危機管理とは、事故は、起こるものと想定して、その時にどうするかを考えて、それに基づいて安全策を考えて実行する。すなわち、危機管理とは安全管理と一体のもので、安全管理とは常に最悪の事態を想定して管理を行うことである。
ダイビングとは、一人前の人間が、すべての危険についての責任を自分で背負って、自由に行動することだが、学生の部活動としてのダイビングには、それが許されない。すなわち、最悪の事態の責任を、自己責任、本人に負わせることが許されない。必ず責任者が想定され、ことあるときには責任の大半を背負わなければならない。これを逃げることは、無責任ということで、許されない。事故は起こってしまうことで、安全管理がパーフェクトであるなどと考えることは不遜であり、危険に対する想像力の欠如であり、事故の最大の原因になる。
自分のダイビングライフを振り返ってみて、安心、安全と思っている時、事故を想定しなかった時に事故は起こっている。①自分が指導して、現場で見ている時にニヤミスが起こり、自分としてはパーフェクトだとおもう準備をしていたために、最悪の死亡事故は防ぐことができた事故、水産大学潜水部のコーチをしていた時の事故がこれである。自分の会社、自分がかかわっている仕事で、自分が居ない場所で起こった事故が二つあり、どちらも死亡している。②一つはスガ・マリンメカニックの脇水君の死亡で、これは自分が背負った。③もう一つは、川崎に作ったダイビング専用プールでの事故で、自分がやってはいけないと、指示していたにも関わらずやったことの結果であるから、仕方がないとことだと、、あまり、自分の責任を感じなかった。④自分がアドバイザーとして、禁止していたにもかかわらず、そのことをして、救急病院に担ぎ込まれ、九死に一生という事故があった。 ⑤そして、もう一つ、自分はかかわっていないが、自分が関与できたにもかかわらず、関与しなかったために起きた死亡事故ある。これが法政アクアの事故である。
これらの事故のすべてが、若者の事故である。
自分が危なかったと感じたことは、無数にある。この無数の、ほとんどが、想像力、イメージの上での危険であり、一歩手前で、ディフェンスしている。
これらのことを総合的に考えて、上記、5例のうち三つが学生の事故である。何とかできることはしなくてはいけない。いくつかの会社を整理して、他にまかせて、少し時間ができた。そして、学生の安全のために、SAI、スチューデントアシスタントインストラクターという制度を考え、時の学連執行部、そして真野先生、河合先生、山見先生の協力を得て、第一回の講演会を2003年に行った。しかし、もしもSAIの資格を実施したとして、その資格に到達するまでの経験が2年しかない。三年生で責任を負わなくてはいけなくなる。大学三年生で人の、仲間の死に対して責任を負って行かれるものなのだろうか。負わせて良いものなのだろうか、4年になれば就活、論文で、部の指導責任などを負えるはずもない。不可能と思い知り、それではと、危機管理のために、先生方がバックアップしてもらえるように医科歯科大学の教室で研修会を開催し、もしもの時に、この学生グループは、このような研修会を開いていたと鑑定書をかいてもらえるようにしようと切り替えた。そして、各大学の責任者に、実施している講習マニュアルを書いてもらうなど、2008年までは続けたが、2011年に、SAIに監督、コーチが姿を現さない。つまり、賛同していない、その代で区切られてしまう学生には、継続性がなく、繰り返しになり、先に進まない賽の河原の石積みのようなものだと、自分としては終止符を打った。そのSAIで学生に書いてもらった結果を今回、12月7日のJAUSシンポジウムの報告書に掲載した。これによって、学生現役が考えている危機管理、安全マニュアルの実態についてみることができる。
今度のシンポジウムで、監督、顧問、4人に話をしてもらった。ユニークであり、新しい知識になったのは、芝浦工業大学の足立顧問(教授)の話しで、10分の時間制限で、30分話をされた。僕も20分の予定で40分話したから、五分五分だが。
足立先生発表では、顧問は学校に対して、部の活動の安全について大きな責任を負っている。これは、一つには大学当局が顧問に責任を押し付けていると思われる節もあるが、とにかく大きな責任を負っていて、今年度の八丈島合宿にたいして、GO!の印を押さなかった。安全に責任がもてないということだろう。先年、芝浦工業大学ダイビング部の45周年記念でのあいさつで足立顧問は、ここまで無事に活動を続けてきて、よかったと涙を流していた。本気で責任を負っているのだ。
シンポジウムの後の懇親会で芝浦の現役で、学連の安全対策の責任者になった子に、足立先生は、絶滅危惧種だから、現役が大事にしなければいけないとお願いしておいた。
顧問が大きな責任を負っていることが、この発表でわかった。監督、コーチは、その顧問の責任を肩代わり、あるいは分け合って、安全を確保すべく、学生の活動を見守り、育てて行かなくてはならない。大学のダイビング部活動とは、教育である。ダイビングは、協力して、上級生が下級生の面倒をみて、危険を克服して行く、教育的効果が大きい活動である。こちら側から見て、2年生と一年生ではまるで違うし、三年になるとずいぶんしっかりしてくる。だからと言って、人の命に責任をもてるものではなく、この責任はたとえしかりと大人に近づいたとしても、負わせるのは過酷である。法政の事故の時に、つくづくと感じて、自分もその責任の一端を負いたいと、遺族に何度となく手紙をだした。どうなるものでもないが、心のケアの一端を、同級生の父親として、努力をした。(事故は娘の潮美の同学年のクラブメートだった。)お父さんから、気づかったことについてのお礼の手紙が来た。しかし、許すとか許さないとかの問題ではなく、なぜ、どうしての真実がしりたいという趣意だった。
続く
ダイビングとは、一人前の人間が、すべての危険についての責任を自分で背負って、自由に行動することだが、学生の部活動としてのダイビングには、それが許されない。すなわち、最悪の事態の責任を、自己責任、本人に負わせることが許されない。必ず責任者が想定され、ことあるときには責任の大半を背負わなければならない。これを逃げることは、無責任ということで、許されない。事故は起こってしまうことで、安全管理がパーフェクトであるなどと考えることは不遜であり、危険に対する想像力の欠如であり、事故の最大の原因になる。
自分のダイビングライフを振り返ってみて、安心、安全と思っている時、事故を想定しなかった時に事故は起こっている。①自分が指導して、現場で見ている時にニヤミスが起こり、自分としてはパーフェクトだとおもう準備をしていたために、最悪の死亡事故は防ぐことができた事故、水産大学潜水部のコーチをしていた時の事故がこれである。自分の会社、自分がかかわっている仕事で、自分が居ない場所で起こった事故が二つあり、どちらも死亡している。②一つはスガ・マリンメカニックの脇水君の死亡で、これは自分が背負った。③もう一つは、川崎に作ったダイビング専用プールでの事故で、自分がやってはいけないと、指示していたにも関わらずやったことの結果であるから、仕方がないとことだと、、あまり、自分の責任を感じなかった。④自分がアドバイザーとして、禁止していたにもかかわらず、そのことをして、救急病院に担ぎ込まれ、九死に一生という事故があった。 ⑤そして、もう一つ、自分はかかわっていないが、自分が関与できたにもかかわらず、関与しなかったために起きた死亡事故ある。これが法政アクアの事故である。
これらの事故のすべてが、若者の事故である。
自分が危なかったと感じたことは、無数にある。この無数の、ほとんどが、想像力、イメージの上での危険であり、一歩手前で、ディフェンスしている。
これらのことを総合的に考えて、上記、5例のうち三つが学生の事故である。何とかできることはしなくてはいけない。いくつかの会社を整理して、他にまかせて、少し時間ができた。そして、学生の安全のために、SAI、スチューデントアシスタントインストラクターという制度を考え、時の学連執行部、そして真野先生、河合先生、山見先生の協力を得て、第一回の講演会を2003年に行った。しかし、もしもSAIの資格を実施したとして、その資格に到達するまでの経験が2年しかない。三年生で責任を負わなくてはいけなくなる。大学三年生で人の、仲間の死に対して責任を負って行かれるものなのだろうか。負わせて良いものなのだろうか、4年になれば就活、論文で、部の指導責任などを負えるはずもない。不可能と思い知り、それではと、危機管理のために、先生方がバックアップしてもらえるように医科歯科大学の教室で研修会を開催し、もしもの時に、この学生グループは、このような研修会を開いていたと鑑定書をかいてもらえるようにしようと切り替えた。そして、各大学の責任者に、実施している講習マニュアルを書いてもらうなど、2008年までは続けたが、2011年に、SAIに監督、コーチが姿を現さない。つまり、賛同していない、その代で区切られてしまう学生には、継続性がなく、繰り返しになり、先に進まない賽の河原の石積みのようなものだと、自分としては終止符を打った。そのSAIで学生に書いてもらった結果を今回、12月7日のJAUSシンポジウムの報告書に掲載した。これによって、学生現役が考えている危機管理、安全マニュアルの実態についてみることができる。
今度のシンポジウムで、監督、顧問、4人に話をしてもらった。ユニークであり、新しい知識になったのは、芝浦工業大学の足立顧問(教授)の話しで、10分の時間制限で、30分話をされた。僕も20分の予定で40分話したから、五分五分だが。
足立先生発表では、顧問は学校に対して、部の活動の安全について大きな責任を負っている。これは、一つには大学当局が顧問に責任を押し付けていると思われる節もあるが、とにかく大きな責任を負っていて、今年度の八丈島合宿にたいして、GO!の印を押さなかった。安全に責任がもてないということだろう。先年、芝浦工業大学ダイビング部の45周年記念でのあいさつで足立顧問は、ここまで無事に活動を続けてきて、よかったと涙を流していた。本気で責任を負っているのだ。
シンポジウムの後の懇親会で芝浦の現役で、学連の安全対策の責任者になった子に、足立先生は、絶滅危惧種だから、現役が大事にしなければいけないとお願いしておいた。
顧問が大きな責任を負っていることが、この発表でわかった。監督、コーチは、その顧問の責任を肩代わり、あるいは分け合って、安全を確保すべく、学生の活動を見守り、育てて行かなくてはならない。大学のダイビング部活動とは、教育である。ダイビングは、協力して、上級生が下級生の面倒をみて、危険を克服して行く、教育的効果が大きい活動である。こちら側から見て、2年生と一年生ではまるで違うし、三年になるとずいぶんしっかりしてくる。だからと言って、人の命に責任をもてるものではなく、この責任はたとえしかりと大人に近づいたとしても、負わせるのは過酷である。法政の事故の時に、つくづくと感じて、自分もその責任の一端を負いたいと、遺族に何度となく手紙をだした。どうなるものでもないが、心のケアの一端を、同級生の父親として、努力をした。(事故は娘の潮美の同学年のクラブメートだった。)お父さんから、気づかったことについてのお礼の手紙が来た。しかし、許すとか許さないとかの問題ではなく、なぜ、どうしての真実がしりたいという趣意だった。
続く