2015/09/26 04:44
死ぬまでにやりたいことの一つは、水中のことを納得できる良い文章で書きたい。まだ書けていない。書くめどもたっていない。
次に何を書こうとか、どういうふうに書こうとか考えた時、今度出した「スキンダイビング・セーフティ」がとても良くて、これを抜き去ることがちょっとむずかしい。
難しいから、考える。
2015/09/26 04:48
80ー80を本にする。たぶんこれが、僕の最後の本だろう。いつも、本を書く、作る時は、これが最後みたいなことを言ってきたが、スキンダイビング・セーフティは、速攻だった。潜水士問題集もそうだ。80ー80はちがう。80ー80の前に何か書くかもしれないが、80ー8が最後のつもりになっている。
その下書きのつもりで、日記を書きだした。僕の場合、日記は三日坊主ではなくて、3年、5年周期ぐらいで書いてきた。グラフィティの参考になっている。ブログを書き始めた時、日記は置いたのだが、日記からブログも書ける。
ブログもフェイスブックも人に見せる事を前提で書いている。だから、見せられることし書けない。フェイスブックなどは、書くよりも消すことのほうが多かったころもある。消してしまえば、何も残っていない。日記の中で、人に見せても良い文を選べば書いたものは残る。そんなことで再開した。
2015/09/22 17:56
What Am I Doing Here
どうして僕はこんなところに
ブルース・チャトウィン
池・神保 訳 角川文庫
読了 多分2回目、もしかしたら3回目の読了だ。
ブルース・チャトウィンは、英国人 美術鑑定、考古学者、紀行作家、新聞記者、
1989年 48歳で夭折
この本は、1988年、いくつかの文をチャトウィン自身が編集したものだという。好きな文、こういう風に書きたいなと思う小文がいくつもある。
日本の作家で言えば、これも好きな中島敦かな、いやぜんぜんちがう。早く死んだということかな、似ているのは、中島敦も何度も読み返しているが、これは別格として、チャトウインはセンスがいい。紀行文のヴオルガもいいし、中国の天馬も雪男もいい。人物紹介になるアンドレ・マルロー、エルンスト・ユンガー、ドナルド・エバンス、ガンディー夫人との旅も好きだし、亡くなるちょっと前の1988年のいくつかの小文もいい。
こういう書き方がしたい、と思うような本を、もう少し読みたい。
「どうして僕はこんなところに」の解説をドイツ文学者の池内紀が書いている。チャトウィンを、その書いたものを全部読みたい作家だという。若くして亡くなっているので、それほど多くはない。池内紀も紀行文を多く書いている。読んでいない。目についたら読もう。
書架にもう一度読んでも良いとキープしていた本がある。蔵書と言えるだろうか。文庫本ばかりだけど、それに、大事にもしていないが。
その中に「ハワイ紀行:池澤夏樹」この本も好きだったし、ちょっとチャトウィン風でもある。この人もチャトウィンの選集だったか翻訳もしていたはずだ。
取り出してきた。「ハワイイ紀行」文庫本がきたなくなっている。きたなくなっていることが、愛読の徴だ。僕のグラフィティもスキンダイビングもきたなくなっていてほしい。
途中まで再読して、進化と環境について書いた「秘密の花園」、ハワイの歴史についての「アロハ・オエ」フラについて書いた「神の前で踊る」、サーフィンについて書いた「波の島、風の島」、大きな遠洋カヌーのことをかいた「星の羅針盤」が好きだ。こういう風に各章のタイトルを並べると、「読みたいな」と思うだろう。ダイビングについての章がないことがいい。
「秘密の花園」部分、ハワイは海洋島である。孤立して海の真ん中にある。島ができた時、何も生物はいなかったはずだ。底に生物がたどりついてくる。
以降抜粋
「ではそうやって海の真ん中のハワイイ諸島に植物が渡ってきて、うまく芽を出し、成長し、自分でも実ををつけられるようになったとして、その先で何が起こるのか、あるいは動物の場合はどういうことになるのか。
中略
定着した生物たちに起こるのは、まず爆発的とも言っていい激烈な種分化だとスティーブ(著者の友人で、ハワイでの生態学についての案内人)は言った。これは知らなかったことだ。生物たちは環境の中に自分が占める場所をそれぞれに定めて、そこで生きる。ここでいう場所とは単に島の中のあるところという意味ではなく、ニッチ、すなわち他の生物都の関係まで含めて環境全体の中で自分が利用できる空間や条件のすべてをいう。誰も居ない島に上陸した生物は、他の種との競争が全く無い理想の生活環境をそこに見出す。この場合、島まで持ってきた資質をそのまま活かして、かって住んでいた遠い大陸と同じ姿で繁栄するのかと僕は単純に思っていた。しかし、広すぎるニッチはたちまちのうちに細分化されるらしいのだ。進化は加速されるわけである。
そこまで言われて僕は、遅れ馳せに、ダーウィンが」ビーグル号航海記」の中に記しているガラパゴス諸島の小鳥たちの話をおもいだした。」
ハワイは海洋島である。孤立している。他の種との競争がない孤立した海洋島では、進化の時が止まり、生き物は変わらない、進化しないと思うと、おおちがいで、広すぎるニッチは、激烈に変化して、進化が加速する。ガラパゴスも同じだ。ハワイイには固有種が多い。なぜ、ニッチが激烈に変化するのかは、書かれていない。
僕も、それ以上追求しない。
ダイビングについては、ほんの少しだけ、ハワイは、全島、岸が急峻でリーフが発達しない、。だから、ダイビングがつまらない。この意見には、僕は賛同できない。
確かに、リーフは発達していない。リーフがないために、サーフィンができる。サーフィンのほうがハワイでは目立ってしまった。サーフィンの方が、文学的にも、娯楽、レクリエーション的にもおもしろい。絵になるのだ。
まあ、ハワイのダイビングについて書くときには、池沢説は参考になる。ここから、話を始めることができる。
こんな感じで書ければ、いいな、と思う。
死ぬまでにやりたいことの一つは、水中のことを納得できる良い文章で書きたい。まだ書けていない。書くめどもたっていない。
次に何を書こうとか、どういうふうに書こうとか考えた時、今度出した「スキンダイビング・セーフティ」がとても良くて、これを抜き去ることがちょっとむずかしい。
難しいから、考える。
2015/09/26 04:48
80ー80を本にする。たぶんこれが、僕の最後の本だろう。いつも、本を書く、作る時は、これが最後みたいなことを言ってきたが、スキンダイビング・セーフティは、速攻だった。潜水士問題集もそうだ。80ー80はちがう。80ー80の前に何か書くかもしれないが、80ー8が最後のつもりになっている。
その下書きのつもりで、日記を書きだした。僕の場合、日記は三日坊主ではなくて、3年、5年周期ぐらいで書いてきた。グラフィティの参考になっている。ブログを書き始めた時、日記は置いたのだが、日記からブログも書ける。
ブログもフェイスブックも人に見せる事を前提で書いている。だから、見せられることし書けない。フェイスブックなどは、書くよりも消すことのほうが多かったころもある。消してしまえば、何も残っていない。日記の中で、人に見せても良い文を選べば書いたものは残る。そんなことで再開した。
2015/09/22 17:56
What Am I Doing Here
どうして僕はこんなところに
ブルース・チャトウィン
池・神保 訳 角川文庫
読了 多分2回目、もしかしたら3回目の読了だ。
ブルース・チャトウィンは、英国人 美術鑑定、考古学者、紀行作家、新聞記者、
1989年 48歳で夭折
この本は、1988年、いくつかの文をチャトウィン自身が編集したものだという。好きな文、こういう風に書きたいなと思う小文がいくつもある。
日本の作家で言えば、これも好きな中島敦かな、いやぜんぜんちがう。早く死んだということかな、似ているのは、中島敦も何度も読み返しているが、これは別格として、チャトウインはセンスがいい。紀行文のヴオルガもいいし、中国の天馬も雪男もいい。人物紹介になるアンドレ・マルロー、エルンスト・ユンガー、ドナルド・エバンス、ガンディー夫人との旅も好きだし、亡くなるちょっと前の1988年のいくつかの小文もいい。
こういう書き方がしたい、と思うような本を、もう少し読みたい。
「どうして僕はこんなところに」の解説をドイツ文学者の池内紀が書いている。チャトウィンを、その書いたものを全部読みたい作家だという。若くして亡くなっているので、それほど多くはない。池内紀も紀行文を多く書いている。読んでいない。目についたら読もう。
書架にもう一度読んでも良いとキープしていた本がある。蔵書と言えるだろうか。文庫本ばかりだけど、それに、大事にもしていないが。
その中に「ハワイ紀行:池澤夏樹」この本も好きだったし、ちょっとチャトウィン風でもある。この人もチャトウィンの選集だったか翻訳もしていたはずだ。
取り出してきた。「ハワイイ紀行」文庫本がきたなくなっている。きたなくなっていることが、愛読の徴だ。僕のグラフィティもスキンダイビングもきたなくなっていてほしい。
途中まで再読して、進化と環境について書いた「秘密の花園」、ハワイの歴史についての「アロハ・オエ」フラについて書いた「神の前で踊る」、サーフィンについて書いた「波の島、風の島」、大きな遠洋カヌーのことをかいた「星の羅針盤」が好きだ。こういう風に各章のタイトルを並べると、「読みたいな」と思うだろう。ダイビングについての章がないことがいい。
「秘密の花園」部分、ハワイは海洋島である。孤立して海の真ん中にある。島ができた時、何も生物はいなかったはずだ。底に生物がたどりついてくる。
以降抜粋
「ではそうやって海の真ん中のハワイイ諸島に植物が渡ってきて、うまく芽を出し、成長し、自分でも実ををつけられるようになったとして、その先で何が起こるのか、あるいは動物の場合はどういうことになるのか。
中略
定着した生物たちに起こるのは、まず爆発的とも言っていい激烈な種分化だとスティーブ(著者の友人で、ハワイでの生態学についての案内人)は言った。これは知らなかったことだ。生物たちは環境の中に自分が占める場所をそれぞれに定めて、そこで生きる。ここでいう場所とは単に島の中のあるところという意味ではなく、ニッチ、すなわち他の生物都の関係まで含めて環境全体の中で自分が利用できる空間や条件のすべてをいう。誰も居ない島に上陸した生物は、他の種との競争が全く無い理想の生活環境をそこに見出す。この場合、島まで持ってきた資質をそのまま活かして、かって住んでいた遠い大陸と同じ姿で繁栄するのかと僕は単純に思っていた。しかし、広すぎるニッチはたちまちのうちに細分化されるらしいのだ。進化は加速されるわけである。
そこまで言われて僕は、遅れ馳せに、ダーウィンが」ビーグル号航海記」の中に記しているガラパゴス諸島の小鳥たちの話をおもいだした。」
ハワイは海洋島である。孤立している。他の種との競争がない孤立した海洋島では、進化の時が止まり、生き物は変わらない、進化しないと思うと、おおちがいで、広すぎるニッチは、激烈に変化して、進化が加速する。ガラパゴスも同じだ。ハワイイには固有種が多い。なぜ、ニッチが激烈に変化するのかは、書かれていない。
僕も、それ以上追求しない。
ダイビングについては、ほんの少しだけ、ハワイは、全島、岸が急峻でリーフが発達しない、。だから、ダイビングがつまらない。この意見には、僕は賛同できない。
確かに、リーフは発達していない。リーフがないために、サーフィンができる。サーフィンのほうがハワイでは目立ってしまった。サーフィンの方が、文学的にも、娯楽、レクリエーション的にもおもしろい。絵になるのだ。
まあ、ハワイのダイビングについて書くときには、池沢説は参考になる。ここから、話を始めることができる。
こんな感じで書ければ、いいな、と思う。