまずあって、それからドライスーツができたと思っている人が多いかもしれないが、ヘルメット式の潜水服はドライスーツなわけで、ドライスーツが先にあった。
ドライスーツ コンスタントボリューム型と呼んでいて、頭の部分も全部完全に覆ってしまう
マウスピースはスーツの中に突出していて、前のガラスを締めると密閉されて、外の空気は吸えな い。スクイーズを感じたら、スーツの中に空気を吐き出す。スーツの内圧が高くなれば、頭の部分の 弁、足に着けた弁から余分な分は排出されて、中の圧力は外とバランスする。
コンスタントボリュームである。これを着た。
ヘルメット式のドライスーツでは、ゴワゴワで、スクーバで泳ぐことなどできない。薄い柔らかいゴム布で作ったドライスーツを、それも、お金のない教室では買えないので借りてきた。このドライスーツは、海底で膝を突いたりして、そこに鋭いカメノテなどがあると破れてしまう。
そのドライスーツを着るのは二度目で、一回目は、プールで着ただけだった。昔のことなので、時系列がボケているが、とにかく、海で深くドライスーツで潜るのはこれが初めてだった。
そう、深く、30m潜るのもこれが初めてだった。そして、借りてくるドライスーツは一着しかない。だから、一人で潜水する。生まれて初めての30m、慣れないドライスーツ。それこそ、命綱をつけるべきだったかもしれない。しかし、スクーバダイバーは、命綱を着けると、それが絡んだりして拘束されるのが恐ろしい。事実、命綱が絡んで危なかったこともある。
魚探で人工魚礁の位置を確認して、そこにアンカーを落とす。アンカーロープをダグって行けば魚礁にぶつかるはずだ。
ドライスーツで少し浮き気味だったので、ヘッドファーストで、ロープを手繰って潜降する。透視度は10mほどで、このあたりとしては悪くないのだろう。
頭を下にして、アンカーロープを腹がこするような形で、潜っていく。実はロープの下に魚礁があったのだが、ドライスーツの下方視界が悪く、真上を通りすぎてしまう。
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