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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1012 三浦定之助 山本式マスク

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 1935年、僕が生まれた年だ。「潜水の友」著者は、三浦定之助、彼も、水産講習所の卒業生だから、先輩だ。この本は、1935年9月に発行されたマスク式潜水のマニュアルだ。この本を参考にしてマスク式の話を続けよう。

 マスク式といっても、大串式ではない。山本虎多という、片岡弓八と同じ商船学校を同期ででたという船長が考案したものだ。この山本式のマスクも大串式と同じ、歯でかんでバルブを開いて鼻から吸うバイト式だ。大串式の特許には抵触しなかったのだろうか。大串式は、世界六カ国に特許を出している。片岡弓八は、こういうことにはうるさそうだ。
 山本は、ほぼ、同時期に考え、製作したといっているが、特許には抵触しなかった。
 
 山本式は、日本潜水株式会社が、販売していた。「潜水の友」の奥付でその住所を見ると、東京市深川区永代橋二丁目十一番地とある。今の僕の事務所から近い。もしや、何か?と思って行ってみた。もちろんなにも残っているわけもない。
 「潜水の友」などを見ると、僕の東亜潜水機よりも盛んにやっていた時期があるようにも見えるのだが、消滅してしまっている。
 なお、山本虎多船長は、サルベージ作業中に命をおとしてしまって、この会社の経営者ではない。
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 「潜水の友」は非売品で、奥付の隣に、昭和10年9月19日、発行所より寄贈、深川図書館と印がある。深川図書館、今の古石場図書館だ。僕は、そこで借りて複写した。この本は、あの戦争、あの下町空襲で焼け残ったのだ。なお、下町空襲で深川辺は死屍類類だったから、どこかに疎開してあったのだろうか。

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   三浦先輩、手にしているのは山本式マスク、マスク式は潜水服は着ない。この服装で潜る。

 三浦先輩は、静岡県伊豆の水産試験場伊豆分場の場長であったから、伊豆分場がマスク式潜水を使った定置網潜水のための講習のメッカになった。
 潜水の友は、その講習のテキストでもあった。

 第一章が心構え、つまり精神論と潜水器材の様々、ヘルメット式とマスク式の区別とか優劣とかの説明、すなわち概論だ。第二章が一般潜水作業員の心得、第三章がマスク式潜水器のハード説明と使用法、つまり、第4章が潜水ポンプによる送気法、第5章が潜水病と続く。
 実はこの本をコピーした時ななめ読みしたのだが、1935年、僕が生まれた年の日本の潜水の詳細が書かれている。これを機会に詳しく見ることにした。
ノートをとる、といっても、ノートを広げてメモはしない。このごろ使い込んでいるポメラでメモする。このメモは、テキストで打っているので、それを、今、ワードに移しながら、隙間を埋めて、手なおししている。

章毎の目次、項目をメモして、それに、自分の考えを付け加えて行く。

 第一章 一般潜水界の状況とマスク式潜水
 1.  行け!海国男児は海底へ
 圧力に耐え、荒波に挑む。潜水夫は、戦士である。恐れずに海に挑む。圧力と海底の様々な障害をあげているが、これは、うち勝つ対象なのだ。安全とか、危険とか言う言葉はここには、でてこない。

 僕にも、同じような血が流れている。戦士の赤い血だろうか、海の青い血だろうか、そんなことを考えてしまう。
 水産講習所の後身である東京水産大学に入学したとき、入学式には、演壇の後ろには、大きな日の丸が掲げられている。先輩に歌わせられた歌は、「我ら一筋、国のため」だ。つまり、国のため国民のために、食料である水産物を穫り、育てるのだ。
東京の高校では、社研とか左翼的なグループの勢いがあり、先生は日教組、メーデーにも参加した。僕にはカルチャーショックだった。右翼にもならないし、左翼にもならない、海一筋だ。

戦争が敗戦で終わって10年だ。大串式を作った渡辺理一先輩、潜水の友、を書いた三浦先輩、そして次に扱う予定の「潜水読本」の山下弥三左衛門先輩は、何の迷いもなく、この教育を受けて卒業したのだろう。
 そして、1935年の時代背景は、昭和10年は、これから中国戦争が始まろうという時代だ。
圧力も、海も、慎重に対応しなければならないが、恐れてはいけない。もう一つ大学で教えられた歌「一度死んだら二度とは死なぬ、たったひとつのこの生命、どうせ死ぬなら千尋の海の青い墓場に浪の花」おそらく、海軍兵学校から終戦で横滑りしてきた先輩が伝えた歌なのかもしれない。それが80歳になった今、すらすらと書けてしまう。

 僕は、戦前の侍精神と、戦後の民主主義の間にたっていた。
 
 第一章にもどって

 2.~3。で、潜水機の分類、マスク式ヘルメット式から潜水艇までの概略、マスク式については、かなり詳しく述べている。これは、あとの章で述べる。
4. 圧力、物理的な概念、ボイルの法則、送気圧と水圧についてなどを計算式を交えて、詳しく述べているが、分圧の法則、ヘンリーの溶解の法則はでてこない。
 6。潜水作業気質 
一部引用する。
 「潜水さえできれば、誰でもできるような仕事もあろう。しかしながら、現今の多くの潜水作業は、多年辛苦の結果生まれたものであり、最も荒い仕事の上に細密の注意を払うものでなければ効率を上げることが困難である。困苦欠乏に耐え、呼吸する空気さえも節約または中止してなおその上にいろいろな冒険をしてはじめてなし遂げることができる。」 
これが基本精神であり、この基本の上に、裸潜り気質、海産物採取潜水夫、サルベージ潜水夫気質、大謀網(定置網のこと)潜水夫気質、フケツ潜水夫(工事ダイバーのこと)気質、海の研究者気質、が述べられる。

 そして、6、(なぜか、6が二つあった)で、日本定置漁業研究会が行う、マスク潜水講習のプログラム大要が述べられている。
 「一般のこれまでの潜水夫になる階段は、まず「ポンプ押し」から入る、これは約1年、次に裸潜水、素潜りをやる。10mぐらい。そして綱持ちになる。これは潜水夫助手で一切のことをやる。綱持ちの時代に、間を見て潜水をさせてもらう。潜るためには、ポンプを押す人、綱持ちも省略できないから、なかなかチャンスはない。これが2年ぐらいで、ようやく潜水夫になれる。

 この徒弟制度を経ずして、定置網潜水ができるようにすると言うのが、日本定置漁業研究会潜水講習会である。

 第一期講習は15日間で、マスク式潜水のあらましを講習して25尋(1.8m✕25=45m)まで潜れるようになる。
 第二期講習はヘルメット潜水でこれも15日間
 第三期講習は、エリート対象で、学科も重視して17日間で最終日には50尋(90m)まで潜る。
 混合ガスではない。本当に90mまで潜ったのだろうか? 
 八坂丸が80mだったから、可能性はあるし、潜っていたと思う。
もちろん空気潜水だ。
 しかし、第三期については、
「特殊天才的の人であって、十分可能性のあるとみた潜水夫だけを採用するのであって、志願したところで、許可するものではない。」と述べている。

 第二章は、一般潜水作業員の心得
 運用方法について述べている。項目だけあげる。
 8 ポンプ押しの注意
 9 空気圧縮機を使用せる場合機関士の注意
 10 綱持ちの注意
 11 潜水船船頭の注意
 12 潜水練習者と心得
  ここでは健康について述べている。潜水に弱い人と強い人という説明で
 「潜水に強い人というのは、少しぐらい無理な潜水をしても容易に潜水病にかからない人で、多くは痩せた筋肉のしまった身体である。しかし、このような人は、潜水に適当であるかといえば、必ずしもそうではなく、潜水病にかかると、激烈で、直ちに死亡するようなことが多いので危険である。」
 要するに適当に太っていて、病気になるが抵抗力のある人、僕のような人が良いのかもしれない。そんなことは書いていない。

14 潜水合図
15 潜水後ろ捌き
16 潜水船の準備

続く

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