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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0608 年表、そして年齢相応

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  80-80 80歳で80m潜るという企画、心当たりに後援、応援をお願いしようとしているのですが、「年齢相応」にしなさいと言われました。
 年齢相応とは、朝起きないことなのか、泳がないことなのか、潜水しないことなのか、養老院に入ることなのか?
 久保さんが助け船をだしてくれました。年齢相応、80m、それ以上は潜らないこと。80mの水深で下を見て、停まれるかどうか不安だけれど、「そうします」と答えた。
 ※ですます調になってしまっていますが、フェイスブックから引用するとですます調になってしまうのです。

「年齢相応」について考えています。人に与えられた時間は有限です。残された時間はどんどん短くなって行きます。残された時間に相応なことをしろ、ということだと思います。やりたいこと、やるべきことのすべてをやり終わるだけの時間は誰にもない。どれだけできるのか、ベストを尽くして進行形で消えて行くということ。今の時点での僕の結論。



 安元君、亡くなる前、最後とわかっている会に行くことができました。木村さんに誘っていただきました。別れ際に5分間、二人の交錯、共有した時間について語り合うことができました。where or when
 彼は最後までベストをつくした。

吉田君に忠告されています。
「出来るだけ人に任せること、任せたら手を出さないようにすれば、残された時間に出来ることが増えると思います。」と
その通りですので、こころがけています。JAUS会員証の製作は石川さんにいちにんしました。これはうまく行っているようです。
プライマリー、何もしなかったら、5月は中止、
人集めだけ、これが一番大変なのですが、手を出して、6月は実施できます。7月―10月は、JAMSTECですが、この申請がまだです。これは、僕がやらなくてはならないのですが、その後の人集めは、どうなるでしょう。

お台場クリーンアップ、一切何もしなかったら、集まった人7人、0がひとつたりない。メールをだしまくり、お願いをしまくって、ようやく60人を超えました。目標は80名です。かかわっている一つ一つがそんなことですが、愚痴は言わないで、できることに全力投球するだけです。

グラフィティ単行本化、今日一杯で初校を終わらせます。
年表を作っているのですが、つけたすこと多数。
日本にスクーバが入って来たのは何時か?これがグラフィティの出発点なのですが。
1950 
大同物産 渋谷武乃丞氏(帝国海軍OB) が掃海部隊のためにフランスのスピロテクニックからアクアラングを輸入したと言われるが未確認

    左側がスピロテクニックから輸入のアクアラングタンク、と国産無印レギュレーター、、右が、消火器改造のボンベとスピロのレギュレーター(みたい)




渋谷さんには、おせわになっています。
渋谷さんは兵隊の位で、少将か中将、僕は少尉か中尉、そんな人間関係でこき使われた。それでも、その1950年については、その頃考えても居なかったので、証拠となるような文書とか写真を、いただいておくことがなく、向こうの世界に特区に行ってしまっている。
それに1950年は、まだ海上自衛隊がカオスの状態で、誕生しかけたころ、アクアラングは、早くても1952か53年、これについては、これもお世話になった海上自衛隊のOB 逸見さんに潮美と一緒に出掛けて、お話を聞いたのですが、これも何の証拠品も無く、写真も無く、その辺りかなあ、という程度。
「1953年に、米国海洋学者、ロバート・ディーツ博士が東京水産大学小湊実習場において、アクアラングを海洋研究に使用するための運用を指導し紹介した。新聞の記録が残っている。」
これが正確な出発点としました。

これも、僕が年表として、活字にして残しておくことで、後の人たちが使うことができる。と思うので、できるだけ数字を確認した上で残しておきたい。

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