山形カシオから、水中トランシーバ「ロゴシーズ」をワンセット預かった。北海道の工藤君に紹介してもらってのことで、前からこのトランシーバにはとても興味があったのでうれしい。ここしばらく、この「水中会話装置」について論評してゆく予定で、その第一回である。なお、今回に出す写真の何枚かは、スキンダイビング、ドルフィンスイミングのクィーンである斉藤真由美さんの撮ったものを使わせてもらう。
さて、まず水中通話、僕は会話ではなく通話という言葉をこれまで使ってきたので、水中通話であるが、自分では水中通話のパイオニアであり、権威者だった。過去形にしているが、現在でも、オペレーションについては権威者だとおもうが、耳が聞こえなくなってきているので、この道のトップを走り続けることは無理だろう。なにしろ聞くことだから。
今度発売した「ニッポン潜水グラフィティ」の中心部分は、26歳の時の100m潜水チャレンジ(90mで引き返して、命だけは救った)であるが、この時、僕は90mの極限状態で水中からのレポートを送った。「舘石さんを引き上げてください」と絶叫した。先行する僕の上に舘石さんが落下してきたのだった。※くわしくは「ニッポン潜水グラフィティ」を買ってよんでください。
100mを目指す
その時に、水中撮影をテーマにしたテレビ番組は、水中からの音声通話によるレポートが重要な位置を占める。すなわち、映像と音がなければ、テレビ番組にはならない。スタジオからのナレーションに加えて、現場からの声があれば効果は倍増する。とわかった。
そして1982年ごろから、水中レポート装置、つまり水中通話装置の開発に取り組み、日本初の民放テレビによる水中中継、水中とスタジオを結んだ二元中継を成功させた。残念ながら、畏友の河野祐一カメラマンに、NHKで先を越されてしまった。だから日本初ではなくて民放初である。
しかし、その後1986年から、テレビ朝日「ニュース・ステーション」で須賀潮美の水中レポートを中心の番組「立松和平の心と感動の旅」をはじめ、一世を風靡したとおもっている。なにしろ20年近くその番組の流れは続いた。
こんど、80歳を迎えるので80歳で80mもぐろうと計画しているが、これも水中からの通話音声が必須だと思っている。
できれば、その時にこのロゴシーズも活かして使えれば、と考えている。
もう一つ、水中通話については、ダイバーの安全管理のために、ニュース・ステーションで使ったような有線通話機を芯にした、安全管理システムである「ケーブルダイビングシステム」を考案し、普及に努めたが惨敗した。リクリエーションダイビングでは、ケーブルで繋がれることは嫌だし、道具が大掛かりになり、お道具になってしまう。プロの水中作業には通話が必須であるが、これは通話機のケーブルを送気ホースに沿わせることで、普通に通話が成立してしまっている。何もことさらに、ケーブルダイビングシステムは、必要ない。
さて、次に水中での音声通話の沿革を考えてみよう。
先に述べたように、送気式潜水機では、水中電話装置は必須であるとともに普及している。ヘルメット式潜水機では、ダイバーは、鼻歌を歌って作業したりしている。減圧などで時間をもてあませば、声を張り上げて北島三郎を歌ったりする。
これは、ダイバー対水面の船、水面のオペレーターとの通話である。
水中通話は、大きく二つに分けて、まず水中と水面との通話、そして次にダイバーどうしの会話である。
僕がかかわってきて、権威者だなどと威張っているのは水中と水面上との通話であり、ダイバーどうしの会話については未知数というよりも否定できであった。
水中でのダイバー同士の会話についてもいくつかの方式に分けることができる。まず優先通話で船上とつながっているダイバー二人、もしくは数人が水面を仲介して話し合うことができる。もう一つは水中で文字通りにしゃべる。声をだして話をする。これはリブリーザーなどではかなり有効で上手な人ならば、2-3m離れて話をすることが可能である。
次に水中スピーカーを鳴らして、音を直接に耳に伝える方法であり、水中スピーカーからの音は、水中ではよく聞こえる。シンクロナイズドスイミングなどは、水中スピーカーで音を出して、音楽に合わせて踊っている。その水中スピーカーを小型にして、音を出して、直接に耳で聞いて話をする。かなり昔、アメリカでヤックヤックという水中スピーカーシステムがあり、かなり長い間カタログに載っていた。親友の上谷成樹(故人)は、この水中スピーカー会話システムを開発し、僕はこれを借用して、水中結婚式のテレビ番組を作った。水中スピーカーで牧師(実は牧師に扮した、伊豆大島・秋の浜の仙人こと大沼君)が祝福する。あまりうまくいったので出席の親族からほんものの牧師だと思われた。
しかし、水中スピーカーは、水中でしゃべるためにかなり大きなと言ってもそれほど大きくないが、持って行かなくてはならない。あまり普及しないで終わった。これで、ヤックヤックも上谷の、これは「シャベリーナ」と命名されていたが市販品としては成功しなかった。
音声直接ではなくて、電波に載せる方法もあるが、電波は水中を飛ばないのでこれは除外、超音波は水中を通る。光に音を載せる方法もあり、これは去年テストさせてもらった。光が届く範囲ではよく聞こえるが、光を持たなければならないのが難点、しかし、このごろでは、ダイバーがライトを持つことが普通になったから、見込みがあるとおもったが、大々的な市販には至っていない。
そして、こんどのカシオ、ロゴシールに至っている。
今日は前置きで終わってしまった。
さて、まず水中通話、僕は会話ではなく通話という言葉をこれまで使ってきたので、水中通話であるが、自分では水中通話のパイオニアであり、権威者だった。過去形にしているが、現在でも、オペレーションについては権威者だとおもうが、耳が聞こえなくなってきているので、この道のトップを走り続けることは無理だろう。なにしろ聞くことだから。
今度発売した「ニッポン潜水グラフィティ」の中心部分は、26歳の時の100m潜水チャレンジ(90mで引き返して、命だけは救った)であるが、この時、僕は90mの極限状態で水中からのレポートを送った。「舘石さんを引き上げてください」と絶叫した。先行する僕の上に舘石さんが落下してきたのだった。※くわしくは「ニッポン潜水グラフィティ」を買ってよんでください。
100mを目指す
その時に、水中撮影をテーマにしたテレビ番組は、水中からの音声通話によるレポートが重要な位置を占める。すなわち、映像と音がなければ、テレビ番組にはならない。スタジオからのナレーションに加えて、現場からの声があれば効果は倍増する。とわかった。
そして1982年ごろから、水中レポート装置、つまり水中通話装置の開発に取り組み、日本初の民放テレビによる水中中継、水中とスタジオを結んだ二元中継を成功させた。残念ながら、畏友の河野祐一カメラマンに、NHKで先を越されてしまった。だから日本初ではなくて民放初である。
しかし、その後1986年から、テレビ朝日「ニュース・ステーション」で須賀潮美の水中レポートを中心の番組「立松和平の心と感動の旅」をはじめ、一世を風靡したとおもっている。なにしろ20年近くその番組の流れは続いた。
こんど、80歳を迎えるので80歳で80mもぐろうと計画しているが、これも水中からの通話音声が必須だと思っている。
できれば、その時にこのロゴシーズも活かして使えれば、と考えている。
もう一つ、水中通話については、ダイバーの安全管理のために、ニュース・ステーションで使ったような有線通話機を芯にした、安全管理システムである「ケーブルダイビングシステム」を考案し、普及に努めたが惨敗した。リクリエーションダイビングでは、ケーブルで繋がれることは嫌だし、道具が大掛かりになり、お道具になってしまう。プロの水中作業には通話が必須であるが、これは通話機のケーブルを送気ホースに沿わせることで、普通に通話が成立してしまっている。何もことさらに、ケーブルダイビングシステムは、必要ない。
さて、次に水中での音声通話の沿革を考えてみよう。
先に述べたように、送気式潜水機では、水中電話装置は必須であるとともに普及している。ヘルメット式潜水機では、ダイバーは、鼻歌を歌って作業したりしている。減圧などで時間をもてあませば、声を張り上げて北島三郎を歌ったりする。
これは、ダイバー対水面の船、水面のオペレーターとの通話である。
水中通話は、大きく二つに分けて、まず水中と水面との通話、そして次にダイバーどうしの会話である。
僕がかかわってきて、権威者だなどと威張っているのは水中と水面上との通話であり、ダイバーどうしの会話については未知数というよりも否定できであった。
水中でのダイバー同士の会話についてもいくつかの方式に分けることができる。まず優先通話で船上とつながっているダイバー二人、もしくは数人が水面を仲介して話し合うことができる。もう一つは水中で文字通りにしゃべる。声をだして話をする。これはリブリーザーなどではかなり有効で上手な人ならば、2-3m離れて話をすることが可能である。
次に水中スピーカーを鳴らして、音を直接に耳に伝える方法であり、水中スピーカーからの音は、水中ではよく聞こえる。シンクロナイズドスイミングなどは、水中スピーカーで音を出して、音楽に合わせて踊っている。その水中スピーカーを小型にして、音を出して、直接に耳で聞いて話をする。かなり昔、アメリカでヤックヤックという水中スピーカーシステムがあり、かなり長い間カタログに載っていた。親友の上谷成樹(故人)は、この水中スピーカー会話システムを開発し、僕はこれを借用して、水中結婚式のテレビ番組を作った。水中スピーカーで牧師(実は牧師に扮した、伊豆大島・秋の浜の仙人こと大沼君)が祝福する。あまりうまくいったので出席の親族からほんものの牧師だと思われた。
しかし、水中スピーカーは、水中でしゃべるためにかなり大きなと言ってもそれほど大きくないが、持って行かなくてはならない。あまり普及しないで終わった。これで、ヤックヤックも上谷の、これは「シャベリーナ」と命名されていたが市販品としては成功しなかった。
音声直接ではなくて、電波に載せる方法もあるが、電波は水中を飛ばないのでこれは除外、超音波は水中を通る。光に音を載せる方法もあり、これは去年テストさせてもらった。光が届く範囲ではよく聞こえるが、光を持たなければならないのが難点、しかし、このごろでは、ダイバーがライトを持つことが普通になったから、見込みがあるとおもったが、大々的な市販には至っていない。
そして、こんどのカシオ、ロゴシールに至っている。
今日は前置きで終わってしまった。