嫌なことばかりたくさんある。嫌なこととは自分が自由にかんじられないことだ。自分のホームページに書いてあるスキンダイビングについて、「人間が幸せを感じるのは、自由を感じる時、言葉を変えて言うと、自分の思い通りに物事が運んだ時、でも、この世の中、特にこのごろは、自分の思い通りに物事は運ばない。ほとんどの時が不幸せです。
そんな時、自由な空間、いや水間で自由に飛ぶように泳げると、その時だけかもしれないが、自分をくびきから解放し、大きな声で、「自分は自由だ。フリー!!」と叫ぶような気持ちになる。それがスキンダイビングだと思っています。」
ぼくのやっているスキンダイビング練習会にくるひとが多くなっている。ぼくの練習会は原則として、教えることがない。自由気ままだ。教えられることが好きな人もいるけれど、教えられるってことは自由ではない。
自由と一言で言うけれど、たいへんなことである。もしかすれば命をかけることもある。スキンダイビングの自由は命懸けではないから、ただ幸せだ。
最近、プールにカメラ、おもにウエアラブルカメラが置かれている。動画で廻しつづけておくのだ。2012年に、シンポジウムでこのカメラについて発表するためにカメラをプールの底に置いたが、まだ、ぼくのカメラだけだった。最近では5ー6 台は置かれている。動画を撮って静止画を抜き出すというのも今や当然の手法になったし、ストロボフラッシュが、ライトにとって代わるということも当然になった。これらのことは、すべてダスキに書いたことであった。
映像を撮る、映像を使うということも大きな変化を遂げている。紙に焼く、プリントするということも、この二年ごしやったことがない。カラーの印刷はするけれど光沢紙にやくということはない。そうなってみて、映像を撮る、映像を使うって、どういうことなのだろうか。
目で見るイメージ、そのイメージから受ける感慨を文章にすることができなくなった。文章による説明などなくて、画が一枚貼付けてある。それですべてがわかるような映像が、良い映像である。だから、文章力、文章による表現が下手になったできなくなった。。困ったことになったのか、これで良かったのか、わからない。
プール底においてあるカメラで撮るのは、スキンダイビング練習会では、当然、人間である。ダイバーである。何度も何度も繰り返し書いているけれど、僕はイルカよりも人間のスキンダイバーの方が映像的には好きである。イルカが美しいと思われたのは、人間の女性のダイバーが今ほど洗練されず、美しくなかった時代のことなのではないだろうか。女性スイマーの美しさの先駆者は、ハリウッドの大スター、エスター ウイリアムズだが、今、辰巳の練習会にくるダイバーの中に、水中でだけならば、エスターウイリアムズ級がごろごろしている。
プールの底においてあるカメラはこの美しさを捕まえるトラップである。
彼女らは、自分たちも自分の型を撮るべく、自分のカメラを置く、プールの底にカメラがごろごろしている所以である。
2012年最新ダイビング用語事典にウエアラブルカメラの可能性、動画ですべてを撮って切り出して使うことが多くなると予言のように書いたが、実際になってしまった。
スキンダイビング イコール撮影の時代になりつつある。
そんな時、自由な空間、いや水間で自由に飛ぶように泳げると、その時だけかもしれないが、自分をくびきから解放し、大きな声で、「自分は自由だ。フリー!!」と叫ぶような気持ちになる。それがスキンダイビングだと思っています。」
ぼくのやっているスキンダイビング練習会にくるひとが多くなっている。ぼくの練習会は原則として、教えることがない。自由気ままだ。教えられることが好きな人もいるけれど、教えられるってことは自由ではない。
自由と一言で言うけれど、たいへんなことである。もしかすれば命をかけることもある。スキンダイビングの自由は命懸けではないから、ただ幸せだ。
最近、プールにカメラ、おもにウエアラブルカメラが置かれている。動画で廻しつづけておくのだ。2012年に、シンポジウムでこのカメラについて発表するためにカメラをプールの底に置いたが、まだ、ぼくのカメラだけだった。最近では5ー6 台は置かれている。動画を撮って静止画を抜き出すというのも今や当然の手法になったし、ストロボフラッシュが、ライトにとって代わるということも当然になった。これらのことは、すべてダスキに書いたことであった。
映像を撮る、映像を使うということも大きな変化を遂げている。紙に焼く、プリントするということも、この二年ごしやったことがない。カラーの印刷はするけれど光沢紙にやくということはない。そうなってみて、映像を撮る、映像を使うって、どういうことなのだろうか。
目で見るイメージ、そのイメージから受ける感慨を文章にすることができなくなった。文章による説明などなくて、画が一枚貼付けてある。それですべてがわかるような映像が、良い映像である。だから、文章力、文章による表現が下手になったできなくなった。。困ったことになったのか、これで良かったのか、わからない。
プール底においてあるカメラで撮るのは、スキンダイビング練習会では、当然、人間である。ダイバーである。何度も何度も繰り返し書いているけれど、僕はイルカよりも人間のスキンダイバーの方が映像的には好きである。イルカが美しいと思われたのは、人間の女性のダイバーが今ほど洗練されず、美しくなかった時代のことなのではないだろうか。女性スイマーの美しさの先駆者は、ハリウッドの大スター、エスター ウイリアムズだが、今、辰巳の練習会にくるダイバーの中に、水中でだけならば、エスターウイリアムズ級がごろごろしている。
プールの底においてあるカメラはこの美しさを捕まえるトラップである。
彼女らは、自分たちも自分の型を撮るべく、自分のカメラを置く、プールの底にカメラがごろごろしている所以である。
2012年最新ダイビング用語事典にウエアラブルカメラの可能性、動画ですべてを撮って切り出して使うことが多くなると予言のように書いたが、実際になってしまった。
スキンダイビング イコール撮影の時代になりつつある。