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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0227 ユジニ・クラークさん

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  ユジニ クラークさんが、亡くなった。92歳、肺がんだそうだ。中村宏治君のフェイスブックで知った。
日系のアメリカ人で、美人だったので、日本でも人気があり、日本潜水協会の機関紙、「どるふぃん」の最終号1965年 の表紙を飾っていた。


 Eugenie Clark ,僕はこの人の、著書、「銛を持つ淑女:1954」で、ダイビングする生物学者になろうとしたものだった。パラオで手銛で魚を突いて、研究する天国のような話だ。僕は東京水産大学に通い、葉山の磯で手銛で魚を突いていた。
 いまでもこの本は、書架の出しやすいところに置かれている。


 たびたび来日したが、僕が研究者にはならないで、もっぱらダイビングだけになってしまったので、日本での研究活動については、知らない。魚類学者だから、図鑑を作っていた益田さんと親交があった。僕が魚突きと研究のクラークさんの話を益田さんにしたことがあるので、来日していた時、伊豆海洋公園に行くクラークさんを車に乗せて、送って行くことにしてくれた。僕は日本潜水会の指導員研修で、伊豆に向かうので、僕の車で、益田さんと、クラークさんを乗せて行く。1970年のことだと思う。
ちょうど桜の季節だったので、伊豆スカイラインを通った。富士山の見えるポイントで、車を停めて、これぞ日本という景色を三人で見た。きっと、クラークさんもあの景色を終生忘れないだろう。
夕食を日本潜水会の仲間として、記念写真を誰かが持っていたポラロイドで撮った。日本酒の沢山好きなおばさんだった。古い本を持って行き(その当時すでに古かった)サインをお願いしたら、喜んでくれた。日本潜水会のスーツステッカー(ウエットスーツにはるステッカー)を腕に当てている。

  友竹、中原先生(水中重量挙げの歯科医)クラークさん、僕、後藤道夫、後ろから顔をだしているのが小又君、青木くん



   日本潜水会のスーツステッカー

それだけの縁だが、石垣島空港の建設で、アオサンゴが壊されることで、日本に来て、コメントをしたり、多分、潜ったのだろう。サメの研究をしていたので、同じくサメの研究者でもあった、美ら海水族館の内田館長とも親交があり、内田館長に「クラークさん元気かな?」「まだ海で潜っているよ」と話を交わしたことがある。多分彼女が80歳ぐらいのときだったろう。

  年老いた彼女の写真は、用意したが、載せない。

 

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