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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1030 命綱を降ろせ

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 ワークショップで、「命綱を降ろせ」1963年、僕が100m潜水を目ざし、90mで挫折し、引き返した時のテレビ番組だ。そのタイトル部分だけ2分程を流した。
 12月13日のシンポジウムでは、全編を上映する。その時、生命を失いかけたが、それは減圧症ではなく、窒素酔いでもなかった。減圧症は再圧タンクに入れれば治るし。窒素酔いは、引き上げれば、けろりとなおる。後遺症もない。ただし、これらは命綱あってのことだ。気を失う前に「揚げてください!」と絶叫すれば、引き上げてくれる。命綱が頼りだ。 ただ空気が無くなれば、絶叫してもダメだ。再圧タンクに入れても治らない。
 実はその時、船上ではコンプレッサーの動力ベルトがスリップし、予備の高圧タンクに切り替えたら、圧力変化で、真夏の熱い日射しに過熱されていたホースが膨れ上がった。水を掛け、手で抑えて、圧力を下げた。空気圧が低くなり、また絶叫した。「空気を増やしてください。」修羅場だったが、なんとか生きた。
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 その時の相棒の館石さんは、タンクを5本束ねて背負っていったので、こんなトラブルはなかった。ただ、長い減圧停止の時に、空気が心配になった。重い、五本組のタンクを降ろして、軽いタンクに変えてもらった。
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 この潜水が、僕の潜水の第二の原体験、つまり、生命を落としそうになり、ラッキーで助かった二度目の修羅場ということだ。もう後、2回ほどあるのだが、そのどれもが命綱で助かっている。命綱がなければ、4回の危機一髪で全部が助かったとは思えないので、一度は死んでいるだろう。
僕にとっても、そしてプロのダイバーの誰にとっても命綱は、生き綱、生きるための綱なのだ。しばらく前に大分県で、窒素酔いだかなんだかで3人のダイバーが同時に死んだ。みんな、いろいろ言っているけど、僕は命綱があれば、全員助かったと思っている。今も思えば、「命綱を降ろせ」は、そういうことを知らせる番組だったのだ。
 僕の頭のなかにあるタイトルは「100m、決死の冒険」のようなものだったが、この番組の監督の竹山さんは鋭い人で、「命綱を降ろせ」にした。さらに「命綱を揚げろ」では先に進む意志が無くなる。ということだった。

 命綱をどういう形で使うか、呼吸ガスが無くならないように、どうしたらよいのか。
 それが僕のテーマで、今度の12月13日のシンポジウムではその発表をする。

 もう一つ、本当は何を書こうとしていたかというと、この「命綱を降ろせ」に出てくるひとの大半は世を去っている。親しい、重要なスタッフのほぼ90%が生きていない。ダイビングで死んだ人は一人もいない。
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 1963年に次ぐ、次の潜水のコンセプトシートを書いてくれた、杉江秀一くんもこの世の人ではない。
 今度のシステムはこれとはまるで違う形になるが、命綱があること、空気の供給源を水中に持っていくという基本コンセプトは変わらない。
 杉江君の会社は尾久にあって、プレス工場だった。その前、お父さんはカメラ屋さんで「ミハマシックス」という蛇腹式のぶろーにー6x6のカメラを作っていた。僕が杉江君と付き合いだした頃は、もうカメラはやっていなかった。
 付け足せば、杉江くんは芝浦工大の卒業生だった。
 
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 このマークも杉江くんが書いてくれた。
 1988年、アアク・ファイブ・テレビ 潮美のニュース・ステーションをやるために作った会社だ。

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