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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0509 高齢と死についてー1

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 高齢と死について

 このごろ自分の人生をいくつかの区切りで考えている。人それぞれだが、自分の場合、0ー5、5ー10、10ー15、15ー20、20ー25、ここまでは5歳きざみ、25ー35、35ー45、45ー55、55ー65、これは10歳きざみ、再び5歳きざみで65ー70、70ー75、75ー80 で12の区切りで、それぞれ別の人がその中にいるみたいだ。おなじDNA だけれど別の人だ。

       60歳、100mに潜水した。もう、18年昔になる。

 この前、それぞれをコンパートメントと呼んだが、セグメントでもステージでも良い。
 世の中では、75ーを後期高齢者と呼んでいるが、ファイナルステージだ。
 60歳で還暦、還暦記念に100m潜ろうとした。潜水医学のめんどうをみてくれた後藤輿四之先生と、大岩先生だった。後藤輿四之には、もういつ死んでもおかしくない年齢と言われた。とにかく103mまで潜って、その後で、残りの人生について、目標を立てた。あと20年、80歳まで現役のプロダイバーとして潜水を続けると。気の遠くなるような冒険に思えた。生涯最後の冒険だ。ただ、潜るだけなら楽勝かもしれないが、プロとして潜るのだ。プロとしてとは、一回潜るたびに、かならず収益をあげることだ。多くの場合、ダイビングフィーとして請求書を書いているが、さすがにこの頃では、直接の収益でなくても、例えば、本を書いたりして、そのための写真撮影でも良い、と若干妥協している。
 しかし、それから18年だ。あと2年だ。90%は成し遂げたことになる。65歳からの5年刻みのコンパートメント、いつ死んでもおかしくないという状況は、そこまでのセグメント、コンパートメントとは、全くちがう生き方、つまり、全く違う人に人をさせる。
 死ぬまでになにができるのか、なにをなすべきなのかを強く思うようになる。不幸にして、僕の場合それを自覚したのは75ー80のコンパートメントにおいてだった。それまでは、とにかくプロとして潜れれば良しとしていた。75歳からは、さらに何ができるのか、何をするべきかがプラスされた。あと5年しかなかったから、時間が足りない。それも、あと2年になってしまった。80歳から先、どのように死ぬかのファイナルステージも見通さなければならなくなった。
 しかしながら、いつ死ぬかは人間が知り得ることではないのだから、いずれにせよ、目標を目指して、歩み続ける途中で、死は突然にやってくるのだろう。
 
 フェイスブックもやっているが、読むと、それぞれのダイバー、カメラマンは、世界の海、日本の海を巡り、活躍している。人の常で、つい、自分と見比べてしまう。そのときに、その年代の、自分のコンパートメントでの状況を比べてみないと納得できない。僕だって、45ー55コンパートメントでは、と振り返ることで、納得する。今、8万円のライトがを買いたいけれど、我慢する状況だが、あのころは、50万のレンズを水没させ、平然としていた。
 コンパートメントの違いだ。その上で、自分の今の75ー80でなにができるか、なにをなすべきかを考え、80ー85コンパートメントを予測する。
 同時に、自分の死も予測し考える。

 ダイビングについて、5月、ゴールデンウイークでは、大瀬崎に行った。6月には座間味に海豚倶楽部のスキンダイビングツアー、7月は例年の豊潮丸航海、8月前半に佐渡ツアーがあり、7月、8月には、何とかして福島第一原発の前の磯ねの調査をしたい。9月には、JAUSのフォーラム、12月にはシンポジュウム、その間に、潜水士の参考書も仕上げなければ、いけない。
 友人の井筒さんが、僕がダイビングについて高齢のベンチマークだと言ってくれた。奥さんの厚子さんは、お母さんの話をしてくれた。お母さんも死期がせまっているが、最後まで現役で踊りを踊る覚悟で生きているという。励まされる。
 
 この前、マリンダイビングフェアで、「新しい潜水医学」の大岩先生に捕まった。僕の100m潜水の恩人だ。僕と共通しているところは、よく車をぶつけること、忘れられない思いでは、先生がまだ海上自衛隊の軍医監だったころ、横須賀のベースでハンバーガーをごちそうになって、おいしかったことだ。
 先生がマリンダイビングフェアでおっしゃることは、数々の健康診断の紹介だった。健康診断とは、高齢者としての僕が倒れ、死ぬ可能性の指摘だ。僕は、60歳を過ぎてからの健康診断は、死の予告、死の可能性についてのアドバイスにすぎないと思っている。しかし、健康診断を否定しているわけではない。
 僕の生死については、「死ぬまで好き勝手に生きさせてください。」とお願いして、順天堂大学の河合先生にすべて任せている。2ヶ月に一度の診断も受ける。薬も飲む。検査もうける。結果については、知らせてもらうけれど、だからダイビングのスケジュールを止めることもない。
 もしも、どこかで僕が死んだら、先生は「当然です。」と言ってくれると思う。
 念のために言っておくが、僕は、80歳までは、死なないで海で活動を続ける。80歳ー85歳のコンパートメントは、まだ見えないが、同じペースで続けたいと願っている。僕の周囲の人、JAUSのメンバーは、それを支援してくれている。その伝統がJAUSにできたとすれば、僕の後に続くメンバーにとって、JAUSのメンバーになれば、死ぬまで潜らせてくれるという輝かしい伝統になる。と自分勝手に思いこんでいる。もちろん、すべては自分の責任だ。60歳を過ぎたら、いつ死んでも不思議はない。当然だから、だれの責任でもない。

 最近、高齢者の潜水事故が増えているという。高齢者の死が増えていると言うことと同じだ。高齢者の死を防止するなんて、論理的に成立しない。ただ、死の可能性を知らせてあげることは必要かもしれない。しかし、このごろの世の中だ。死の可能性を知っていながら潜らせた、と糾弾されるかもしれない。

 1985年だったか、文部省が社会体育指導者という制度を作り、僕は社会スポーツセンターで、その制度をダイビング界に導入した。この社会体育指導者の目的は、それから数十年後に訪れるであろう高齢化社会で、高齢者がすべて寝たきり老人になったならば、保険制度も崩壊し、大変なことになる。だから、何とか高齢者に死ぬまでスポーツをやらせて、幸せに倒れてもらおう。つまり生涯スポーツのすすめだ。スポーツを生涯スポーツと競技スポーツと二つに分けて、振興させるべきは生涯スポーツだ。ということだったのだが、いつの間にか、いよいよ迫りくる高齢化を前にして、生涯スポーツは、影が薄くなった。現実になってしまうと、「死ぬまでスポーツをやれ」とは言いにくいのかもしれない。
 僕はそんなことで、生涯スポーツの教師になったが、教師としてやったことは、酒を断った。タバコは、34歳でやめていたから、酒もたばこも飲まなくなった。主治医の河合先生が、僕に死ぬまでアクティブに生かしてくれる理由は、酒を飲まずタバコも飲まないからだと思っている。僕が今、こうしてダイビングを続けていられる理由は、この社会体育指導者の教師になったおかげだと思っている。
 人それぞれだから、酒を飲み、タバコを吸って死ぬまで生きるのも悪くはない。僕も、75-80のコンパートメントに入ってから、人生すべてなんでもありだ。と思っている。ただ、人の前でタバコを吸うインストラクターだけは、職業倫理に欠けていると思う。また、酒を飲んで絡むような人、自分を失うような人は、人の前で、そこまでお酒を飲んではいけない。

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