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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0726 の花火大会

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7月26日、石川総一郎さん主催の両国花火大会。
 お台場潜水と前後してしまった。石川亭の花火大会は、石川さんにとって年最大のイベントである。そしてそれは、僕たち周囲の友人たちにとっても大きなイベントである。特に今年は、僕の出した「ニッポン潜水グラフィティ」の販売もしてくれるということなので、僕にとっても今年最大のイベントの一つになる。
 花火大会は、隅田川と並行している清澄通り、地下鉄両国駅前のあたりの交通を18時から21時ごろまで堰き止めて、東京下町の庶民が道路に茣蓙を引き(最近ではブルーシートを)花火をおよそ30度から45度の角度で見上げて、飲んだり食ったりしゃべったり、庶民のリクリエーションのエッセンス、安い近い楽しみに純粋にのっとっておこなわれるイベントである。
 最初に行ったとき、これはなんだろうと思った。下町、浜町の花柳界に生まれた僕にとって、花火とは、屋形船で、もしくは河岸にしつらえた桟敷(ビルの屋上も含まれる)から見上げるものであり、道路に茣蓙を引いて見るものではなかった。しかし、回を重ねて参加する毎に、これこそが、江戸の昔から下町に伝わっている庶民,お大尽さまではなくて町民の江戸の花火なんだと思うようになった
 
 まず花火大会は道路の場所取りから始まる。花火の10日ないしは半月前に道路の歩道の堰石部分にブルーシートを巻いたものを取り付け、名前を書いたテープを貼り付けておく。そのあとも、散歩のとき、通勤の道すがら確認は怠らない。
 石川さんにとっては、年に一度、下町っ子の心意気がかかっている。報酬は集まる人たちが喜んでくれること、笑顔を見せてくれること、ただ、それだけ一筋のイベントである。もちろん、お代などいただかない。今年は、僕のグラフィティをという目標が一つ加わったから、その2000円をいただく、ただそれだけである。
 おかげさまで、130余人という多い人数が集まってくださることになった。石川さんは大変である。130人分のお刺身をつくらなくてはならない。養殖の鯛と言っても鯛は鯛であり、高価である。そして、夏である。食中毒など起こしたら大変だ。氷の買い出しにも魚河岸に行く。僕はお刺身はやめようという意見を前から持っているが、彼は譲らない。お刺身が無ければ、喜んでもらえないと言い張る。
 
 雨が心配だ。去年2013年は、夜の花火が上がり始めたころに雨が土砂降りになり、引き上げとなった。今年こそは雨が降らないでもらいたい。前日、25日は夕方からの雷雨があった。





 
 地下鉄に乗ると、浴衣姿の女の子が目につく、地下鉄を上がると、もうたくさんの人が歩いている。第一ホテル、日大の高校、そして震災記念堂と並ぶ側は準備の側ではない。その対岸にみんなスタンバイしている。もう、座って宴会を始めているグループもあるが、車道に出ないように、多数のガードマンが警戒に右に左に行き交い、やがて、テープが張り巡らされる。わが石川亭は大所帯である。そして、もう見知った顔がみんなそろっている。順天堂の河合先生も学生を連れてきている。早稲田の学生グループも石橋君が引率できている。彼らがダッシュして茣蓙を広げる。別にダッシュしなくてもいいのだが、ダッシュするのだ。
18時に交通遮断が行われ、一斉に道路に飛び出すのだが、これも、一つのセレモニーなのだろう。緊張が次第に高まっていって、今か今かという空気が満ちてくる。一つの楽しみであり、幸せでもある。石川さんが車を着けて、最後の荷物を下ろす。17時55分だ。
18時を数分過ぎて、ガードマンが制止を解くかとかないかのうちに、テープを切るような感じで、ダッシュで茣蓙がひろがり、石川さん手作りの10人が使うテーブルが13基置かれ、手順良く席割りの紙が貼られてゆく。その間、5分と掛からない。別に訓練をしたわけではないのだが、楽しんでやっているから息がそろう。
 指定の座について、まず、とりあえず、ビールから宴会が始まる。僕は例によってコーラだが、かたくなに禁酒しているので、これだ。
 鶴町のお母さんと、三ツ橋千沙がグラフィティの販売をやってくれる。お金とひきかえに本を渡す。鶴町のお母さんは、僕のリサーチダイビングの最後の本格的バディで、彼に任せておけば、僕は何もしないでも調査が終了し、その結果も間違いがなかった鶴町の奥さんである。鶴町と僕との付き合いは、グラフィティに書いている。その鶴町の奥さんは、今では、いつの間にか、僕たちのグループの中心にどっかりと座をつくっている。鶴町の代わりに僕を援けてくれている。ただそれだけで何もない。僕のために、できることは何でもしてくれるといい、本当に何でもしてくれる。

 鶴町の娘の美帆と映美は、僕の娘同然だけれど、今夜は残念ながら顔をみせていない。その代りに、映美の勤めている会社が記念のブックマークを作ってくれたし、美帆は、石川亭の看板を書いてくれた。良い看板で、石川亭が続く限り、看板になるだろう。写真は魚料理研究家の宮内さんが撮ってくれたもののコピー、

 たくさんの人と話をしたので、そのすべてを書くスペースもエネルギーもないが、山入端きよ子さん。彼女は沖縄の人で、僕と舘石さんの間がしっくりしなくなった頃に舘石さんのアシスタント、兼モデルになった。それでもなぜか、僕の撮影のモデルもやってくれたりした。舘石さんと僕は、舘石さんが亡くなってしまうまで、社交辞令としてはともかくとして、残念だけど、打ち解けた昔に戻ることはなかったが、グラフィティは、僕の視点からみた舘石さんの物語でもある。素晴らしい人だったと思う。今生きていれば、どうだろう。多分、昔の笑顔を見せて、手を握ってくれて、僕はきっと泣いてしまうだろう。グラフィティ=センチメンタルの塊でもあるのだ。そのきよちゃんと僕がいま石川さんの仲介で大の仲良しになり、花火で話し合っている。生生流転とは、このことだろうか。

 辰巳で一緒に泳いでいるヴィーナスたちも来てくれた。未来ちゃん、純子ちゃん、佳苗ちゃん、羊子、羊子が浴衣に着かえてきて、美人に見えたけれど、ごめん、写真を撮っていない。毎度忘れ物をするが、この花火の忘れ物は、羊子の浴衣を撮らなかったことだ。
ほとんど全部の人とお話ししたので、そのすべてを書けない。

     石川さんと奥さんの笑顔、
 来てくれた人たち全部が楽しそうだった。最後の大仕掛けな花火まで雨も降らなかった。そのあとも降らなかった。全面的に降らなかった。

 娘の潮美も来てくれて、石川さん宅の二次会まで来てくれた。例によって、狭い(失礼)スペースに缶詰的に詰め込む二次会は、これぞ下町のパーティであり、気持ちが休まる。
 石川さんの奥さんもたいへんだけれど、嬉しそうな顔をしていた。清水まみは、花火が終了してから、石川さん宅の後片付けにだけのように来てくれていた。なんと、花火は見ないで、後片付けだけに遠く三鷹の方から来てくれるのだ。みんなが楽しければ石川さんは幸せであり、僕も楽しい。楽しいことをモチベーションにして、大きな目標を立てて、邁進したい。いろいろな考えがあって当然だが、いろいろな考えをまとめて行くリーダーシップの根源は、一緒にいて楽しいこと、政治活動とか金儲け活動はともかくとして、リクリエーション活動について言えば、皆が楽しいこと、それ以上のターゲットはないように思う。これは、言うは易く行うは難いのだが、石川さんをはじめとして、若い人たちまで、とにかく花火大会は楽しかった。

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