月日が飛んでゆく、昨日ブログを書いたと思ったら、もう4日も経過している。せめて2日間隔でと思っているのだけれど,結構大変だ。
その4日間の間に、22日に行うJAUSマンスリーセミナーでの講演のPPを作っていた。
GoProで動画を撮り、静止画として切り出し、トリミングしてフェイスブックのカバーにした映像。
このようにすると写真と呼びたくなる。感覚的には、静止画が写真、動画が映像なのだが、
JAUSマンスリーセミナー 2013 0522
ウエアラブルカメラによる映像
まず、前置きの話だが
映像とは何なのだろう。写真とはどう違うんだろう。カタカナ語と混ぜるとさらに混乱するから、映像と写真に絞って。自分なりの定義をした。ウィキによれば、映像とは、「映画、ビデオ映画、テレビ番組などの業界や、その作品(コンテンツ)自体などを全般的に映像と呼ぶ」そうだが、それではアマチュアは映像にかかわれない。映画、テレビ番組という定義でいうと ユーチューブはどうなる。
まず、文字と対応するものとしての画像、画像とは、カメラで撮影する画像、カメラ以外の手段で作る画像とに分ける。
カメラで撮影する画像は、映像と写真に分ける。ただし、写真というとクラシックな呼び名であるが、カメラで撮影するすべての画像を示す場合もある。これでは混乱するので、
ここでは、写真とはプリントされたもの、映像とは透過光で示されるものとしてしまう。映像には動画と静止画がある。映像は、映画、テレビ、PCでの投影などで、透過光で画面を見るものである。かつては、映像は映画、テレビとプロが作るものが主流を占めたが、現在では、デジタル化とPC画面で見ることが多くなったために、だれでも作れて使えるものになっている。
講演では、透過光(映写・液晶画面)=映像 をすべて映像とした。そして、プリント(印刷物)=写真 とした。
映像には動画と静止画がある。映像はプリントして写真になるので、ここでは、カメラによって作られる画像を包括して映像と呼ぶ。つまり、カメラを通して得られる画像はすべて映像だ。プリントすれば、あるいは印刷すれば写真になる。
ただ、PCの上で透過光で見ても、静止していれば写真と呼びたくなる。すると、静止していれば写真、動いていれば映像か?まだ混乱しているが、ここでは、映像=透視光で見る、動画と静止画がある。としたい。
わかりやすい定義だとおもうのだが、僕は学者ではないから、もしかしたら、すでに同じ定義をどこかでされているかもしれない。
映像を創る目的( なぜ、)映像を使う目的 (何のために)、がまず最初の問いかけとしてある。
仕事としての撮影 調査 記録
記念、自己満足、自己宣伝
このような論は、100人カメラマンがいれば、100の映像論がある。なくてはいけない。それが出発点。自分で映像とは何か写真とは何か、何のために、何をする道具として映像を作り、駆使するのか来てかからないと、飛び立てない。
僕の場合は、40-60は、テレビの撮影、主にニュースステーション、その後は、大型展示映像の撮影をしていた。その間に、電通で、環境映像の撮影、調査のための撮影は、20代から.仕事としていたが、60歳からは、調査の撮影が主になった。
そして、調査とは、映像を獲得することに他ならない。数を数えても映像が無ければ客観性がない。もちろんプリントして写真帳にして報告する。
調査とは
①映像を撮影し分析すること
②標本(実物)を手に入れること。同時に映像記録を行う。
この前提で、ウエアラブルカメラだけで撮影した短い動画クリップを並べて講演をする。
現代の、そしてこれからの映像は、動画も静止画も一つのカメラで撮影できる。映画、テレビの撮影は、やや高級なカメラが使用されるが、ここで使うGoProもテレビ番組で多用されている。その動画からの切り出した静止画は、まだ、印刷原稿として使うことが出来ない場面もあるが、報告書程度ならば十分であり、進化の方向としては、やがて、すぐにでも、グラフィックな印刷原稿としても使えるようになるだろう。
フィルム時代、スチルのカメラマンは、自分の精魂を傾けて一瞬を切り取ってきた。機材の進歩で、モータードライブで、瞬時に36枚を撮影することもできるようになったが、それでも後の処理を考えると100枚単位で考えた。
デジタル時代になり、1000枚単位で考えるようになった。
さらに、動画と静止画が、撮影の際の区別されなくなると、カメラマンはすべてを動画に撮り、あとでPCの上で切り取ることができる。なんとなく、卑怯に感じてしまうが、そうではなくて、撮影の形が変わったというべきだろう。別の形での技術が必要になる。
ましてや、ウエアラブルカメラは超小型であり、マスクの上に取り付けられてしまう。
少し混乱しているのは、時間が無いため、PPから、転写したので多謝。自分的にも世の中的にもくっきりと解決のついていない問題でもある。
その4日間の間に、22日に行うJAUSマンスリーセミナーでの講演のPPを作っていた。
GoProで動画を撮り、静止画として切り出し、トリミングしてフェイスブックのカバーにした映像。
このようにすると写真と呼びたくなる。感覚的には、静止画が写真、動画が映像なのだが、
JAUSマンスリーセミナー 2013 0522
ウエアラブルカメラによる映像
まず、前置きの話だが
映像とは何なのだろう。写真とはどう違うんだろう。カタカナ語と混ぜるとさらに混乱するから、映像と写真に絞って。自分なりの定義をした。ウィキによれば、映像とは、「映画、ビデオ映画、テレビ番組などの業界や、その作品(コンテンツ)自体などを全般的に映像と呼ぶ」そうだが、それではアマチュアは映像にかかわれない。映画、テレビ番組という定義でいうと ユーチューブはどうなる。
まず、文字と対応するものとしての画像、画像とは、カメラで撮影する画像、カメラ以外の手段で作る画像とに分ける。
カメラで撮影する画像は、映像と写真に分ける。ただし、写真というとクラシックな呼び名であるが、カメラで撮影するすべての画像を示す場合もある。これでは混乱するので、
ここでは、写真とはプリントされたもの、映像とは透過光で示されるものとしてしまう。映像には動画と静止画がある。映像は、映画、テレビ、PCでの投影などで、透過光で画面を見るものである。かつては、映像は映画、テレビとプロが作るものが主流を占めたが、現在では、デジタル化とPC画面で見ることが多くなったために、だれでも作れて使えるものになっている。
講演では、透過光(映写・液晶画面)=映像 をすべて映像とした。そして、プリント(印刷物)=写真 とした。
映像には動画と静止画がある。映像はプリントして写真になるので、ここでは、カメラによって作られる画像を包括して映像と呼ぶ。つまり、カメラを通して得られる画像はすべて映像だ。プリントすれば、あるいは印刷すれば写真になる。
ただ、PCの上で透過光で見ても、静止していれば写真と呼びたくなる。すると、静止していれば写真、動いていれば映像か?まだ混乱しているが、ここでは、映像=透視光で見る、動画と静止画がある。としたい。
わかりやすい定義だとおもうのだが、僕は学者ではないから、もしかしたら、すでに同じ定義をどこかでされているかもしれない。
映像を創る目的( なぜ、)映像を使う目的 (何のために)、がまず最初の問いかけとしてある。
仕事としての撮影 調査 記録
記念、自己満足、自己宣伝
このような論は、100人カメラマンがいれば、100の映像論がある。なくてはいけない。それが出発点。自分で映像とは何か写真とは何か、何のために、何をする道具として映像を作り、駆使するのか来てかからないと、飛び立てない。
僕の場合は、40-60は、テレビの撮影、主にニュースステーション、その後は、大型展示映像の撮影をしていた。その間に、電通で、環境映像の撮影、調査のための撮影は、20代から.仕事としていたが、60歳からは、調査の撮影が主になった。
そして、調査とは、映像を獲得することに他ならない。数を数えても映像が無ければ客観性がない。もちろんプリントして写真帳にして報告する。
調査とは
①映像を撮影し分析すること
②標本(実物)を手に入れること。同時に映像記録を行う。
この前提で、ウエアラブルカメラだけで撮影した短い動画クリップを並べて講演をする。
現代の、そしてこれからの映像は、動画も静止画も一つのカメラで撮影できる。映画、テレビの撮影は、やや高級なカメラが使用されるが、ここで使うGoProもテレビ番組で多用されている。その動画からの切り出した静止画は、まだ、印刷原稿として使うことが出来ない場面もあるが、報告書程度ならば十分であり、進化の方向としては、やがて、すぐにでも、グラフィックな印刷原稿としても使えるようになるだろう。
フィルム時代、スチルのカメラマンは、自分の精魂を傾けて一瞬を切り取ってきた。機材の進歩で、モータードライブで、瞬時に36枚を撮影することもできるようになったが、それでも後の処理を考えると100枚単位で考えた。
デジタル時代になり、1000枚単位で考えるようになった。
さらに、動画と静止画が、撮影の際の区別されなくなると、カメラマンはすべてを動画に撮り、あとでPCの上で切り取ることができる。なんとなく、卑怯に感じてしまうが、そうではなくて、撮影の形が変わったというべきだろう。別の形での技術が必要になる。
ましてや、ウエアラブルカメラは超小型であり、マスクの上に取り付けられてしまう。
少し混乱しているのは、時間が無いため、PPから、転写したので多謝。自分的にも世の中的にもくっきりと解決のついていない問題でもある。