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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1226 人工魚礁インターバル撮影(1)

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 生きているうちにやっておかなくてはならないと思っていることが次々とあるが、学生のダイビングについて、そして人工魚礁調査を新しい視点から見てみようという二つのテーマが現在進行形だ。人工魚礁調査に関わって50年を超えるが、人工魚礁調査の手法もどんどん進化して、計量魚探だとかROV、データ解析の方法とか、すっかり科学になった。と同時に一箇所の魚礁調査にかかる費用が大きくなり。調査される魚礁がわずかになり、そして調査結果は、専門の研究者以外はわけのわからないものになりつつある。科学的に探求することは無論大事だが、漁業者を始めとする一般社会の人には、国が大きな予算を投じて作った魚礁がどうなっているのか、魚はどんな魚が、どんな時期にどれほど集まっているのか、それを数字と、出来るならば絵で見たいというのが普通だろう。数字は数字だけならば客観性がない。数字を裏付けるデータが必要だが、フィールドでの客観的で、誰にでもわかるデータは、写真、画像である。60歳以降、その方向にこだわっていて、65歳の頃には、全国豊かな海づくり大会の前身である全国沿岸漁場振興協会から小さな写真集を出させていただいた。今度はレクリエーショナルダイビングの活動として、楽しみながら人工魚礁調査をできないものか、とこの計画を始めた。要するに、人工魚礁に潜って魚の写真を撮れば良いわけだ。ただ、写真を撮るだけだと、調査にならないので、インターバルカメラを設置する手法を中心にしようとしている。

    僕の人工魚礁写真集

 ダイバーは、原則として、水中でなにもしないでいても楽しい。生きている力をとりもどす。だから、何もしないでも良いのだけれど、人間、何かをしないではいられない。
何かをすることは楽しい。一番最初は、魚突き、スピアフィッシングだった。人には狩猟本能というのがある。そして、狩猟したものを食べることに、原始的な喜び、本能的な喜びがある。しかし、スピアフィッシングは規則で禁止されている。それに、趣味的に生き物を殺すという行為はするべきではない。まあ、複雑だけど、1967年に、もうスピアフィッシング早めようとみんなで決議をしたとき、次の行為として、銃をカメラに持ち替えた。カメラで何をするのか?

 探検と、冒険との違い。冒険とはなにか、探検とはなにか?この数年考え続けてきたが、目下の結論は、探検とは、調べること、そして記録すること、記録したことを発表すること、と考えている。調査とは、探検なのだ。レクリエーショナルダイビングとしてのリサーチは、実は、サンゴの調査、環境調査、あるいはイルカの生態調査、など、様々な形で、レクリエーショナルダイビングと結びついている。

人工魚礁の調査を仕事とした時期が長くある。その仕事も少なくなり、加齢のためもあるけれど、仕事にならなくなった。
 人工魚礁の調査は楽しい探検だ。その楽しさを、一緒に行動しているレクリエーショナルダイバーに伝えたい。分かち合いたい。一方で、レクリエーショナルダイビングのポイントに人工魚礁が増えている。人工魚礁がダイビングポイントになり、人気もある。

 千葉県内房には、人工魚礁群がたくさんある。自然礁、と比べて、人工魚礁のほうが多いくらいの水域だ。その人工魚礁調査が殆ど行われなくなって久しい。旧友である荒川さんがやっている波佐間海中公園は、人工魚礁公園とも言って良い。
 この夏から、日本水中科学協会の水中映像研究会のテーマとして、人工魚礁調査を取り上げて、今度で三回目の調査となる。8月21日が第一回で、とりあえず、ダイビングポイントになっている、人工魚礁に潜った。波佐間ではドリーム魚礁とよんでいる、ソフトコーラルの花園のようなポイントがある。その隣の3m角の魚礁に潜って撮影した。二回目が10月30日で、これは深い、40mにある高さ12mの鉄骨魚礁にインターバルカメラを垂直3段に設置して撮影した。この成果は12月7日のJAUSシンポジウムで発表して、報告書にも記載した。これは、今後こんなことをやりますよ、という報告であって、これからが展開である。

 12月23日、本当に押し迫りつつある年の瀬、に計画した。23日は祝日で、荒川さんのところは、今年度最後のかき入れだろう。商売の邪魔をしたくないので、別の日に、水中映像研究会の会長である山本さんと二人で、(他の人は休みがとれないので)気楽にやろうか、とも考えた。調査としてはそれでもいいが、楽しさの追求、みんなが楽しく思ってくれるか、楽しさをともなう調査としては、二人では目的は達成されない。荒川さんにお願いして、祝日の23日に押しかけることになった。

 参加メンバーは、山本会長、増井さん、小俣さん、清水まみ、福田くん、そしてぼく、石川さんは、スキーツアーの後だから、来られるかどうかわからないということで、ペンディングのままで、来られなかった。
 ところが山本さんは、風邪で倒れ、増井さんも、当日朝、ドタキャンの風邪、参加したのは、福田くん、小俣さん、清水さんと僕の4人になった。
 調査仕様書を下に示す。


 今回は、昭和56年、1981年に沈設された、0.8m角のブロック、およそ120個の魚礁であり、これは、1981年当時、並型魚礁、つまり当時のスタンダードと考えられていた規模の魚礁である。この水域の魚礁は、この1981年頃が沈設の始まりであり、これが一番岸にちかく、次が1983年のタイヤ魚礁、そして、今ではドリーム魚礁と名付けられているのは、1998年の2m角のコンクリートブロック、そして、2010年には、10月に見た鉄骨魚礁と、岸から沖へと展開している。魚礁の間の間隔は、100m前後である。 図で見るだけで11の魚礁がある。とりあえずはこの全部を見て行きながら、調査方法を確立してゆこうというわけだ。


 前回、10月30日は、12mの高さの鋼鉄魚礁だったから、3基を垂直連結して、海底から、3m,8m.そして13mと三段重ねにロープで連結した。今回は、延縄方式に、40mのリールに巻いたロープに10m間隔で4基を海底からの高さ、2mに、これをAラインとする。これとは別に、2基を12m離したBラインを作り、二本のラインを作った。

 メンバー4人に、ガイドとして荒川さんがついてくれ、荒川さんは定置網作業ダイバーのベテランですごい人だから、水中での作業指導、手伝いをしてくれる。僕と山本さんの二人で何とか出来るかと思うのは、荒川さんをチーフダイバー的な戦力と考えたからだ。

     小俣さん


     清水まみ さん

 二本のラインを小俣、清水組が荒川さんと一緒に、設置する。僕はカメラを船上で、福田さんとともにセットして、水中の二人、+荒川さんに降ろす。それから、僕と福田さんが潜り、福田さんは全景の撮影、僕も設置状況を確認しながら撮影する段取りだ。

僕の手持ちカメラはGoPro3と、SJを2つ並べたセットを手持ちで使う。

AラインはGoPro2が3台とGoPro3が1台ノ4台、BラインはAEE21を2台、すべてウエアラブルカメラである。福田くんは1眼レフ、最高級の1DX で撮影した。
 僕は、ドライスーツで、ウエイトがジャケットノ7キロ、腰に4キロ、足に1.4キロ、合計で12.4キロ、それに12リットルタンクで、重くて、立ち上がってバックエントリーすることもできず。僕のスタイル、這って、サイドロールで飛び込んだ。情けないといえば情けない。水中に入っても、毎度ダッシュで鍛えているつもりなのに、体が重くて、水面移動では、思うように進まない。飛び込んだその場でヘッドファーストで潜り込めば良いのに、その日一回目の潜水では、潜降ラインを手繰って潜りたい。

     ロープの絡みをなおす荒川さん

僕が海底に降りる頃には、全部のカメラの設置がほぼ完了していたので、簡単に設置できたのかと思ったが、後で清水まみがつけていたマスクマウントの撮影で見ると、海底でロープが絡んでしまって荒川さんが苦労して解いている。荒川さんでなければ、うまく行かなかった。この方法、この細いロープではだめだ。次には別の方法を研究しよう。

 

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