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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1016 潜水の友 3

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書いてある内容の如何は、80年前の事情だから、現在のダイビング事情からの視点では、全部間違いと思えて当たり前であるが、この本は当時の潜水事情、マニュアルとして、とても優れている。これ一冊で当時の潜水がすべてわかる。
その頃の潜水病、減圧症事情はどうだったのだろうか。

第5章 潜水病
マスク式へとさかのぼったのだが、山本式、大串式マスクは、40m以上を日常に潜る。大謀網、定置網は、その設置深度が50mを越える。入り口が50mを越えるのだ。
 どんな減圧テーブルを使っていたのか、減圧症の罹患は、事故報告は、
 まず、断片的な記述を並べていく。


「剛胆無比の潜水夫は何が怖い?やはり潜水病だ。しびれだ。海底の大蛸(潜水病のこと?)の祟りによって、優秀潜水夫は次々と死亡又はフグ者になってしまった。小生等も二回其の厄に会してしまった。」

「大正8年1919年頃までは、マスク式では、潜水病はないと誤信されていた。しかし、その後ますます深く、かつ、広く行われるに従い死亡も罹病者もでたのであり、、、」

「英国海軍で研究発表された時間制限表があります。飽和潜水夫を深海から引き上げて実験されておりますが、減圧療法ににた長時間を要するものであり、多くの海底作業は、この能率では経済的に成立することが困難であろうと思われる。
 マスク式では、短い潜水時間と、交代潜水夫の多数を持って、浮上途中停止なしに、又は甚だ短い停止で浮上するなどの作業方法が採られている。」

「50ヒロまたは77m潜水:
 50ヒロの潜水記録を有するといえば、我が国にも十指を折るにたらない。一般潜水夫としては、このような深海に行くことは無理である。一回5分以上潜水はしない。連続二回潜水するというようなことも甚だ危険である。午前2回、午後一回位の回数でその間は休養し、また一日置き位に休養して潜水する。現今、対馬沖の日本海戦のナヒモウフ号などこのくらいの深さで計画されている。このように潜水時間が短縮するということは、交代する潜水夫が多数を要することになり、やく1人位なければ無理が行くであろう。日本定置漁業研究会では、第三期講習として、これくらいの練習を計画している。

では減圧表は?
「潜水の友」で減圧表に類するものをさがす。
 各潜水深度で減圧症にかかった事実がどのくらいあるか、其の状況をふまえて「マスク式連続潜水表」というのを作っている。これは、これ以上は潜ってはいけない潜水時間の表である。
 減圧停止については、「マスク式潜水、普通海底において潜水制限時間」という表があるが、これを見ると、たとえば、79mで4分までは停止なし、6分になると20ヒロ・36mで3分、18mで6分停止する。15ヒロ、23mでは、30分までは停止なし、30分以上は、10ヒロ・18mで3分停止する。
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 注意として
「以上述べてきましたが、以上制限時間外、長く海底にいると必ず潜水病にかかるとは限らない。否、少しくらい超過するも罹病しない場合が多い。大正年間ごろはまだ長く潜水していた。現今、我が輩始め制限外潜水もやる。しかしながら、事業計画として無理はあってはならない。」
 要するに、これでも慎重にす過ぎると言っている。


 三浦定之助 減圧症報告、抄録

2、7月10日より潜水作業を開始して、罹病は8月28日である。この間、毎日水圧により体力くんれんされておる。
3.8月14日より二週間、集魚灯試験の為夜間潜水をなす、疲労す。
4.8月26日、27日、大暴風あり、大謀網尽く流失す。この間、休養せるを持って、疲労なし。
5.8月28日、風無けれども波浪高し。11時より、11時半、第一回潜水終了
  28尋-30尋(54m)潜水時間32分無事
7. 海上にて全員食事せしも、潜水夫(本人のことらしい)食事せず。
8.一時南風強く吹き出し、潜水船操櫓自由ならず。※手漕ぎの船で、ダイバーを追尾していたらしい。
  潜水夫の歩く方向に曳航す。
10.潜水夫は海底土俵の山(定置網の固定土俵)を次から次に検査して歩く予定。
11.海底に置いては南東に向かって潮流が段々と急になり始めた。「表面は東流す。
12.  曳航はうまく行かなかった。
13.潜水夫は、息綱(命綱)が汐に流されて、網の方に横流れせらる。
14.潜水夫は 定置網を固定する錨綱が、頭上5-7mで、いちいち泳ぎ上がって引っ張らなければならないため苦境に陥る. ※ホースが綱と交錯するので、乗り越えなければならない。フィンを付けて泳いでいるのではなくて、海底を歩いている潜水である。泳ぎ上がるのは辛い労働である。
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15.進むに連れて、錨綱が高くなり、息綱は下流の土俵綱に引っかかり、信号不通(、※綱を引いて信号する。)これが直接打撃の大なるもの。
16.わずか10分で終了すべき仕事に約30分を要し、過労のため呼吸困難(めまい)に陥り、終了後横流され急浮上す。
17.浮上直後変わりなく調査報告をなして、帰途につく、帰港当時は急潮全海に亘り、大謀網竹全部沈下、風強きを以って沖島陰、20mの浅場でフカシ潜水をやるべく予定なるが、ここも海が荒くて不可能であった。第二の直接原因と思う。(浮上途中の減圧停止ではなくて、フカシで減圧する方法を当時はとっていたのだろう。現在の船上減圧と同じ考え方ではある。)
18.陸に付く頃、突然左足に痙攣を感ず。眼を開ければ、万物黄色に見えたり。
19.胸部に激痛を感じ呼吸困難なりしも、暫時にて止み、帰宅安静せるも左右両足時に痙攣止まらず。海荒く風ますます強く、ふかし療法困難なり、海況の為不幸は続く。
20.入浴してこれを揉むとき、痙攣去るも腰部に潜水病を感じ、歩行困難なり。
21 夕方、医師を迎えるころは用部の麻痺全身に広がり、寝る他なきに至る。排尿、排便共に不可能に至ったり、翌日より天気平穏ならず、フカシ療法を始めるも、ただ陸上にて潜水具を着けてやるに過ぎず、圧力低く大効なきが如し。※陸上でヘルメットを着けて、加圧したものと思われる。第三の不幸直接原因と思う。
 9月3日より快方に向かう。同5日直立しうるに至る。以後、ふかし療法二ヶ月を経て、快方に向かいたるものなり。
 22.潜水して15尋(27m)にて症候消失したるが如し、海底において不自由を感ぜず。

フカシについては、
「1908年のホールデーン博士の論文によって、作られた時間表をもとにしてフカシ療法が各国でおこなわれている。我が国では明治28ねんごろからフカシ療法をやることが始まっている。
最近(大正12年)隅田川永代橋架橋工事において、真鍋学士によりて、もっとも有力なる減圧方法が研究され、罹病者40人全部全快したのである。」
フカシが今で追う減圧停止である。罹る前にフカス、減圧停止。罹ってからフカス、ふかし療法である。
現在の再圧治療も同じことでもある。フカシがまず行われたその当時、減圧タンクが無いかといえば、複室のある立派なタンクはある。
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