Quantcast
Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

1124 全日本スポーツダイビング室内選手権大会

$
0
0
全日本スポーツダイビング室内選手権大会 21回、1994年に、全日本潜水連盟から、社会スポーツセンターに移管してから21回になる。その前、1968年から1975年の沖縄海洋博でのスポーツ大会の事は、ニッポン潜水グラフィティに書いた。

プロデューサーをやっている時には自分が泳ぐなど到底できないが、実行委員長などという閑職、人とのお話やお付き合いは忙しいが、運営の責任者で亡くなってから、選手?として出場に、400mにでて、4回優勝した。僕の優勝タイムは、今のレースで5位程度だから、ずいぶんレベルが上がった。65歳でやめたのだから、14年前だ。
なぜだかわからないうちに、50mに出場することになった。12歳年下の石川さんと競争することになってしまった。バカバカしいけれど真摯に練習した。練習の初期、初夏には、勝てるかもしれないと思うほど好調な時もあった。しかし、夏から秋に向かって調子が悪くなった。その上、ウエットスーツを着たら30%ほどダウンした。そして、11月に入り、毎年恒例の秋の体調不良になった。

     僕のレース

     若い人のレース


 主治医は、当然、やめろという。春から練習して、50mを40秒程度に泳ぐと、息がはずんで苦しくなり、しばらく戻らなくなる。それはもう危ない。45-50秒ならば、大丈夫だから、その程度で泳ぐという事にした。
 全日本スポーツダイビング室内選手権大会の開会式の挨拶で、安全で楽しくとごあいさつする。自らAEDの実験台になるわけには行かない。50秒をリミットタイムにすることにした。
 応援団には50秒と書いてもらって、安全運転することにした。予想通り48秒で泳いだ。石川さんは好調で38秒で泳いで、60歳代の部で2位になった。一位は、これで20回近く60代の50mを制覇しているY さんだった。彼は60代新記録の30秒と言う記録を持っている。
 もうそろそろ、本当にレースから引退か?とっくに15年前に引退しているのに、まだそんなことを言っている。今回もトレーニングの目標にはなった。そして浦安海豚倶楽部他チームを作って参加してくれた。応援にもみんなで来てくれた、これは、僕がレースに出た効果だ。来年はもっと多くでチームを作ってくれるかもしれない。


 JAUSシンポジウムのPRとか、今日一日、得るところはたくさんあった。例年海洋大学潜水部の子たちに大スクリーンに出す映像の撮影を手伝ってもらっている。彼ら、後輩と一緒に居るのは楽しい。孫のような後輩は可愛い。学連を大事にしたいという気持ちは彼らとの付き合いが楽しく、全員が可愛いからだ。こちらが良く思っていれば心は通じる。12月7日のシンポジウムは、その気持ちで行こう。
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

Trending Articles