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 トウキョウアクアラングサービス -1

0730 
 グラフィティを買っていただきたいお願い、出版記念会のお知らせの通知を350通、ようやく終えて、メール便に出して、新宿御苑前の「トウキョウ・アクアラング・サービスを訪ねた。「トウキョウ・アクアラング・サービス」は、グラフィティにも書いている1962年に青木大二さんが創立した店で、それよりも前にあった「太平潜水」が消滅してしまった今、東京で一番古いお店だ。
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  そのころの日本潜水科学協会機関誌ドルフィンへの広告
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 忘れないうちに書き出しだけは書いておかないと、続かないので、アクアラング・サービスを出て、地下鉄に乗るその向かい側のタリーズのテラス席で、アイスコーヒーとドーナッツを食べて、ちょっとキーボードを叩いている。

 1962年、東京オリンピックの年に生まれた青木大二さんのお店の話は、グラフィティにかいた。それは、屋根裏のような4階のビルにあり、その頃は、アクアラングのタンクはそれぞれのダイバーが買い、東亜潜水機は青木さんの売ってくれたタンクを、工場で充填し、青木さんのお店に出前しなければならない。なんでエレベーターのない4階にお店を構えるのだ、と呪いながら、10数本のタンクを担ぎあげて、ほっと一息ついたら、神宮の国立競技場での東京オリンピックの開会式が、その4階の窓から見えて、ブルーインパルスが描く5輪のスモークが見えた。今でも目に焼き付いている。
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 それが、新宿御苑の裏門近くの一階に引っ越してくれて、僕と、そのころのアシスタントの安森君には大変な救済になった。それでも、ミゼットの三輪車に10本のタンクを載せて、まだ路面電車が走る東京の街を、南千住から新宿まで出前をする。青木さんもスバルサンバーという日本軽自動車最大の傑作と思える車で引き取にきてくれたからなんとかできたが、とにかく、そういう時代だった。
 しかし、ダイビングに使うすべてのタンクを僕たちが出前するわけではない。そう、今の人たちには想像もできないだろうが、アクアラングをする人は、タンクを買うと同時にコンプレッサーも買わなくてはいけなかったのだ。
 今、気づいた。そのころのアクアラング潜水で一番重要なポイントであったコンプレッサーのことをニッポン潜水グラフィティでは詳しく書かなかった。僕の記憶力が抜群であるとほめられたが穴が開いていた。もしかしたら月刊ダイバー誌で続編、補遺がかけるかもしれないそこで書き足そう。なにはともあれ、ここでコンプレッサーの話を続ける。
 それは、いくらなんでも個人でコンプレッサーとタンクを買うわけには行かない。グループで買う。二人か三人でグループを作って買う。もしも、3人で買うとすれば、コンプレッサーと3本のタンクを車に積めばどこまででも行くことができ、どこにでも車を止めて、潜水して、その場で空気を詰めて、また移動して行くことができる。
 このコンプレッサーこそが、わが東亜潜水機の佐野専務が率いる機械場の主力製品の一つだったのだ。ああ、夢と冒険を負うことに忙しく、コンプレッサーのことを忘れていた。
 コンプレッサーにもいろいろある。ヘルメット式潜水機の送気のための低圧コンプレッサー、これは50mまで潜るとしても、6気圧まで上げられればいい。実用的には4気圧まで30mまでカバーすればいいので圧縮は一段のピストンアクションで済む。やや小さいマスク式潜水機のコンプレッサーもあったが、東亜潜水機ではあまり力をいれていなかった。ヘルメット式のコンプレッサーでマスクを使えばそれだけ余裕がある。
 さて、150キロまで圧力を上げなくてはいけないこれは一段圧縮では絶対にできない。
常識的には三段の圧縮になる。第一圧縮で、10キロ程度まで上げる。二段目で50キロぐらい、最後の三段で150キロまであげる。三段に分けて考えると、圧力が高くなるほど、充填効率が悪くなることが理解できる。その三段圧縮を佐野専務は、エイッとばかりに2段にしてしまったのだ。三段を二段にすれば、大きさも小さくなる値段も安くなる。二段減圧のPHC(ポータブル、ハイプレッシャーコンプレッサー)は、小型ガソリンエンジンと組み合わせて、その頃の価格(潜水読本:山下弥三左衛門)を見たら、80000円とある。ええっ、80万ではないのか?しかし僕のその時の月給が3万円だ。8万円は安くはない。そのときに僕が作っていたTOASCUBA レギュレーターが2万円、タンクが1万7千円となっている。
 三人でグループを作れば、ポータブルコンプレッサーは買えない値段ではない。
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 3段圧縮を2段に省略したPHCは、(ピーエッチシーと呼んだ)は、やはり圧力が高くなると効率が極度に悪くなる。当時のタンクは標準で120-150キロで、国産および、消火器改造型は120まで充填した。それでも100-120の間は、ゲージが全然上らない。トウキョウアクアラングサービスでも太平潜水でもクラブを作っている。クラブ員の人数は10から30、そして100へと次第に増えて行く、その空気の充填が大変だ。
 伊豆の下田方面にトウキョウアクアラングサービスのクラブが遠征するのに付き合ったことがある。20人ぐらいだったと思う。もっと多かったかもしれない。まず、一日潜って、夜はコンプレッサーでのタンク充填になる。夜通し充填しないと、明日潜れない。交代で充填する。ガソリンエンジン付きのコンプレッサーである。
 タンクとコンプレッサーは荷台に幌のついた小型トラックで運んでいる。
 雨が降ってきた。その時、僕はなぜか空気充填を見回りに行った。虫の知らせかもしれない。エンジン付きコンプレッサーを荷台の幌に雨宿りさせてエンジンを回そうとしている。あわてて止めた。明日の潜水で、一酸化炭素中毒でごろごろ人死にがでるところだった。
 PHCは水冷のコンプレッサーだったから、冷却水をバケツに入れて、コンプレッサーに付属している小型冷却水ポンプで水を回す。バケツの中の水が汲みあげられ、また戻されて循環する。次第に水が温まってくる。冷却効率が悪くなると、コンプレッサーが熱くなる。コンプレッサーのピストン部分を手で触ってみて冷たければ大丈夫、熱くなって触れないほどになると、潤滑油が蒸発し始めて、コンプレッサーは一酸化炭素発生器になる。
 知ってのとおり、一酸化炭素中毒は致命的になりうる。
 話は飛ぶけれど、この小型コンプレッサーをずいぶん後になっても使っていたグループがある。僕がコーチをしていた東京大学海洋調査探検部である。探検だから、エアーサービスの無いところでも潜りに行く、のが建前である。毎回の遠征にはコンプレッサーを持って行く、離島でもエアーサービスができ、エアーサービスの前でコンプレッサーを回して充填するような様相になった。空気充填はガスの質の問題だけではなくて、タンクの破裂の可能性もある。充填している時のタンクは不安定である。だから充填所はコンクリートの壁で囲い、タンクが撥ねても上に向かうように天井はプラスティックの波板にしたりしている。そのコンプレッサーに東大生が付き添って充填する。コーチとしては、やめさせたい。何度もやめるように言った。しかしOBたちが聞かない。タンクを自分たちが充填することが探検のアイデンティティなのだ。その先輩たちも僕が教えた子供だった。成長してえらくなったりしている。
 やっとの思いでコンプレッサーを取り上げたら、今度は硫黄鳥島に遠征するという。そこにはエアー充填施設がない。自分たちで解決できたのだろう。

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