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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0802 豊潮丸航海-6

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 7月30日
2010年にも昨日の宿毛、そして今日の土佐清水でも潜った、と中尾先生にいわれる。その明確な記憶がなくなっている。
僕の書いてきたブログが過去にさかのぼって全部みられる。これで見て、2010年の7月だとわかる。その時の様子もわかる。学生も古い僕のブログを検索してみてくれれば、その時の様子、僕が何を恐ろしがったのか、どんなことが起こったのかわかる。どんなことと言っても別に事故ではないのだが、ダイビングのヒヤリハットは、頭の中での出来事だから、それを読んでくれれば、安全度が高くなる。ダイビングの安全とは、水中に入ってから、それぞれが、どんな行動をしたのか、どんなチームワークで動いたかによって決まる。いわゆるログブックには、その時の頭のなか、恐怖心を書いておかなくては、と、瀬戸内海の航海、2013年ごろから思っている。
ブログの他に、一覧のログがあると、記憶が強化されるのだが、潜水の後、ログとブログ両方を書くのは、ちょっと無理で、ログをやめてしまっている。
書いていたころのログもスマートフォンに入れて置こう。

朝8時30分、第一回目の潜水準備

入港している土佐清水の岸壁に船を着けたまま、ゴムボートに乗り移り、土佐清水港の出口先端の磯で潜る。街がお祭なので、スクーバでは潜れないとか。お祭りとスクーバの関わりがよくわからないが、漁師はお祭りの日には漁にでない。そんなことかなと納得する。スノーケリングならば、それでもいいのか?まあ、のんびり泳ごう。
エンジン付きのゴムボートで磯に着き、水に入る。試しに潜ってみると、ウエットスーツを着てスクーバで適正の5キロでは、潜りこむのが難儀だ。スキンダイビング・セーフティでは、安全のためにウエイトは軽め煮と書いてあるが、軽めのウエイトで潜るのは脚力が必要だ。
大島では3mmで4キロだった。5mmにフードベストを着て、5キロでは無理だった。無理に潜る必要もないので浮いて、つまりスノーケリングで泳ぐ。スノーケリング協会のルールでは、スノーケリングはフローティングベストを着けなければいけないとなっているが、ウエットスーツを着て軽めのウエイトのスキンダイビングもスノーケリングに含める方が現実的だ。
 ルールはルールとして、一般ではやはり浅いスキンダイビングをスノーケリングとよんでいて、同行している広島大学の海藻の研究グループは、フローティングジャケットなど着けない、浅いスキンダイビングをスノーケリングと呼んでいる。
 潜ってウエイトテストをしているうちに、中尾先生をロストしてしまった。スキンダイビングだから、と言って出る前にバディの確認をしていない。とにかく探そうと、岩を巡って泳ぐのだが、全然進まないで疲れる。どうしてだろう。フィンが悪いのだ。スクーバダイビングだから底の厚いブーツを履く、そのブーツに合うストラップタイプのフィンということで、適当なのを持ってきてしまった。
 海豚倶楽部の大島海洋実習で、サンダルを持って行かないで、薄いソックスブーツで行ったものだから、足が痛くて歩けなかったので、ブーツのストラップにした。今度は船の上とゴムボートだから、ブーツでなくても良かった。大島の時に、海豚倶楽部の荒川さんにもらった、オレンジ色のサンダルが、ソックスブーツを履いた足にフィットしたので、この航海に持ってきて使っているのだから、バラクーダは、ゴムボートの上で取り回しが悪いとして、タバタのカイルでも持ってくれば、流れに流される恐怖も小さくなっただろうに。




 このスノーケリングで、水面スレスレの岩の生物のマクロをニコンAWのマクロでとった。小さいかわいいカエルウオの類、と海綿とカンザシゴカイが綺麗に撮れた。このマクロは使える。

 帰ったら、カエルウオの類は、図鑑で調べれば、すぐにわかる、と思っていたのだが、益田さんの大きい図鑑でもわからなかった。


 2010年には二回目の潜水が合ったので、そのつもりでいたら、今回は、これで全部のダイビングが終わりということで、豊潮丸は、呉にもどる。
旅はいろいろなことを考えさせる。考えたこと全てを書きたいのだが、旅の最中では、書くことが難しい。
しかし、東京に戻ると、また別の書くこと、デスクワークが押し寄せてくる。旅で考えたことを書く時間も無いと思う。出来るだけは、旅の中で書かなくてはならない。
 考えたことの一番は、ダイビングのスタイルの問題。これだけは忘れないうちに明日の新幹線ででも、書き残しておこう。できるかな?



 朝、広島大学が持ってきたメロンを食べ、とても美味しかった。帰路の甲板で、早稲田大学中尾先生提供の恒例の西瓜をたべた。これもおいしく、一年分の西瓜を食べた気分になった。

 航海の最後の日は、カレーライス。早稲田大学、学食のカレーよりも美味しかった。

 航海最後の夜、学生たちはよる遅くまで起きている。僕は一寝入りしてしまった、学生食堂に顔をだす。中尾先生から、霧がでていて月がきれい、と教えられた、甲板にでる。船は瀬戸内海に入ったところで停泊している。波はほとんどない。




 これで、僕の夏が行ってしまう。次の夏が僕にはあるのだろうか。もう一度この旅に来られるのだろうか。海の上にいると、もちろん身体は疲れるが次第に絶好調になってくる。そしてまた東京に戻って半病人になるのか?
 学生たちにはこれから何度も何度も、人生の夏がある。

 大学というところ、研究とともに教育の場なのだ。その教育、海の教育に、広島大学の、この練習船豊潮丸はずいぶんと大きな役割を果たしている。広島大学だけでなく、幾つもの大学が、僕達のように乗せてもらって、年間のスケジュールがフルに消化されている。ふと、水産高校の練習船は年間フルに動いて、水産高校だけでなく、高校の臨海学校的な航海をしているのだろうかと思う。8月には水産高校のダイビング実習の講師も引き受けているので、聞いてみよう。


 スキンダイビング・セーフティで、僕が書いたこと、強調したことのひとつは、ローカルルールの確立であった。この練習船豊潮丸での僕たちのダイビングのローカルルールがようやく安全なものとして確立できたのだろうか。そんなことはなくて、その都度、恐怖心、経験知(イメージ)を大事にして、その都度、考えなくてはいけない。しかし、パターンは出来たと思う。


 豊潮丸で、僕が使わせてもらっている個室、中尾先生よりも良い部屋なので、気が引けているが。


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