時系列を追って、お台場のダイビングについて書いて行こうとしているのだが、
むずかしい。その中に写真を挟もうとするともう支離滅裂になる。時間が無いので、支離滅裂のまま、並べて行こう。
お台場との付き合い、潜水も、いずれ本にまとめたいと思っているので、準備体操だ。
イッカククモガニ 1990年代、沢山居た外来種 今はあまりみない。まみは撮っていないのでは。
今、ブログで追っているテーマは80歳80m潜水とお台場だけど、80mの方は1935年の三浦さんで止まってしまっている。25日が東京湾大感謝祭なので、そのことも書きたいので、お台場に戻っている。一段落したら、80mに因んで、フルフェイスマスクの話にもどる。
なぜ、東京港でダイビングをするのか?
時系列は前後してしまうが
サンデー毎日:2002年7月14日号、「雨の日・東京湾大腸菌汚染、晴天時の1000倍、それでもウインドサーフィン、水遊びができますか?専門家が緊急警告」という記事が掲載された。この記事については、機会があれば論じたいが、そんな東京湾、しかもその湾奥の、大腸菌汚染の中心のようなお台場でなぜダイビングをするのか?
雑誌「海洋と生物:1997 4月:特集 東京湾」の風呂田さんの記事(一部)を引用する。
「東京湾は人為的影響を強く受けている海域であり、それから派生する多くの環境問題を抱えている。海岸部をとりまくように広がっていた干潟は、昭和期以降大規模に行われた埋め立てにより93%が消失した。消失した内湾面積自体もこの埋め立てにより20%も減少した。これに対して、有害な人工化合物質や有機物、無機栄養塩類などの富栄養化物質の流入は増加し、湾環境の劣悪化に拍車をかけている。また、海岸部のほとんどは工業や港湾用地であり、住民の海との日常的な接触が大きく妨げられ、東京湾海岸息に住んでいる意識さえ持てない状況になっている。 * 中略 *
東京湾岸には、2600万の人が生活し、日本最大の経済活動地でもある。東京湾の環境問題はこれらきわめて大規模な人間活動のもとで生じている。つまり人間活動と環境問題を考えるうえで、東京湾はわが国を代表する空間であり、わが国の環境問題への取り組みにおいて極めて重要な位置にある。これまで、多くの市民や研究者が東京湾の環境保全を訴えてきた。その主張そのものはしだいに社会全体の中に浸透しつつある。しかし、現在でも埋め立ては進行し、排水からのさまざまな物質の流入は続いており、環境は依然悪化の方向にある。この問題の解決に向けては、住民ひとりひとりの行動から、排水管理、そして年や産業用地の構造など、人間社会のあらゆる視野からの検討が必要である。その検討のなかで、環境に関する科学的情報が不可欠なことは言うまでもない。」
同じ号の海洋と生物のパネルディスカッションの項で、私たちの潜水仲間で、かつて活動していた東京湾潜水探検隊の中心メンバーでもあった工藤孝浩さん(神奈川県水産綜合研究所)が話している。
「風呂田さんが常々おっしゃっておりますが、海の生物と同じ環境に研究者自身の身をおくということ、これは非常に重要なことだと思っています。実際に海に潜ると、水温の変化や底質の状態ということを全身で感じます。そして、貧酸素化しているような場所では硫化水素臭がマスクやレギュレーターを通しても感じられ、生理的な危険を覚えます。」
カレイの稚魚
ビオトープと言う言葉がもてはやされている。海岸の護岸も、川の岸の堤防も、人間のことだけ考えて作られた。そこに棲む生物のことも考えて護岸や堤防をつくることを言うらしい。もしもそうならば、それを作る人、設計する人は、私たちと一緒に潜ってほしい。
「人間のことを考えると、いくらビオトープをやっても、その水が汚染されていたのでは泳げない、遊べないでは、何にもならない」と、先の「サンデー毎日」の記事は言っている。そのとおりだが、だからと言って、人々が海岸から遠ざかってしまったら、1000年待ってもだめだ。直下型地震による東京壊滅を待たなければ、水は澄まない。一般市民も、お役人も、子供たちも、積極的に水に近づき、水中の生物に親しみながら、生物の住みやすい環境を作って行かなければならない。」これは誰の書いたものかわからない。もしかしたら自分?
「東京生まれ東京育ちの私にとって、ふるさとの海は、東京港の海だ。東京港の海に潜ることは楽しい。どんな風に楽しいのか、ダイビング報告を読んでいただけるとわかる。」 これは、須賀が報告書のまえがきに書いたものです。
ゴミのボール箱にユウレイボヤが生え、メバルの稚魚が集まる。クリーンアップして良いのか?
きれいにして、小さい魚礁を入れたら?といつも思いつつゴミ拾いをしていました。
これで、1996年からだとして、今日でもう20年、大腸菌の海に潜っているけれど、なんともない。下痢もしない。もしかしたら、オリンピックのお台場での開催は、僕達を見て大丈夫と思ったのかもしれない。
これで1990年代は終えて、2000年代に入る。
むずかしい。その中に写真を挟もうとするともう支離滅裂になる。時間が無いので、支離滅裂のまま、並べて行こう。
お台場との付き合い、潜水も、いずれ本にまとめたいと思っているので、準備体操だ。
イッカククモガニ 1990年代、沢山居た外来種 今はあまりみない。まみは撮っていないのでは。
今、ブログで追っているテーマは80歳80m潜水とお台場だけど、80mの方は1935年の三浦さんで止まってしまっている。25日が東京湾大感謝祭なので、そのことも書きたいので、お台場に戻っている。一段落したら、80mに因んで、フルフェイスマスクの話にもどる。
なぜ、東京港でダイビングをするのか?
時系列は前後してしまうが
サンデー毎日:2002年7月14日号、「雨の日・東京湾大腸菌汚染、晴天時の1000倍、それでもウインドサーフィン、水遊びができますか?専門家が緊急警告」という記事が掲載された。この記事については、機会があれば論じたいが、そんな東京湾、しかもその湾奥の、大腸菌汚染の中心のようなお台場でなぜダイビングをするのか?
雑誌「海洋と生物:1997 4月:特集 東京湾」の風呂田さんの記事(一部)を引用する。
「東京湾は人為的影響を強く受けている海域であり、それから派生する多くの環境問題を抱えている。海岸部をとりまくように広がっていた干潟は、昭和期以降大規模に行われた埋め立てにより93%が消失した。消失した内湾面積自体もこの埋め立てにより20%も減少した。これに対して、有害な人工化合物質や有機物、無機栄養塩類などの富栄養化物質の流入は増加し、湾環境の劣悪化に拍車をかけている。また、海岸部のほとんどは工業や港湾用地であり、住民の海との日常的な接触が大きく妨げられ、東京湾海岸息に住んでいる意識さえ持てない状況になっている。 * 中略 *
東京湾岸には、2600万の人が生活し、日本最大の経済活動地でもある。東京湾の環境問題はこれらきわめて大規模な人間活動のもとで生じている。つまり人間活動と環境問題を考えるうえで、東京湾はわが国を代表する空間であり、わが国の環境問題への取り組みにおいて極めて重要な位置にある。これまで、多くの市民や研究者が東京湾の環境保全を訴えてきた。その主張そのものはしだいに社会全体の中に浸透しつつある。しかし、現在でも埋め立ては進行し、排水からのさまざまな物質の流入は続いており、環境は依然悪化の方向にある。この問題の解決に向けては、住民ひとりひとりの行動から、排水管理、そして年や産業用地の構造など、人間社会のあらゆる視野からの検討が必要である。その検討のなかで、環境に関する科学的情報が不可欠なことは言うまでもない。」
同じ号の海洋と生物のパネルディスカッションの項で、私たちの潜水仲間で、かつて活動していた東京湾潜水探検隊の中心メンバーでもあった工藤孝浩さん(神奈川県水産綜合研究所)が話している。
「風呂田さんが常々おっしゃっておりますが、海の生物と同じ環境に研究者自身の身をおくということ、これは非常に重要なことだと思っています。実際に海に潜ると、水温の変化や底質の状態ということを全身で感じます。そして、貧酸素化しているような場所では硫化水素臭がマスクやレギュレーターを通しても感じられ、生理的な危険を覚えます。」
カレイの稚魚
ビオトープと言う言葉がもてはやされている。海岸の護岸も、川の岸の堤防も、人間のことだけ考えて作られた。そこに棲む生物のことも考えて護岸や堤防をつくることを言うらしい。もしもそうならば、それを作る人、設計する人は、私たちと一緒に潜ってほしい。
「人間のことを考えると、いくらビオトープをやっても、その水が汚染されていたのでは泳げない、遊べないでは、何にもならない」と、先の「サンデー毎日」の記事は言っている。そのとおりだが、だからと言って、人々が海岸から遠ざかってしまったら、1000年待ってもだめだ。直下型地震による東京壊滅を待たなければ、水は澄まない。一般市民も、お役人も、子供たちも、積極的に水に近づき、水中の生物に親しみながら、生物の住みやすい環境を作って行かなければならない。」これは誰の書いたものかわからない。もしかしたら自分?
「東京生まれ東京育ちの私にとって、ふるさとの海は、東京港の海だ。東京港の海に潜ることは楽しい。どんな風に楽しいのか、ダイビング報告を読んでいただけるとわかる。」 これは、須賀が報告書のまえがきに書いたものです。
ゴミのボール箱にユウレイボヤが生え、メバルの稚魚が集まる。クリーンアップして良いのか?
きれいにして、小さい魚礁を入れたら?といつも思いつつゴミ拾いをしていました。
これで、1996年からだとして、今日でもう20年、大腸菌の海に潜っているけれど、なんともない。下痢もしない。もしかしたら、オリンピックのお台場での開催は、僕達を見て大丈夫と思ったのかもしれない。
これで1990年代は終えて、2000年代に入る。