僕は、どうしても、マグロを撮りたい。
- 残念なことに若くて亡くなってしまったが、刑事ドラマのスター三浦洋一さんと、彼の水中レポートで日本国中をめぐったことがある。四国も徳島から高知沿岸を虱潰しのように潜ったことがある。室戸の沖でクロボクという浮き魚礁に潜ったことがある。黒潮牧場、略してクロボク、ニライ号と同じような超大型浮き魚礁だ。
室戸沖のクロボクは、何時もは流れが速いというのに、なぜか流れが緩かった。三浦さんが潜って、魚礁をバックにして水中レポートを始める。ツムブリが群れている。ツムブリは美しい魚で、体型はブリ、虹色に光る。食べても美味しいが、市場価値がない。なぜか、漁師がまじめに狙わないのだ。大型浮き魚礁には何時でもこのツムブリがフラフラしている。三浦さんのレポートはツムブリとの絡みで成立した。
僕は三浦さんを撮影しながら、カツオの群れが回っているのを横目で見ている。魚礁から100mほど離れたところで同心円を描くように100尾以上の群れが泳いでいる。何とかしてカツオに接近して、しかも群れの輪の外側から接近して、魚礁に追い込むように、バックを魚礁にして撮影したい。強く刺激しないように少しずつ距離を詰める。撮影距離10mぐらいで、カツオの群れはとらえた。なんとかバックには魚礁を入れた。もう一度三浦さんに入ってもらって、カツオ発見、回っている。魚礁に近づいてきては離れて行く、そんなレポートをしてもらって、カツオのシーンも成立した。
そうだ、高知へ行こう。沖縄をあきらめて、高知の黒潮牧場に目標を定めた。撮影しているカレンダーのクライアントは、水産庁外郭の、現在は「社団法人、全国豊かな海づくり推進協会」当時は全国沿岸漁業振興開発協会だ。協会を通じて高知県のクロボクでマグロを撮影するのはどこが良いか。そして、その許可、船を出してもらえる紹介をお願いした。
黒潮牧場13号がいいと紹介してくれた。ただし、水産庁としては、あくまでも漁業のじゃまにならないように、漁船が漁をしていたら、潜水しないようにという縛りを言い渡された。それはそうかもしれない。今魚を釣っている時に、僕らが飛び込んで魚が逃げた、あるいは魚の食いがとまったら、あとから問題になるかもしれない。しかし、ここには魚が、マグロかカツオがいることは間違いない。
足摺岬の根っこのところにある下ノ加江漁業組合が、黒潮牧場13号を仕切っている。
減圧症覚悟で撮ったキハダマグロと浮魚礁
漁協訪問、打ち合わせは、一升瓶2本が常識だ。夕刻、7時すぎ、僕の撮影について、小理事会、クロボクに出漁している船主の会議を開いてくれた。一人でも反対者があったら、出来ないのだ。快く迎えてくれる。「さあ、飲みなさい。」こういう時に「お酒はのまないのです。」というのが辛い。よほど、飲んでしまおうか、と、いつも思う。酒飲み天国の高知県だ。飲まないと嫌な顔をされるかと、心配したが、ぜんぜん、友好的な態度は変わらず。「もう、女の子も帰してしまったので、お茶もでないけど。」と話がはじまった。
マグロを撮りたい、沖縄では撮れなかった。「そうかい、ここでは撮れるだろうが、サメもおるけど、どうする?」サメとのお付き合いについて、浮き魚礁では、サメがマグロの外側にいることも知っている。南オーストラリアにホオジロザメの撮影に行ったこともはなす。それならば、問題ないということで、どの船が乗せていくか、そして値段の話になった。
図は、今。2015年現在のクロボクの状況をネットで調べたものだ。沖縄では、だいぶ変貌があり、鉄のニライ号は、樹脂製の「海宝号」に代わり、数も減らしているが、高知では、三浦さんと潜った室戸の10号も健在だ。9号から始まっているから、8号までの歴史があるはずだ。4基のクロボクは、黒潮の流れに沿って配置されている。漁場が形成されている。クロボクも最新のものは、FRPになっている。クロボクに行けば、最低でも油代(燃料費)は出るという。燃料費だけでは、利益がでないから、魚を追って、さらに沖まで出て行くが、クロボクのおかげで最小限度食べて行かれるとも言えるそうだ。大事な漁場なのだ。
船は、燃料代20万で借りられることになった。高いも安いもない、これがこの場所でのお金の単位、一個が10万で、二個にあたる。
ダイビングのアシスタントとタンクの準備を、足摺岬の向こう側、車で走れば1時間かからない、宿毛のパシフィックマリン、森田君にお願いした。ついこの間、8月の終わりに宿毛に行き、森田くんと一緒に潜った。その時にも、これから書くダイビングのことを昔話にした。
下ノ加江を朝7時に出港した船は、キャビンのある漁船だが船長一人で操船する。漁の時には数人の乗り子が必要だろうと思う大きさだ。
足摺岬を交わすあたりで、カマイルカの大群にであった。カメラを構えると、船長は船を回して、群れの中に入ってくれた。こういう記述をすると、すぐに、あの時の写真は?と写真を探し始める。時間をとられて、はかどらない。フィルム時代の撮影だから、探すのは容易ではない。しかし、ファインダーを覗いてシャッターを切ったフィルム時代の写真は、何時でも頭のなかに思い浮かべることができる。定置網が張りだしていて、定置網に入ってしまったらどうなるのだろうと心配したが、ぴょんぴょん飛びながら、器用に定置網をかわして行った。
途中、船長は電話してクロボク13号の海況をきいた。クロボクの観測機器は、1時間毎に観測結果をステーションに送っていて、電話に答えて、自動的に北東の風4m、水温、27度、流速3.5ノットなどと答えてくれる。3.5ノットは緩いほうだという。速い時には5ノット近くなる。
そのまま走り続けて、足摺岬の陸地が、うっすりと、見えるか見えないかの境目あたりにクロボク13号はあった。
クロボクには、ざっと見て20隻の漁船が群れている。漁船が漁をしていたら潜水しないようにと言われたが、そんな状況ではない。船長は、何隻かの漁船に電話をして、漁師言葉の挨拶と、「これから潜るからよー」と伝えている。全部に電話をしているわけではない。下ノ加江の船だけに挨拶すれば、後はどうでも良いらしい。他所の船は漁をさせてやっているという感じだ。たしかに、プレジャーボートのようなのも何隻か混じっている。
いい天気で凪だ。波が無くて幸運だ。
見ていると、各漁船はエンジンを回して、緩く流れに逆らうように流されていく。舳先では何人かが釣り竿をだして釣っている。一本釣りだ。餌と散水をしている。いわゆる土佐の一本釣りだ。大型のカツオ釣船は来ていない。きらり、きらり、と魚が釣り上げられている。それほど大きくないからカツオだろうか。シビだろうか。魚の釣れる範囲は決まっているようで、魚礁を通り過ぎると釣れなくなり,また潮上から流してくる。一つの船が良い位置を占拠しないようにうまく流しているようだ。
僕達も、潮上から入り、魚礁の鎖に掴まって撮影しようと思った。沖縄のニライでは魚礁の下に止まっていられたし、室戸のクロボク10号では三浦さんが水中レポート出来た。同じようにかんがえていたのだ。
飛び込んで、水深10mに急降下する。ヘッドファーストで急降下しなければ、水面をそのまま流されていってしまう。水深700mから立ち上がっている太い鎖につかまり、足で巻き付いて、撮ろう。
とんでもないことだった。手でつかみ抱きつこうとすると、ガツンと自転車にぶつけられたような衝撃で、とても掴まれるものではない。3.5ノットの流れを体感する。
二人でロープを持って、二人が両側でロープを伸ばしていけばどうだろう。魚礁から一定間隔でも撮れるし。
25mぐらい潮上から10mくらいのロープで挟もうとした。ロープを伸ばしているうちに通りすぎてしまった。もう一度、今度は成功した。しかし、流れを身体で受け止めると、とてもロープを掴んでなど居られない。手放した。この試みの時、ロープを腰に縛り付けようともおもった。そうすれば両手が空くから、撮影もし易いし、そんな考えが頭を掠めた。しかし、ダイバーは、身体にロープの類を縛り付ける事を本能的に嫌う。この頃のダイバーは、カチャカチャ、色んな物を身体にぶらさげている。僕の世代のダイバーはあれを嫌う。BCだって嫌ったのだ。何かに引っかかると命取りになると経験で知っている。海底に拘束されて浮上できなくなるのが怖いのだ。だから、身体に縛り付けないで手に持つだけにした。手にも縛らなかった。輪もつくらなかった。もしも、縛っていたら、事故にはならなかっただろうけれど、その日は仕事にならないダメージは受けただろう。
こんなトライを4回繰り返しているうちに大体の様子がつかめて来た。
夢にまで見たような、キハダがヒレを翼のように広げて翔んでいる。強い流れの中に浮かび、自在に遡っている。止まっている。1.5mから2mで巨大ではない。これを魚礁を背景にして撮る。考えてみれば、魚礁につかまったり、結ばれていたのでは魚礁の全景は撮れないのではないか。
よし、潮上から流して潮の下で拾ってもらおう。釣り船が釣りながら流すのと同じだ。
50mぐらい潮上から潜水する。あまり離れたら、魚礁に向かう流れにのれない。この流れの中で路線変更は不可能だ。それでも、一回目は離れてしまった。ワイドレンズ、ニコノス20mmだから、魚礁は小さく、マグロは米粒だ。黒潮本流の最中に居る。この強烈な流れが巾100キロ、深さはこのあたりで700-800mの水深でも2ノットぐらいで流れている。大洋の中の大河だ。その中にいるというだけで、身体が震える。
今度は魚礁に近すぎた。あっという間にすれ違って、すれ違ったキハダを魚礁背景にしてとると、尾びれを撮っている。少し深く潜らないと、魚礁を俯角で撮ることが出来ないし、マグロもやや下から見上げたい。30mぐらいまで潜った。
浮上だってゆっくり上がっていたのでは、流されてしまう。急潜降、急浮上の繰り返しになった。ダイブコンピューターは、スントのソリューションを使っているが、減圧停止は出ないが、急浮上の警告は出っぱなしだ。何回繰り返しただろう。撮影態勢を見つけるまでで4回、撮影も5回は繰り返している。このパターンが減圧症の可能性があることはしっかり知っている。森田がよくついてきてくれたとおもう。上方の水深10mぐらいから見下ろして見守っていたが、たいていのガイドかインストラクターならば、ヤメろと止めるだろう。止めて止まるわけがない。ハンターなのだ。獲物を前にして高揚してしまっている。もうこれで最後にしよう。30mぐらい潜って俯角でキハダを撮った。そして下を見ると、見上げたような群れではなく、数百の大群が悠然と止まっている。水深は50mは超えているだろう。黒潮本流だから、透明度は高い。しかし、これに急降下したら、多分減圧症にかかるだろう。僕は何時も最後の一歩を踏み出さないことで、ここまで生き延びて来ている。と自己暗示を掛けている。思いとどまった。これを上から見下ろしていた森田は、すごかったと後で言う。
最後は船が上にいることを確認して5mで6分安全停止した。
僕は黒潮本流そのものを撮ったのだ。
撮った写真を持って、東京のクライアントに見せた。マグロが小さい、目刺しのようだという。ちなみに、ダイバーが小笠原などで撮るマグロはイソマグロで磯に付いている。撮るのは楽だ。
そんな絵を見ているのだろうか、マグロと言ったら、巨大魚をイメージしている。
水族館や養殖場のマグロではなくて、イソマグロでもなく、野生の、黒潮の中のマグロで、そして、これは黒潮を撮った画で、だから黒潮牧場なのだ。と押し通してカレンダーにした。
しかし、この画一枚で説明もなく、見た人は黒潮を感じてもらえるだろうか。一枚のスチルではむりなのだ。僕がつかまろうとして激突する姿、ロープで止まろうとして失敗する姿、流れの中を翔ぶマグロ、悠然と、深さ50mを泳ぐ大群、これは動画にしなくては、テレビ番組にしなければ、感じてもらえない。
下ノ加江の船長には、必ずもう一度来るから、また協力してくださいと頼んだ。
東京に戻ってから企画書を書いた。幾つかの局、プロダクションに出したが通らなかった。ニュース・ステーションをやっていれば、と思ったし、僕の神通力も僕の下を去ったな、と思った。
しばらくしてから、NHKの若いカメラマンがお台場で潜水して撮影したいと言ってきた。いろいろ話を聞いたら、同じような企画をNHK高知がやろうとしていた事を知った。そのカメラマンに、お台場での協力の代わりに、水中科学協会の会員になるようにお願いした。会費と入会金で2万円である。取材費として、雀の涙だ。そのまま、何も言ってこない。
- 残念なことに若くて亡くなってしまったが、刑事ドラマのスター三浦洋一さんと、彼の水中レポートで日本国中をめぐったことがある。四国も徳島から高知沿岸を虱潰しのように潜ったことがある。室戸の沖でクロボクという浮き魚礁に潜ったことがある。黒潮牧場、略してクロボク、ニライ号と同じような超大型浮き魚礁だ。
室戸沖のクロボクは、何時もは流れが速いというのに、なぜか流れが緩かった。三浦さんが潜って、魚礁をバックにして水中レポートを始める。ツムブリが群れている。ツムブリは美しい魚で、体型はブリ、虹色に光る。食べても美味しいが、市場価値がない。なぜか、漁師がまじめに狙わないのだ。大型浮き魚礁には何時でもこのツムブリがフラフラしている。三浦さんのレポートはツムブリとの絡みで成立した。
僕は三浦さんを撮影しながら、カツオの群れが回っているのを横目で見ている。魚礁から100mほど離れたところで同心円を描くように100尾以上の群れが泳いでいる。何とかしてカツオに接近して、しかも群れの輪の外側から接近して、魚礁に追い込むように、バックを魚礁にして撮影したい。強く刺激しないように少しずつ距離を詰める。撮影距離10mぐらいで、カツオの群れはとらえた。なんとかバックには魚礁を入れた。もう一度三浦さんに入ってもらって、カツオ発見、回っている。魚礁に近づいてきては離れて行く、そんなレポートをしてもらって、カツオのシーンも成立した。
そうだ、高知へ行こう。沖縄をあきらめて、高知の黒潮牧場に目標を定めた。撮影しているカレンダーのクライアントは、水産庁外郭の、現在は「社団法人、全国豊かな海づくり推進協会」当時は全国沿岸漁業振興開発協会だ。協会を通じて高知県のクロボクでマグロを撮影するのはどこが良いか。そして、その許可、船を出してもらえる紹介をお願いした。
黒潮牧場13号がいいと紹介してくれた。ただし、水産庁としては、あくまでも漁業のじゃまにならないように、漁船が漁をしていたら、潜水しないようにという縛りを言い渡された。それはそうかもしれない。今魚を釣っている時に、僕らが飛び込んで魚が逃げた、あるいは魚の食いがとまったら、あとから問題になるかもしれない。しかし、ここには魚が、マグロかカツオがいることは間違いない。
足摺岬の根っこのところにある下ノ加江漁業組合が、黒潮牧場13号を仕切っている。
減圧症覚悟で撮ったキハダマグロと浮魚礁
漁協訪問、打ち合わせは、一升瓶2本が常識だ。夕刻、7時すぎ、僕の撮影について、小理事会、クロボクに出漁している船主の会議を開いてくれた。一人でも反対者があったら、出来ないのだ。快く迎えてくれる。「さあ、飲みなさい。」こういう時に「お酒はのまないのです。」というのが辛い。よほど、飲んでしまおうか、と、いつも思う。酒飲み天国の高知県だ。飲まないと嫌な顔をされるかと、心配したが、ぜんぜん、友好的な態度は変わらず。「もう、女の子も帰してしまったので、お茶もでないけど。」と話がはじまった。
マグロを撮りたい、沖縄では撮れなかった。「そうかい、ここでは撮れるだろうが、サメもおるけど、どうする?」サメとのお付き合いについて、浮き魚礁では、サメがマグロの外側にいることも知っている。南オーストラリアにホオジロザメの撮影に行ったこともはなす。それならば、問題ないということで、どの船が乗せていくか、そして値段の話になった。
図は、今。2015年現在のクロボクの状況をネットで調べたものだ。沖縄では、だいぶ変貌があり、鉄のニライ号は、樹脂製の「海宝号」に代わり、数も減らしているが、高知では、三浦さんと潜った室戸の10号も健在だ。9号から始まっているから、8号までの歴史があるはずだ。4基のクロボクは、黒潮の流れに沿って配置されている。漁場が形成されている。クロボクも最新のものは、FRPになっている。クロボクに行けば、最低でも油代(燃料費)は出るという。燃料費だけでは、利益がでないから、魚を追って、さらに沖まで出て行くが、クロボクのおかげで最小限度食べて行かれるとも言えるそうだ。大事な漁場なのだ。
船は、燃料代20万で借りられることになった。高いも安いもない、これがこの場所でのお金の単位、一個が10万で、二個にあたる。
ダイビングのアシスタントとタンクの準備を、足摺岬の向こう側、車で走れば1時間かからない、宿毛のパシフィックマリン、森田君にお願いした。ついこの間、8月の終わりに宿毛に行き、森田くんと一緒に潜った。その時にも、これから書くダイビングのことを昔話にした。
下ノ加江を朝7時に出港した船は、キャビンのある漁船だが船長一人で操船する。漁の時には数人の乗り子が必要だろうと思う大きさだ。
足摺岬を交わすあたりで、カマイルカの大群にであった。カメラを構えると、船長は船を回して、群れの中に入ってくれた。こういう記述をすると、すぐに、あの時の写真は?と写真を探し始める。時間をとられて、はかどらない。フィルム時代の撮影だから、探すのは容易ではない。しかし、ファインダーを覗いてシャッターを切ったフィルム時代の写真は、何時でも頭のなかに思い浮かべることができる。定置網が張りだしていて、定置網に入ってしまったらどうなるのだろうと心配したが、ぴょんぴょん飛びながら、器用に定置網をかわして行った。
途中、船長は電話してクロボク13号の海況をきいた。クロボクの観測機器は、1時間毎に観測結果をステーションに送っていて、電話に答えて、自動的に北東の風4m、水温、27度、流速3.5ノットなどと答えてくれる。3.5ノットは緩いほうだという。速い時には5ノット近くなる。
そのまま走り続けて、足摺岬の陸地が、うっすりと、見えるか見えないかの境目あたりにクロボク13号はあった。
クロボクには、ざっと見て20隻の漁船が群れている。漁船が漁をしていたら潜水しないようにと言われたが、そんな状況ではない。船長は、何隻かの漁船に電話をして、漁師言葉の挨拶と、「これから潜るからよー」と伝えている。全部に電話をしているわけではない。下ノ加江の船だけに挨拶すれば、後はどうでも良いらしい。他所の船は漁をさせてやっているという感じだ。たしかに、プレジャーボートのようなのも何隻か混じっている。
いい天気で凪だ。波が無くて幸運だ。
見ていると、各漁船はエンジンを回して、緩く流れに逆らうように流されていく。舳先では何人かが釣り竿をだして釣っている。一本釣りだ。餌と散水をしている。いわゆる土佐の一本釣りだ。大型のカツオ釣船は来ていない。きらり、きらり、と魚が釣り上げられている。それほど大きくないからカツオだろうか。シビだろうか。魚の釣れる範囲は決まっているようで、魚礁を通り過ぎると釣れなくなり,また潮上から流してくる。一つの船が良い位置を占拠しないようにうまく流しているようだ。
僕達も、潮上から入り、魚礁の鎖に掴まって撮影しようと思った。沖縄のニライでは魚礁の下に止まっていられたし、室戸のクロボク10号では三浦さんが水中レポート出来た。同じようにかんがえていたのだ。
飛び込んで、水深10mに急降下する。ヘッドファーストで急降下しなければ、水面をそのまま流されていってしまう。水深700mから立ち上がっている太い鎖につかまり、足で巻き付いて、撮ろう。
とんでもないことだった。手でつかみ抱きつこうとすると、ガツンと自転車にぶつけられたような衝撃で、とても掴まれるものではない。3.5ノットの流れを体感する。
二人でロープを持って、二人が両側でロープを伸ばしていけばどうだろう。魚礁から一定間隔でも撮れるし。
25mぐらい潮上から10mくらいのロープで挟もうとした。ロープを伸ばしているうちに通りすぎてしまった。もう一度、今度は成功した。しかし、流れを身体で受け止めると、とてもロープを掴んでなど居られない。手放した。この試みの時、ロープを腰に縛り付けようともおもった。そうすれば両手が空くから、撮影もし易いし、そんな考えが頭を掠めた。しかし、ダイバーは、身体にロープの類を縛り付ける事を本能的に嫌う。この頃のダイバーは、カチャカチャ、色んな物を身体にぶらさげている。僕の世代のダイバーはあれを嫌う。BCだって嫌ったのだ。何かに引っかかると命取りになると経験で知っている。海底に拘束されて浮上できなくなるのが怖いのだ。だから、身体に縛り付けないで手に持つだけにした。手にも縛らなかった。輪もつくらなかった。もしも、縛っていたら、事故にはならなかっただろうけれど、その日は仕事にならないダメージは受けただろう。
こんなトライを4回繰り返しているうちに大体の様子がつかめて来た。
夢にまで見たような、キハダがヒレを翼のように広げて翔んでいる。強い流れの中に浮かび、自在に遡っている。止まっている。1.5mから2mで巨大ではない。これを魚礁を背景にして撮る。考えてみれば、魚礁につかまったり、結ばれていたのでは魚礁の全景は撮れないのではないか。
よし、潮上から流して潮の下で拾ってもらおう。釣り船が釣りながら流すのと同じだ。
50mぐらい潮上から潜水する。あまり離れたら、魚礁に向かう流れにのれない。この流れの中で路線変更は不可能だ。それでも、一回目は離れてしまった。ワイドレンズ、ニコノス20mmだから、魚礁は小さく、マグロは米粒だ。黒潮本流の最中に居る。この強烈な流れが巾100キロ、深さはこのあたりで700-800mの水深でも2ノットぐらいで流れている。大洋の中の大河だ。その中にいるというだけで、身体が震える。
今度は魚礁に近すぎた。あっという間にすれ違って、すれ違ったキハダを魚礁背景にしてとると、尾びれを撮っている。少し深く潜らないと、魚礁を俯角で撮ることが出来ないし、マグロもやや下から見上げたい。30mぐらいまで潜った。
浮上だってゆっくり上がっていたのでは、流されてしまう。急潜降、急浮上の繰り返しになった。ダイブコンピューターは、スントのソリューションを使っているが、減圧停止は出ないが、急浮上の警告は出っぱなしだ。何回繰り返しただろう。撮影態勢を見つけるまでで4回、撮影も5回は繰り返している。このパターンが減圧症の可能性があることはしっかり知っている。森田がよくついてきてくれたとおもう。上方の水深10mぐらいから見下ろして見守っていたが、たいていのガイドかインストラクターならば、ヤメろと止めるだろう。止めて止まるわけがない。ハンターなのだ。獲物を前にして高揚してしまっている。もうこれで最後にしよう。30mぐらい潜って俯角でキハダを撮った。そして下を見ると、見上げたような群れではなく、数百の大群が悠然と止まっている。水深は50mは超えているだろう。黒潮本流だから、透明度は高い。しかし、これに急降下したら、多分減圧症にかかるだろう。僕は何時も最後の一歩を踏み出さないことで、ここまで生き延びて来ている。と自己暗示を掛けている。思いとどまった。これを上から見下ろしていた森田は、すごかったと後で言う。
最後は船が上にいることを確認して5mで6分安全停止した。
僕は黒潮本流そのものを撮ったのだ。
撮った写真を持って、東京のクライアントに見せた。マグロが小さい、目刺しのようだという。ちなみに、ダイバーが小笠原などで撮るマグロはイソマグロで磯に付いている。撮るのは楽だ。
そんな絵を見ているのだろうか、マグロと言ったら、巨大魚をイメージしている。
水族館や養殖場のマグロではなくて、イソマグロでもなく、野生の、黒潮の中のマグロで、そして、これは黒潮を撮った画で、だから黒潮牧場なのだ。と押し通してカレンダーにした。
しかし、この画一枚で説明もなく、見た人は黒潮を感じてもらえるだろうか。一枚のスチルではむりなのだ。僕がつかまろうとして激突する姿、ロープで止まろうとして失敗する姿、流れの中を翔ぶマグロ、悠然と、深さ50mを泳ぐ大群、これは動画にしなくては、テレビ番組にしなければ、感じてもらえない。
下ノ加江の船長には、必ずもう一度来るから、また協力してくださいと頼んだ。
東京に戻ってから企画書を書いた。幾つかの局、プロダクションに出したが通らなかった。ニュース・ステーションをやっていれば、と思ったし、僕の神通力も僕の下を去ったな、と思った。
しばらくしてから、NHKの若いカメラマンがお台場で潜水して撮影したいと言ってきた。いろいろ話を聞いたら、同じような企画をNHK高知がやろうとしていた事を知った。そのカメラマンに、お台場での協力の代わりに、水中科学協会の会員になるようにお願いした。会費と入会金で2万円である。取材費として、雀の涙だ。そのまま、何も言ってこない。