2014年の豊潮丸の航海を終了した。
忘れないうちに記録をまとめておこう。
終わりに記念写真、お世話になった船の船長以下乗組員、先生、学生、僕たち
中心は広島大学海洋生物資源化学 教室の堀貫冶教授で、これに早稲田大学先進理工学部の中尾教授、北海同大学の酒井隆一教授の三大学、教授、学生、そして須賀と石川で計19名である。須賀と石川は早稲田大学のチーム安全管理と無脊椎動物採集の補佐を担当した。
須賀は、2007年から毎年の参加で、これで8回目になる。
航海記は、ブログでできるだけリアルタイムでレポートした。レポートは須賀個人の感覚、心象で書いている。学術的なものでもない。
今回の航海は写真に示す航跡のように広島から関門海峡を抜けて、日本海に入り青海島、見島、隠岐ノ島、島根半島で潜水して 関門海峡にもどり、呉に無事帰港した。7月3日に出港し、予定通り9日に下船した。台風の北上接近の中、ほぼ予定通りのダイビングを行ったが、8日は、瀬戸内海の入口の小水瀬島で潜る予定だったが、関門海峡が視界不良のために通行止め。これが4時間続き、潜水する時間が無くなってしまった。
ながらく、一緒に公開してきて広島大学の堀寛治先生が来年3月に退官されるので、これが最後の航海になる。僕はもはやお目にかかることはないだろう。ベトナムにも一緒に行ったし、とにかく素晴らしい先生だった。もうお目にかかれないのはとてもつらい。
今回の潜水のまとめ
中尾教授は、30年近いキャリアのベテランダイバーであり、この豊潮丸での潜水も20年、20夏以上、僕は2007年からだから、これで8年、チームワークも心配ない。現場での動き、ポイントの選定は、先生がほとんどすべてを判断し決める。僕の役割は、このシステムを作り、学生の潜水を指導し、学生の安全に責任をもつことで、つまり、スーパバイザーである。、 僕がかかわるまでの潜水は、ボートからエントリーしたら、ボートはもどってしまい。浮いたらば本船から望遠鏡で見ていて、迎えに来る。流されて当然のダイビングだから、自由度が大きく、かえって楽かもしれない。しかし、もしも何事かが起こったならば、事故になる可能性が大きい。今のスタイルはゴムボートのベースに動きが制限されるから、せいぜい、ゴムボートからの半径が100mもない範囲、だから一般のリクリエーションダイビングよりも、よほど安全度が高い。しかも、学生の町田君の錬度はたかく、石橋君もアドバンスの上に、僕がトレーニングしており、町田にぴったりとはなれないようにさせていて、僕が近くにいて撮影をしている。中尾先生はベテランだし、石川さんとぴったりつけていて、二つのバディは見える範囲で行動している。僕の考えている理想的な体制をとっている。今年の潜水については、今までの豊潮丸の航海よりも安全度が高かったと言える。
この2年ほどは、僕の体力が落ちてきたこともあり、学生が僕を気遣ってくれる。僕としては不本意な形になっている。しかし、フォーメーションとしては、ほぼ完ぺきに近くなっている。自分中心に考えれば、僕が若いころの潜水よりも、学生にとっては今のパターンの方が安全なのだと思っている。何しろ79歳の僕に運動能力抜群の若者が合わせるのだから。しかし、油断はしない。僕はいつも緊張していて、怖い。何でもない、容易な潜水の時に事故は起こる。「ある晴れた、波も流れも無い海で、若いダイバーは命を落とす。」
ここで、恐怖心と安全について考えてみよう。ダイビング事故のほとんどは恐怖心の欠如から起こると思っている。しかし、恐怖心を外に出してしまうとパニックになってしまう。そして、恐怖心、想像力があるからパニックになる。恐怖心のコントロールと実際の行動への反映のバランスが大事で、それは常に変幻している。
中尾先生は、十二分に恐怖心を持たれているから問題ないし、学生も僕たちのチームに関する限りは、大丈夫だと思っている。そして、アシスタントをしてくれる石川さんには、万全の信頼を置いている。それでも、僕には常に恐怖心があり、恐怖心を大事にしている。恐怖心の克服のバランスがポイントだと意識している。
昔、スガ・マリンメカニック時代の僕のチームは、無敵に育て上げたと思っていて、独立した中川も大西もバランス感覚では、優れているから、それぞれの分野で、ほぼ最高の域に達しているとみている。しかし、恐怖心のコントロールという点では、僕に恐怖心が、現場ではほとんどなかった時代のチームだったから、どうだろう。しかし、今の僕の恐怖心では、あの仕事は出来なかった。と書いて、えっ、あの時代恐怖心はなかったのだろうか?ちょっとした難しいダイビングがあるたびに遺書をかいていたはずだ。メンタルな恐怖心はいつもあったが、生理的な、フィジカルな恐怖心はなかったというべきだろう。フィジカルな能力が落ちると、メンタルな恐怖心+フィジカルな恐怖心になる。フィジカルな恐怖心を持たない若いダイバーは、フィジカルな恐怖心を理解することはできないかもしれない。ダイビングの初心者、および高齢ダイバーの恐怖はフィジカルな恐怖心がほとんどである。メンタルな恐怖心を抱けるほどの経験を持ってはいない。恐怖心としてはフィジカルな恐怖心の方が強い。いずれにしても、ダイバーは恐怖心を常にもっているし、持っていなければ危ない。ただ、恐怖心に負けてしまうとパニックになりダイビングは出来ない。
今回の潜水は海況にも恵まれたし、地形としても安全だった。ゴムボートから100Mも離れなかったし、透視度もよく、水深も最大で11Mだった。それでも、僕としては、飛び込む前に、数十秒、精神を集中して、イメージを作った。水に入ることで精神を開放させて、自由になるイメージを作る。
撮影について
残念ながら、オリンパスTG2を使いこなせなかった。自分がイメージしていたようなスチルが撮れなかった。調査報告の写真ならば、GOPROの動画からの静止画と大差がないように思えた。今比べてみると、近寄った標本写真としてはTG2の方がきれいだしシャープだが、少し離れてしまうとGOPROの動画からの静止画の方がきれいに見えてしまう。そして、水からあげてからだったが、まるで水没かと思うようなひどい露結をおこしてしまった。水中で起こした露結ではないのだが、GOPROが全く露結を起こさない条件で露結したということは不安でメインのカメラとしては使えない。
5日からは、GOPROとイノンのライトを組み合わせてステイに着けたセットをメインにした。これは、軽くて操作性が良い。ゴムボートからの発進、エントリーエキジットは、カメラを壊しやすい。GOPROは道具になっているから、ストレスが無かった。なお、このような荒い潜水では、大きな一眼レフは使えない。僕の恐れるのは、カメラを大事にする、あるいは撮影にこだわるために、安全がおろそかになることだ。
TG2も露結を解決して、もう少し使い込めば使えると思うが、そのチャンスは研究会でやる人工漁礁調査プロジェクトだけしかなく、それは水深15Mを超えるので、ハウジングが無ければ使えないし、ハウジングを買ってまで使うカメラではない。しかし、良いカメラなので、露結を解決すれば普段のカメラとしてとてもいい。
次はGOPROとTG2を並べて取り付けるステイを考えよう。
忘れないうちに記録をまとめておこう。
終わりに記念写真、お世話になった船の船長以下乗組員、先生、学生、僕たち
中心は広島大学海洋生物資源化学 教室の堀貫冶教授で、これに早稲田大学先進理工学部の中尾教授、北海同大学の酒井隆一教授の三大学、教授、学生、そして須賀と石川で計19名である。須賀と石川は早稲田大学のチーム安全管理と無脊椎動物採集の補佐を担当した。
須賀は、2007年から毎年の参加で、これで8回目になる。
航海記は、ブログでできるだけリアルタイムでレポートした。レポートは須賀個人の感覚、心象で書いている。学術的なものでもない。
今回の航海は写真に示す航跡のように広島から関門海峡を抜けて、日本海に入り青海島、見島、隠岐ノ島、島根半島で潜水して 関門海峡にもどり、呉に無事帰港した。7月3日に出港し、予定通り9日に下船した。台風の北上接近の中、ほぼ予定通りのダイビングを行ったが、8日は、瀬戸内海の入口の小水瀬島で潜る予定だったが、関門海峡が視界不良のために通行止め。これが4時間続き、潜水する時間が無くなってしまった。
ながらく、一緒に公開してきて広島大学の堀寛治先生が来年3月に退官されるので、これが最後の航海になる。僕はもはやお目にかかることはないだろう。ベトナムにも一緒に行ったし、とにかく素晴らしい先生だった。もうお目にかかれないのはとてもつらい。
今回の潜水のまとめ
中尾教授は、30年近いキャリアのベテランダイバーであり、この豊潮丸での潜水も20年、20夏以上、僕は2007年からだから、これで8年、チームワークも心配ない。現場での動き、ポイントの選定は、先生がほとんどすべてを判断し決める。僕の役割は、このシステムを作り、学生の潜水を指導し、学生の安全に責任をもつことで、つまり、スーパバイザーである。、 僕がかかわるまでの潜水は、ボートからエントリーしたら、ボートはもどってしまい。浮いたらば本船から望遠鏡で見ていて、迎えに来る。流されて当然のダイビングだから、自由度が大きく、かえって楽かもしれない。しかし、もしも何事かが起こったならば、事故になる可能性が大きい。今のスタイルはゴムボートのベースに動きが制限されるから、せいぜい、ゴムボートからの半径が100mもない範囲、だから一般のリクリエーションダイビングよりも、よほど安全度が高い。しかも、学生の町田君の錬度はたかく、石橋君もアドバンスの上に、僕がトレーニングしており、町田にぴったりとはなれないようにさせていて、僕が近くにいて撮影をしている。中尾先生はベテランだし、石川さんとぴったりつけていて、二つのバディは見える範囲で行動している。僕の考えている理想的な体制をとっている。今年の潜水については、今までの豊潮丸の航海よりも安全度が高かったと言える。
この2年ほどは、僕の体力が落ちてきたこともあり、学生が僕を気遣ってくれる。僕としては不本意な形になっている。しかし、フォーメーションとしては、ほぼ完ぺきに近くなっている。自分中心に考えれば、僕が若いころの潜水よりも、学生にとっては今のパターンの方が安全なのだと思っている。何しろ79歳の僕に運動能力抜群の若者が合わせるのだから。しかし、油断はしない。僕はいつも緊張していて、怖い。何でもない、容易な潜水の時に事故は起こる。「ある晴れた、波も流れも無い海で、若いダイバーは命を落とす。」
ここで、恐怖心と安全について考えてみよう。ダイビング事故のほとんどは恐怖心の欠如から起こると思っている。しかし、恐怖心を外に出してしまうとパニックになってしまう。そして、恐怖心、想像力があるからパニックになる。恐怖心のコントロールと実際の行動への反映のバランスが大事で、それは常に変幻している。
中尾先生は、十二分に恐怖心を持たれているから問題ないし、学生も僕たちのチームに関する限りは、大丈夫だと思っている。そして、アシスタントをしてくれる石川さんには、万全の信頼を置いている。それでも、僕には常に恐怖心があり、恐怖心を大事にしている。恐怖心の克服のバランスがポイントだと意識している。
昔、スガ・マリンメカニック時代の僕のチームは、無敵に育て上げたと思っていて、独立した中川も大西もバランス感覚では、優れているから、それぞれの分野で、ほぼ最高の域に達しているとみている。しかし、恐怖心のコントロールという点では、僕に恐怖心が、現場ではほとんどなかった時代のチームだったから、どうだろう。しかし、今の僕の恐怖心では、あの仕事は出来なかった。と書いて、えっ、あの時代恐怖心はなかったのだろうか?ちょっとした難しいダイビングがあるたびに遺書をかいていたはずだ。メンタルな恐怖心はいつもあったが、生理的な、フィジカルな恐怖心はなかったというべきだろう。フィジカルな能力が落ちると、メンタルな恐怖心+フィジカルな恐怖心になる。フィジカルな恐怖心を持たない若いダイバーは、フィジカルな恐怖心を理解することはできないかもしれない。ダイビングの初心者、および高齢ダイバーの恐怖はフィジカルな恐怖心がほとんどである。メンタルな恐怖心を抱けるほどの経験を持ってはいない。恐怖心としてはフィジカルな恐怖心の方が強い。いずれにしても、ダイバーは恐怖心を常にもっているし、持っていなければ危ない。ただ、恐怖心に負けてしまうとパニックになりダイビングは出来ない。
今回の潜水は海況にも恵まれたし、地形としても安全だった。ゴムボートから100Mも離れなかったし、透視度もよく、水深も最大で11Mだった。それでも、僕としては、飛び込む前に、数十秒、精神を集中して、イメージを作った。水に入ることで精神を開放させて、自由になるイメージを作る。
撮影について
残念ながら、オリンパスTG2を使いこなせなかった。自分がイメージしていたようなスチルが撮れなかった。調査報告の写真ならば、GOPROの動画からの静止画と大差がないように思えた。今比べてみると、近寄った標本写真としてはTG2の方がきれいだしシャープだが、少し離れてしまうとGOPROの動画からの静止画の方がきれいに見えてしまう。そして、水からあげてからだったが、まるで水没かと思うようなひどい露結をおこしてしまった。水中で起こした露結ではないのだが、GOPROが全く露結を起こさない条件で露結したということは不安でメインのカメラとしては使えない。
5日からは、GOPROとイノンのライトを組み合わせてステイに着けたセットをメインにした。これは、軽くて操作性が良い。ゴムボートからの発進、エントリーエキジットは、カメラを壊しやすい。GOPROは道具になっているから、ストレスが無かった。なお、このような荒い潜水では、大きな一眼レフは使えない。僕の恐れるのは、カメラを大事にする、あるいは撮影にこだわるために、安全がおろそかになることだ。
TG2も露結を解決して、もう少し使い込めば使えると思うが、そのチャンスは研究会でやる人工漁礁調査プロジェクトだけしかなく、それは水深15Mを超えるので、ハウジングが無ければ使えないし、ハウジングを買ってまで使うカメラではない。しかし、良いカメラなので、露結を解決すれば普段のカメラとしてとてもいい。
次はGOPROとTG2を並べて取り付けるステイを考えよう。