イスキアにもどろう。
ゴムボートと、もう一隻、アンジェラ教授、f先生夫妻が乗り、僕たちのダイビングを遊覧するボート2隻での出港だが、ゴムボートは高速で数分でダイビングポイントに到着する。ダイビング地点にはブイが設置されていてゴムボートはそれにつかまる。
ボートが停止すると、潮が流れているのがわかった。速さは1.5ノットていど。普通のダイバーが普通に潜れる限界の流れだ。下の様子は全く分からない。レンタルの機材は体に合っているかどうかわからない。久保さんはいつもの通り、遠く日本から、自分の機材をきちんとパックして持ってきている。
この流れ、館山、西川名ならば、ぎりぎりの線だ。中尾先生と相談する、どうしましょう。日本だったら潮どまりを待つか、このポイントはやめて別のところに移動する。中尾先生はパスするという。「須賀さんはどうされますか?」僕はここまで来て写真も撮らずに潜らないで帰るわけには行かない。
ガイドは、浮き輪をつけたドリフトラインを流した。僕を含めた4人が機材を着け終えると、ガイドダイバーは、先にエントリーして、ロープの先端の浮き輪につかまって、僕たちを待つ。これは流されそうになった時のアシストだ。飛び込んでからカメラを受け取るのは流れがあるから難しいだろうと、カメラを抱えてバックエントリーした。すぐにロープにつかまって手繰る。片手にカメラを持っているから片手で手繰る。カメラステイにはTG-2とGOPROが並んで付けてあり、両側にライトだ。
外れたGoProが撮っている。
アt!GOPROがステイから落ちた。飛び込んだ衝撃だろう。マスクマウントとワンタッチで付け替えられる石川製の部分だ。まだ初期のもので着けやすく落ちやすい時代のものだ。僕は頻繁にマスクとステイをカメラを往復させたいので外しやすいマウントを使っていたのだ。左手でロープをつかみ、脇にカメラをはさみ、右手で落ちたGOPROを捕まえた。とにかく潜降索まで泳いで、手繰って下に行こう。海底は流れが緩くなっているはずだ。見下ろせば大きなロックなので、潮陰があるだろう。BC.の空気を抜かなくてはいけない。飛び込むときに抜いておけばよかったのか?もう一本手があれば問題は無いのだが、空気はぬかないまま強引にロープをたどろうとした。
なんとか潜降索をつかんで潜降した。他のメンバーの動きを見ている余裕はない。海底について外れたGOPROを取り付けようと膝たちになる。と、GOPROの蓋のバックルが開いてしまった。3型はセフティロックになっているけれど、2型はバックルが一動作なので水圧で蓋がきつく締まるとバックルがはずれてしまうのだ。僕はこれで一台水没させて、ゴムバンドで止めておくようにした。このごろトラブルが無かったのでゴムバンドを省略、さぼってしまっていた。バックルを手で押さえて行かなくてはならない。
TG-2で動画を撮り、GOPROでも動画を撮って進む。こんなことをしていたためにガイドと町田君は先行してしまい。僕の横には久保君と宮本先生だ。宮本先生は安定して水平姿勢で泳いでいる。潮は向かい潮だ。
僕は、この一連の出来事、で空気は減っている。流れはそれほどきつくはないが、力を入れて泳がなくてはならない。空気は100、二分の一になった。目標は洞窟だと言っていた。ここから、洞窟に行ってリターンすると、ガイドから空気をもらわなくては浮上できない。リターンしたくなった。何かあったら直線で戻るというのも僕のスタイルだ。横を泳ぐ久保さんに身振りで相談する。先行する二人を戻してリターンした方が良いのではないか。久保さんは、とにかくガイドに付いて行く他ない。と進路を前方に示す。まあいいだろう。空気は誰かからもらえばいい。
久保君のゆったりしたフロッグキックで十分に遡っている。
撮影する宮本先生。
途中、少しばかり採集に良い場所があって、町田君と久保さんが採集する。
町田は本当に上手になったな、とおもう。このような採集については、バディシステムさえしっかりしていれば、もうどこでもなんでも危なげなくできるだろう。2006年の東大での事故、僕が、任せられて、かかわっていれば、亡くなったY 君も町田程度になっただろう。
残圧80程度で洞窟の入り口に到着した。僕のイメーしていた洞窟は、岸の崖の延長であるドロップオフにある海蝕洞だったのだが、そうではない。海底の地形のような大きな洞窟を抜けたら、出発の基点なのだろうと想像した。
やはり、洞窟は、向こう側に抜けていて50mぐらいだろうか、海綿の類も付いていて、きれいな洞窟だ。
やはり、トンネルを抜けたら、すぐに潜降索があった。
もしも、この地形の図があれば、あるいはボードで説明してくれていたら、何の問題もなかった。それに、もし図で説明されれば、岩を回り込むことなく、潜降索からおりたらすぐに今の潜水の出口から洞窟に入り、洞窟の中と抜け出た付近で採集する。これがわかっていれば、強引にでも、中尾先生に行きましょうというだろう。久保さんもいるし、町田も上手になっているし、宮本先生も上手だ。そして、中尾先生もダイビング歴は20年以上。
一旦岸にもどり、城塞の下で休憩する。スノーケリングの観光客もボートでやってきて、僕たちも、ダイバーではない荒井さん、杉江君がスノーケリングをする。海底にはアマモの類、地中海だから名前はわからないが海草が密生している。僕もちょっとばかり潜ってみたいけれど、自重しておいた。寒くなるといけない。
1回目の潜水は最大が20m、2回目は10m前後を予定している。ボートは5分ほど走って、岸に近い壁に潜った。中尾先生は、エントリーした近くで、いつものように海綿を採集する。男のガイドと三人はどんどん先にいってしまった。中尾先生は、ゴルフボールのような海綿を採集した。いけない。採集用の袋を持ってきていない。アシスタントお姉さんが僕たちの方に付いていて、皆はどんどん先に行ってしまったから、追従して行けと、指差す。これもいつものガイドパターンだ。どんどん先に移動して行ってしまう。移動しないで、動かずに観察すると、泳いでいては見えないものも見えてくる。少しずつ少しずつ移動しながら見て行く。
僕はお姉さんに身振りで示す。「僕たちはこの辺で採集する。君は彼らを追って行き、採集バッグを一つもらってきてくれ」Ok サインを出して、追っていったが、しばらくして戻って来てもバッグは持っていない。追いつけなかったのだろう。採集したゴルフボール海綿を僕が持っているからと中尾先生に伝えたが、「いや、良い」ということで、そのまま持っているから、次の採集はできない。多分、他の種類は町田が採ってくるだろうから、もういい、ということだろう。
水面は24度だが、少し水深が深くなると2度ぐらい低くなり、冷たくて寒い。やがれ、皆戻って来て、浮上。
2回目の潜水は
潜水時間は48分 開始時間と浮上時間は時差を調整していなかったので正確ではないが13時ごろだった。水温は24.2度だが底では20度ぐらい。透視度は20m、最大水深は12.0m 平均は8.6m だった。
1回目の洞窟の潜水は、
潜水時間45分 水温は21.6度 透視度は20m 最大水深20mで、これはTG2の最大水深15mを越えているが問題なく撮影できた。平均水深は12.4m
狭いダイビングショップで着替え、ウエットスーツの水を切り、ビニール袋にいれて、キャリングトランクに入れる。このまま、これからナポリに戻る。