五月の節句、ゴールデンウィークの終末、ブログが滞っている。
以前にはGW.に出かけるなんて、愚、ゆっくり体を休めて、本でも読むか映画でも見に行くという過ごし方、それこそ、ブログでも、丁寧に書くかという過ごし方を狙っていたのだが、昨年、2012年は、伊豆大島に行き、今年は大瀬崎に行くことにした。
5月4日の大瀬崎
いつものことながら、海に行けないで、都会でデスクワークに明け暮れていると、体調は悪い。秋にやった恒例の気管支炎、冬にひいた何回かの軽い風邪の後遺症、プラス幼少のころの小児喘息、の名残なのか、しつっこい空咳が続く、老人性の結核かと、数年前に疑って、病院に行ったこともあった。そして、体はだるい。つまり、半病人だ。
半病人は海に潜りに行ったりしてはいけない。ダイビングができる条件は健康なことだ。サイボーグでない限り、50歳以上で、ダイビングができる健康感を常時維持している人などいない。常に、ダイビングは自己責任で行うものだと唱えているが、僕について言うならば、半病人ででかけて、たいていの場合、ダイビングで健康をとりもどし維持している。
GWツアーのメンバーは、だいたい同じ、石川、小久保、黒田、黒沢、須賀の5人、今回のゲストは鶴町さん、母と子、3人だ。
僕も車を出そうとしたが、石川さんの車で5人、鶴町グループは自分の車で行き、日帰りする。
石川車は、6時45分に門仲を出発、海老名で鶴町グループと待ち合わせているので、携帯確認をしたら、すでに海老名に到着していた。何時に出たのか訊ねたら、寝るのをやめて3時に出発して、海老名で寝ているという返事、こちらは東名に入る用賀で、40キロの渋滞、4時間かかるという表示。11時に沼津だとすれば、大瀬崎には1時か。海老名には、混雑で入れないと予想して、駒角に待ち合わせを変更した。
どうやら1時半に大瀬館に到着、準備をして潜水開始が、15時01分だった。
GoProで撮影する石川さん
石川さんは、現在の僕を支えてくれている最大の柱、JAUSの柱でもある。現在の通称は石川親分、肩書はアルバトロスダイビングクラブ会長、40年以上続いていて無事故の日本で最も優れたアマチュアダイビングクラブの一つだが、現在、メンバーの多くは卒業してしまっていて、全日本潜水連盟の主要メンバーになったりしている。石川さんは、現在、GoProのマスクマウントアダプターを開発していて、5月末には製品ができる。
先頭を行く小久保君
小久保君は、40年前からダイビングを教えていた東大の海洋調査探検部で、彼が大学一年生の時に出会い、そのまま、今までダイビングを一緒にやってきた。小久保君は理論天文学者で、大学生、修士、博士、東京天文台の研究員、助教授、教授とステップアップするとともに、ダイビングもステップアップしてきているとすれば、教授クラスだ。東大海洋調査探検部の監督である。
ボラの群れと黒田君
黒田梨絵は、東大の看護学校、東大病院の看護師、救急救命チームのリーダーとなり、そこまでは探検部のコーチで、将来の監督と見込んでいたが、筑波大学大学院に転じてしまい、修士、もう一息で看護学博士になる。そして、中学時代はオリンピック水泳の強化選手だった。
黒沢美千代さんは、浦安海豚倶楽部創立の時からのメンバーで、ダイビングもその時以来、今回初めて聞いたのだが、骨の密度が高いという。たくさん食べても太らない。この夏に孫が生まれるが、おばあさんとはとても呼べないスタイルで、大瀬崎外海柵下のエキジットで、すっくと立ち上がれる身体能力がある。(僕は今回立ち上がれなかった)それに僕を加えて、5人のユニットである。最新ダイビング用語事典では、5人のユニットを推奨している。チームワークがとれたユニットが、ダイビングの安全確保にもっとも効果的である。
僕は、このようなユニットを現在のところ、三つ持っている。もう一つのユニットは、早稲田大学の中尾先生のユニットであり、もう一つは、リサーチのユニット、ユニット間のメンバーは、別に固定したものではなく、石川さんは、早稲田大学も、リサーチのユニットにも柱をつとめてくれている。
ゲストの鶴町さん、母子は、僕のリサーチのバディであり、後継者のつもりであった鶴町君(残念なことに亡くなってしまっている。)の家族であり、僕がダイビングの面倒をみなければ、いけない、つもりになっている。お母さんの雅子さんは、秋から海豚倶楽部のメンバーになっている。お父さんの鶴町は、NAUIのメンバーであり、現NAUI会長の丸山君の同期のインストラクターである。美帆と映美は、お父さんインストラクターが指導したが、亡くなってしまい、その後、僕がスキンダイビングを指導し、浦安プールでの講習でアシスタントをつとめてもらったことがある。
ユニットの編成は、大瀬にくわしい小久保が先頭のナビ、一般にいうガイドダイバーの役割、須賀と黒田、黒沢さんと鶴町(母)の海豚倶楽部バディ、石川さんに、美帆、映美を任せた。全員は互いに視認できる範囲で行動する。
透視度は8ー10m、水温は18ー19度で、僕は随分迷ったのだが、ドライを選択した。つけているウエイトは、ブレストが7キロ、腰が2キロ、レッグに1、4キロで合計10。4キロである。
第一回目の潜水、僕はタンクを背負ってしまえば、重さがつらいので、少しでも早く水に入る。肩のあたりまで水に入り、左のフィンは、スムースに履けたが、右側は足の関節が悪いので、いつも苦労する。いつもの苦労の、80%ぐらいの苦労で、着けることが出来た。
黒田と僕のバディは、僕のバディはいつも僕の右後方、1-2mで追尾するように、昨年のGW.の伊豆大島で教えてあった。一年のブランクがあり、そして、大瀬の湾内は、安全と思っているから、普通のバディ態勢にしてしまった。つまり、見えるところに居れば良い。
石川さんと手をつないでいる美帆、そして、手前が映美
全員 見えるところに居ること。
投石の段を越して、砂地になり、小久保はガイドラインについている海藻を手でかき分けるようにして進んで行く。
アナゴを見つけたので、撮影する。
オオシロアナゴ
ホウボウが出てきた
2本目の潜水、美帆と鶴町さんは残り、映美は、参加し、石川さんとバディを組み、小久保が見つけたイザリウオを石川さんのカメラを使って撮影した。
イザリウオを撮影する映美
みんなで一緒に食事をして、鶴町チームは東京にもどり、僕たちはナイトダイビングで、おなじコースを潜った。
書くことは撮影についてのことばかりなので、別に書くことにする。
以前にはGW.に出かけるなんて、愚、ゆっくり体を休めて、本でも読むか映画でも見に行くという過ごし方、それこそ、ブログでも、丁寧に書くかという過ごし方を狙っていたのだが、昨年、2012年は、伊豆大島に行き、今年は大瀬崎に行くことにした。
5月4日の大瀬崎
いつものことながら、海に行けないで、都会でデスクワークに明け暮れていると、体調は悪い。秋にやった恒例の気管支炎、冬にひいた何回かの軽い風邪の後遺症、プラス幼少のころの小児喘息、の名残なのか、しつっこい空咳が続く、老人性の結核かと、数年前に疑って、病院に行ったこともあった。そして、体はだるい。つまり、半病人だ。
半病人は海に潜りに行ったりしてはいけない。ダイビングができる条件は健康なことだ。サイボーグでない限り、50歳以上で、ダイビングができる健康感を常時維持している人などいない。常に、ダイビングは自己責任で行うものだと唱えているが、僕について言うならば、半病人ででかけて、たいていの場合、ダイビングで健康をとりもどし維持している。
GWツアーのメンバーは、だいたい同じ、石川、小久保、黒田、黒沢、須賀の5人、今回のゲストは鶴町さん、母と子、3人だ。
僕も車を出そうとしたが、石川さんの車で5人、鶴町グループは自分の車で行き、日帰りする。
石川車は、6時45分に門仲を出発、海老名で鶴町グループと待ち合わせているので、携帯確認をしたら、すでに海老名に到着していた。何時に出たのか訊ねたら、寝るのをやめて3時に出発して、海老名で寝ているという返事、こちらは東名に入る用賀で、40キロの渋滞、4時間かかるという表示。11時に沼津だとすれば、大瀬崎には1時か。海老名には、混雑で入れないと予想して、駒角に待ち合わせを変更した。
どうやら1時半に大瀬館に到着、準備をして潜水開始が、15時01分だった。
GoProで撮影する石川さん
石川さんは、現在の僕を支えてくれている最大の柱、JAUSの柱でもある。現在の通称は石川親分、肩書はアルバトロスダイビングクラブ会長、40年以上続いていて無事故の日本で最も優れたアマチュアダイビングクラブの一つだが、現在、メンバーの多くは卒業してしまっていて、全日本潜水連盟の主要メンバーになったりしている。石川さんは、現在、GoProのマスクマウントアダプターを開発していて、5月末には製品ができる。
先頭を行く小久保君
小久保君は、40年前からダイビングを教えていた東大の海洋調査探検部で、彼が大学一年生の時に出会い、そのまま、今までダイビングを一緒にやってきた。小久保君は理論天文学者で、大学生、修士、博士、東京天文台の研究員、助教授、教授とステップアップするとともに、ダイビングもステップアップしてきているとすれば、教授クラスだ。東大海洋調査探検部の監督である。
ボラの群れと黒田君
黒田梨絵は、東大の看護学校、東大病院の看護師、救急救命チームのリーダーとなり、そこまでは探検部のコーチで、将来の監督と見込んでいたが、筑波大学大学院に転じてしまい、修士、もう一息で看護学博士になる。そして、中学時代はオリンピック水泳の強化選手だった。
黒沢美千代さんは、浦安海豚倶楽部創立の時からのメンバーで、ダイビングもその時以来、今回初めて聞いたのだが、骨の密度が高いという。たくさん食べても太らない。この夏に孫が生まれるが、おばあさんとはとても呼べないスタイルで、大瀬崎外海柵下のエキジットで、すっくと立ち上がれる身体能力がある。(僕は今回立ち上がれなかった)それに僕を加えて、5人のユニットである。最新ダイビング用語事典では、5人のユニットを推奨している。チームワークがとれたユニットが、ダイビングの安全確保にもっとも効果的である。
僕は、このようなユニットを現在のところ、三つ持っている。もう一つのユニットは、早稲田大学の中尾先生のユニットであり、もう一つは、リサーチのユニット、ユニット間のメンバーは、別に固定したものではなく、石川さんは、早稲田大学も、リサーチのユニットにも柱をつとめてくれている。
ゲストの鶴町さん、母子は、僕のリサーチのバディであり、後継者のつもりであった鶴町君(残念なことに亡くなってしまっている。)の家族であり、僕がダイビングの面倒をみなければ、いけない、つもりになっている。お母さんの雅子さんは、秋から海豚倶楽部のメンバーになっている。お父さんの鶴町は、NAUIのメンバーであり、現NAUI会長の丸山君の同期のインストラクターである。美帆と映美は、お父さんインストラクターが指導したが、亡くなってしまい、その後、僕がスキンダイビングを指導し、浦安プールでの講習でアシスタントをつとめてもらったことがある。
ユニットの編成は、大瀬にくわしい小久保が先頭のナビ、一般にいうガイドダイバーの役割、須賀と黒田、黒沢さんと鶴町(母)の海豚倶楽部バディ、石川さんに、美帆、映美を任せた。全員は互いに視認できる範囲で行動する。
透視度は8ー10m、水温は18ー19度で、僕は随分迷ったのだが、ドライを選択した。つけているウエイトは、ブレストが7キロ、腰が2キロ、レッグに1、4キロで合計10。4キロである。
第一回目の潜水、僕はタンクを背負ってしまえば、重さがつらいので、少しでも早く水に入る。肩のあたりまで水に入り、左のフィンは、スムースに履けたが、右側は足の関節が悪いので、いつも苦労する。いつもの苦労の、80%ぐらいの苦労で、着けることが出来た。
黒田と僕のバディは、僕のバディはいつも僕の右後方、1-2mで追尾するように、昨年のGW.の伊豆大島で教えてあった。一年のブランクがあり、そして、大瀬の湾内は、安全と思っているから、普通のバディ態勢にしてしまった。つまり、見えるところに居れば良い。
石川さんと手をつないでいる美帆、そして、手前が映美
全員 見えるところに居ること。
投石の段を越して、砂地になり、小久保はガイドラインについている海藻を手でかき分けるようにして進んで行く。
アナゴを見つけたので、撮影する。
オオシロアナゴ
ホウボウが出てきた
2本目の潜水、美帆と鶴町さんは残り、映美は、参加し、石川さんとバディを組み、小久保が見つけたイザリウオを石川さんのカメラを使って撮影した。
イザリウオを撮影する映美
みんなで一緒に食事をして、鶴町チームは東京にもどり、僕たちはナイトダイビングで、おなじコースを潜った。
書くことは撮影についてのことばかりなので、別に書くことにする。