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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1206 海豚忘年会

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さて、12月2日は、何をした。
浦安海豚倶楽部の練習日、朝9時から11時だ。
この浦安運動公園のプール天井の高いサンルームのようだ。最初に来たときはなんとバブリーなもったいないと思ったが、朝の日が一杯にプールに射し込んだ光の中で泳ぐのは、ここでしかできない贅沢だろう。



 
 練習が終了した後は、忘年会、いつもはホテルのバイキングで、これが割と気に入っていたのだけれど、今度はユーラシア温泉、プールからもよく見える大きな温泉だ。宴会は、4時からで、それまで、温泉にでも入っていてくださいという事、温泉好きならばいいけど、それにしても、3時間も温泉に浸かっているわけでもない。シンポジウムを前にした4時間を無駄にするわけには行かない。
 幸い、JAUSのそして大島トーシキの山本さんも、今年、大島が台風で流れたお礼?でご招待したので、一緒に行く。
 食事をしてそのテーブルでコンピューターをたたいていたら電池が切れた。コンセントのあるところに移動したいというと、ここではコンピューターを使わないでくれということ。仕方が無いから手帳を出して、原稿の構成をかいてすごした。


   
        新役員は全部、フリッパー競泳の選手

 忘年会では、浦安海豚倶楽部が今年初めて、全日本スポーツダイビング室内選手権大会にチームを送って出たこと、これは、ぼろぼろになりながら、僕が50mを泳いだ効果で、
小松さんは100mで銅メダル、彼は早かった。真玉橋さんは、400mで涙のこれも銅メダル、彼は遅かった。
そして、84歳の玉置さんのための特別レースでは、イルカ倶楽部の全員と、それから石川さん、米沢さん、僕のグループで占めた。生涯スポーツクラブとしての成果であり、勝利である。来年はクラブ全員がでるようにとお話しした。それにしても、僕が最速のころこのクラブを作ってみんなで出ようと言ったのに関心が無く、僕がぼろぼろになってから出るようになるとはと挨拶した。考えて見れば、僕が遅いのに出るから、自分たちも遅くてもよい、その年齢でのタイムがわかれば、という趣旨が浸透したのだろう。



来年の僕の80歳、80mはみんなで応援してくれる。そのプラカード幕は、「目指せ生還」となった。
来年と言わず、毎日が目指せ生還の生活だけど、太く短く生きようとして、80年、まあ、いいか。



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