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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0809 80-80 &東京湾

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   写真が前後するけれど、「神の子池」
 


 一日に一つのことしかできなくなっている。後期高齢者の頭のめぐりはその程度だ。後期高齢者とは、死ぬまでの死を前にした、一つのステージだと思う。そのステージを隠居という形でおだやかに過ごすことが日本の伝統かもしれない。しかし、死ぬまでにやっておきたいことがあれば、やっておかなければならないと突進する人もいる。僕は、隠居では死にたくない。戦場で倒れることが本懐だ。人にご迷惑を多大にかけている。

 昨日、8日には古巣の東亜潜水機に行って、社長の佐野弘幸氏と、芝浦工業大学ダイビング部顧問の足立先生に僕の80-80計画の新しい潜水機を作る計画の打ち合わせに行った。東亜でその骨格を作ってもらう。そのデザインは芝浦工業大学ダイビング部におねがいしたい。東亜の社長である佐野弘幸氏は芝浦工業大学ダイビングクラブの祖であるtその祖が、小学校高学年の時に、僕は東亜を去った。たくさん、たくさんの水が荒川鉄橋の下を流れた。
 

 東亜潜水機では、僕が、一緒に働いていた仲間の息子たちが働いている、左が安森君、右が亀田さん
 二人とも面影がお父さんに似ている。タイムスリップしたような気分

 このようなな潜水について、新しいデザインの潜水機を作るという試みは、多分、日本で初めてだろうと思う。その詳細については後日、足立先生からのスケッチが上がってきた時にお話ししよう。とにかく、お二人ともご迷惑そうだった。

 8月9日は、元、電通映画社プロデューサーの神領氏を訪ねて、川崎まで出向いた。
 話すことはたくさんある。まず、映像のこと、引退したとはいえ彼は映像のプロフェッショナルだ。カメラを構えて僕のことを撮る。僕もそれをAEEでとる。ウエアラブルカメラを含めた映像の話、映像、動画はすべて4Kでとらなくてはいけないと言われる。4Kもいいけれど、処理が僕ではできないので敬遠している。いや、あと2年したら、すべては4Kになり、4Kで撮っていない映像はすべて無価値になる。彼の構えているかめらは、当然4Kだ。


 今日の話の主は、僕が彼のプロデュースのもとに撮った衛星チャンネルのフリーゾーン2000の映像を、ちょっとした集まり(JAUSのマンスリーなど)で流してもよいのだろうかという問いとお願いだ。もはや、フリーゾーンを制作した衛星チャンネルという会社は存在していないから、著作権なんてあるようなないようなことになっているから「いいんじゃない」ということだった。
 衛星チャンネルで僕が作った番組は、「南海に沈む駆逐艦追風」「アラスカの熊」「サメのさまざま」そして、「東京の川シリーズ」だ。「東京の川」は、1990年代の東京の川を撮影して、記録にのこしておこうという番組で、変わってしまった今見てみることも意義があり、そのためにこそ、この映像を撮ったものだった。

 神領さんと言ば、東京湾の環境問題の一時代を作った人でもある。電通の予算で、東京湾海洋研究会というグループを作った。川崎で熱心に環境活動をやっていた安本君も神領さんの紹介であって、川崎浮島の海に潜り、それから親しくなった。残念なことに癌で余命がいくばくもなくなり、まだ、お元気なうちにお別れの集まりがあり、それを、やはり東京湾の木村さんから知らせられて、飛んで行った。その席で、彼が僕の後のよみうりランド竜宮城の水中舞台監督をやったことがわかった。水中舞台監督って、要するにインストラクターのことだが、思い出の話が咲いて、「もう一度一緒に潜ろう。再見!」と握手して別れたが、残念なことにもう一度はなかった。その安本君のお別れの会に、急だったこともあり、神領さんに知らせなかった。その時の雑談の中で神領さんの名前がでて、「あ、神領さんに知らせなかった。」と気づき、そのことが神領さんにももうしわけなく、ずっとトラウマになっていた。そのことを気にしていたとはなすと、彼は全然気にしていない。適当な適当「良い加減」をモットーとしているプロデューサーで、一緒に仕事をしていてつかれなかった。彼と一緒に撮った一番の作品は知床清里の原生林の中、ぽっかり開いた青い瞳「神の子池」の撮影だった。
 神の子池は、僕たちがあまり足しげく通うものだから、清里の町役場になんだろうと不審におもわれ、開発されて公園になってしまった。
 話を東京湾にもどして、東京湾海洋研究会というのが神領プロデューサーが作った東京湾の会で、電通がお金を出してくれたのだが、お金は長続きせず、3年ほどで、でなくなった。そのためにこの会は散り散りになったが、その会のメンバーが各地の活動のルーツになっている。
 そうだ、神領さんを囲む東京湾の同窓会をやろう。
 僕は転んでもただは起きない。その時に、今僕の抱えている「江戸前復活」プロジェクトの発表会にしよう、まだ発表できないが、神領さんに話すと乗ってきて、「80歳の80mは、それはすごいけれど、何の役にも立たない。東京湾のプロジェクトの方が先だ。」「では、神領さんもなにか役割をはたしてくれますね」「いや、もう僕には何もできない隠居だから。」「電通のようなお金がでないこと100も承知ですよ。隠居仕事の応援で」「映像のまとめぐらいはしてあげるよ。」ということになった。
 早く、企画書をまとめなければ。

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