0620
日本対ギリシャのサッカーを見てしまった。サッカーのことはよくわからない。見てきた歴史は古いのだが、自分がプレィヤーであったことはない。それに男子サッカーはフアン、応援している好きな選手がいない。女子サッカーでは宮間選手、彼女だけをみていれば、そのゲームがわかる。
普通、どんなボールゲームでも選手が一人欠ければ痛手で、まず勝てることはない。日本対ギリシャは、ギリシャがかなり早い時期に退場になってしまって、10人で戦った。どうしても守りに入る。サッカーは10人でも守るつもりになれば守れるらしい。自分がプレィヤーの経験がないから、その辺のところがよくわからない。
しかし、最後まで見たが、日本が得点できるようなチャンスがなかった。あのシュートが決まっていたら、というような絶対的なシーンもなかったように思う。大久保のシュートも枠には行っていない。他にないから、あれを残念がっている。これで、多分決勝リーグには上がれないだろうが、そのことはともかくとして、この前の女子サッカーのように感動するシーンはない。勝っても負けても感動を与えてくれることがプロだとすれば、男のサッカーはプロではない。感動する負け方ではない。つまり、なんでもない。
海保にお台場潜水の許可書を取りに行った。6月から11月まで六か月6回分の許可である。今度は10月に12月からの許可申請をしなければならない。まず、東京港湾局に東京都知事の制限解除の申請をする。これはゴムボートを浮かべてもよいという申請だ。後述するように岸から20mの区域だから、ゴムボートなど不要だ。東京湾、瀬戸内海などは、監視船が付かなければ潜ることができない。何を監視するかといえば、屋形船が入ってきたり、水上バイクが遊びに来たりしないように監視する。もちろん、ここに入ってくるのは違反である。違反であっても入ってこないとは限らない。違反ですよ、と注意するための監視だ。
このゴムボートの乗り入れ許可が大体1週間かかる。次は、公園管理課に行事届をだす。これは、届だからチェックして問題がなければ、受付のゴム印をおしてくれる。今回は緊急連絡態勢に病院名が無かったと注意された。があまりうるさくない。次には記載しますということでOK.
さて、次にはこれらの許可、届を重ねて行事許可申請書を海保に、京浜港長に提出する。まずは受け取ってもらう。今回は担当官が変わったので、前のままの書類ではだめで、必ず何か所か直される。これで107回もやっているのだから、前と同じで良いのではないかとおもうが、そうはゆかない。日本の海保は優秀で必ずどこか穴を見つける。直されると納得するような注意指導でなければならないから、担当官はよく読んでいる。
最干潮汀線から20mだから最干潮で水深2m 溺れることなどない。ゴムボートは外から来る船への見張り、警戒船だ
ブイを曳行して潜る。
どちらの図も、許可申請書に添付する図だ。
今回も何か所か直すところがあり、潜水海域の地図も書き直しになった。たとえば、潜水前の機材の点検整備をする、というところにバディでという語句を加えるとか、一つ一つ、こちらがもっともだと考えさせられるものでなければならない。感心する。
今回の担当官のY さんは人当たりがよく親切だった。海保の担当官は、他の役所よりも良い。これは親しい友達が多いことからの、身びいきかもしれない。
とにかく、①書類の提出②訂正箇所の指導③訂正した書類を提出する。そして④書類を受け取る。全部で4回行かなくてはならない。港湾局が提出と受け取りの2回だから、合計六回足を運ぶ。
六か月に一度だから、これで、あと何回この申請ができるのかな。などと思う。
海保のある合同庁舎はお台場の隣の隣にある。海を見ると、青く見えない。まだ、濁りはとれていない。今年は3月から6月まで、魚の多い時期、一度も濁りは晴れないのだろうか。
海保からの帰り一休みして、このブログを書こうと、コーヒーを飲むことにした。イトーヨーカドーの大食堂のミスドに行った。ここは昼時でなければ、椅子はたくさん空いている。のんびりできる。
少しばかり本も読んだ。昨日のサラ・バレッキーは、意外にも面白く、熱中して読み終わってしまった。
沢木耕太郎「一号線を北上せよ」ベトナム街道編 文庫が2006年、単行本が2003年だ。ベトナムはもう一度行きたい国、しかし、今度行ったらどうだろうか、行かぬが花か?でも。
フォー、サイゴン河、バイクの群れ、チョロンのビンタイン市場、
純粋な旅行記として楽しめそう。
日本対ギリシャのサッカーを見てしまった。サッカーのことはよくわからない。見てきた歴史は古いのだが、自分がプレィヤーであったことはない。それに男子サッカーはフアン、応援している好きな選手がいない。女子サッカーでは宮間選手、彼女だけをみていれば、そのゲームがわかる。
普通、どんなボールゲームでも選手が一人欠ければ痛手で、まず勝てることはない。日本対ギリシャは、ギリシャがかなり早い時期に退場になってしまって、10人で戦った。どうしても守りに入る。サッカーは10人でも守るつもりになれば守れるらしい。自分がプレィヤーの経験がないから、その辺のところがよくわからない。
しかし、最後まで見たが、日本が得点できるようなチャンスがなかった。あのシュートが決まっていたら、というような絶対的なシーンもなかったように思う。大久保のシュートも枠には行っていない。他にないから、あれを残念がっている。これで、多分決勝リーグには上がれないだろうが、そのことはともかくとして、この前の女子サッカーのように感動するシーンはない。勝っても負けても感動を与えてくれることがプロだとすれば、男のサッカーはプロではない。感動する負け方ではない。つまり、なんでもない。
海保にお台場潜水の許可書を取りに行った。6月から11月まで六か月6回分の許可である。今度は10月に12月からの許可申請をしなければならない。まず、東京港湾局に東京都知事の制限解除の申請をする。これはゴムボートを浮かべてもよいという申請だ。後述するように岸から20mの区域だから、ゴムボートなど不要だ。東京湾、瀬戸内海などは、監視船が付かなければ潜ることができない。何を監視するかといえば、屋形船が入ってきたり、水上バイクが遊びに来たりしないように監視する。もちろん、ここに入ってくるのは違反である。違反であっても入ってこないとは限らない。違反ですよ、と注意するための監視だ。
このゴムボートの乗り入れ許可が大体1週間かかる。次は、公園管理課に行事届をだす。これは、届だからチェックして問題がなければ、受付のゴム印をおしてくれる。今回は緊急連絡態勢に病院名が無かったと注意された。があまりうるさくない。次には記載しますということでOK.
さて、次にはこれらの許可、届を重ねて行事許可申請書を海保に、京浜港長に提出する。まずは受け取ってもらう。今回は担当官が変わったので、前のままの書類ではだめで、必ず何か所か直される。これで107回もやっているのだから、前と同じで良いのではないかとおもうが、そうはゆかない。日本の海保は優秀で必ずどこか穴を見つける。直されると納得するような注意指導でなければならないから、担当官はよく読んでいる。
最干潮汀線から20mだから最干潮で水深2m 溺れることなどない。ゴムボートは外から来る船への見張り、警戒船だ
ブイを曳行して潜る。
どちらの図も、許可申請書に添付する図だ。
今回も何か所か直すところがあり、潜水海域の地図も書き直しになった。たとえば、潜水前の機材の点検整備をする、というところにバディでという語句を加えるとか、一つ一つ、こちらがもっともだと考えさせられるものでなければならない。感心する。
今回の担当官のY さんは人当たりがよく親切だった。海保の担当官は、他の役所よりも良い。これは親しい友達が多いことからの、身びいきかもしれない。
とにかく、①書類の提出②訂正箇所の指導③訂正した書類を提出する。そして④書類を受け取る。全部で4回行かなくてはならない。港湾局が提出と受け取りの2回だから、合計六回足を運ぶ。
六か月に一度だから、これで、あと何回この申請ができるのかな。などと思う。
海保のある合同庁舎はお台場の隣の隣にある。海を見ると、青く見えない。まだ、濁りはとれていない。今年は3月から6月まで、魚の多い時期、一度も濁りは晴れないのだろうか。
海保からの帰り一休みして、このブログを書こうと、コーヒーを飲むことにした。イトーヨーカドーの大食堂のミスドに行った。ここは昼時でなければ、椅子はたくさん空いている。のんびりできる。
少しばかり本も読んだ。昨日のサラ・バレッキーは、意外にも面白く、熱中して読み終わってしまった。
沢木耕太郎「一号線を北上せよ」ベトナム街道編 文庫が2006年、単行本が2003年だ。ベトナムはもう一度行きたい国、しかし、今度行ったらどうだろうか、行かぬが花か?でも。
フォー、サイゴン河、バイクの群れ、チョロンのビンタイン市場、
純粋な旅行記として楽しめそう。