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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0606 あとがき

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 ニッポン潜水グラフィティ の単行本化、初校の締め切りが明日、おおづめにきている。
 「あとがき」これで何回かきなおしただろうか、10回かな。単行本を作るということ、大変な冒険だ。
 これは、多分3回目かの「あとがき」だ。書いているときは、良いと思ったのだが、没になった。
 今完成した10回目にくらべれば、やはり、これはダメだ。

 なお、写真はアイキャッチャーで、あとがきには直接関係はないけれど、本文とは関係がある。1980年、釜石湾港防波堤工事を始めた時の工事写真、黒板を持っているのは、潜水監督を頼んだ田淵君、僕ももちろんもぐっているけれど、潜水監督は僕はやらない。混合ガス潜水のトップ(水面でのディレクター)は、別に立てる。ところで、田渕君、どうしているだろうか。自分のチーム、もしくはチームだった人、一人ひとりについて、どうしているだろうと思うことが多くなった。しかし、思うだけで、どうすることもできない。



  あとがきにかえて、冒険と探検そして潜水、夢

 夢と冒険を追って、水中探検を目指した。この本のコンセプトだ。では、夢とは?冒険と探検はちがうのか?僕は、そんなことは、何にも考えなかった。ただただ、海に潜りたかった。だから、これは79歳になった僕の後知恵、つまりあとがきだ。
 人間には鰓がない。水中では呼吸をつづけられない。海水浴も、スノーケリングも、潜水も常に危険。昔の人は、「板子一枚下は地獄」と言ったものだ。板子一枚下は冒険の世界である。冒険とは生きて還ってくる、安全の追求でもある。ダイバーにとって、潜水とは冒険である。
 水の中は、いつも未知の世界。江戸っ子である僕の故郷の海、100回以上潜っている、透明度が平均1メートルのお台場の潜水でも、潜るたびに発見がある。僕にとって、そしてすべてのダイバーにとって、探検とは潜水の事。山登りの人とか、にはまた別の結論があるにちがいない。
そして、ダイビングの事故は、想定外、つまり冒険として身構えていない隙に起こることが多い。常に冒険だと思って恐れ準備をしなければならない。でも、冒険だからパーフェクトはありえない。
 潜水する人のことを昔は潜水夫と呼んだ。この頃では潜水士と呼んだり、ダイバーと名乗ったりする。潜水夫という言葉も好きだ。「潜水夫魂」と書いたT シャツを作りたい。しかし、やはり自分のことはダイバーと名乗り、書くときは「潜水」と書くことが多い。
潜水とは、まずは息をこらえて潜る。スキンダイビングと呼び、ダイバーの基本教養だ。海女さん関係は素潜りという。だいたい10mぐらいまでを潜る。高齢になった僕でも楽にできる生涯スポーツでもある。
深く潜ることを競うフリーダイビング競技のメダリスト、岡本美鈴さんは、27歳の僕がようやく到達した90mに、息をこらえて潜ってしまった。しかし、長い時間潜水するためには、水中で呼吸する潜水器を体の一部にする。エンジンは潜水機、身体が潜水艇の船体、フィンは舵とスクリューになる。僕という意識が潜水艇に乗る船長だ。船長は船の上で、すべての責任を自分が負っている権力者だ。海の世界ではこれをキャプテンシップという。
責任を負うことのできない初心者は、責任をインストラクターに預ける。自分の命を人に預けても、水に潜ることは、冒険であり探検だから、知恵と判断が必要である。誰かが、体験ダイビング、あるいは、C-カード講習で生まれてはじめて水に潜ったとする。その光景、その感動は生涯忘れることがない。冒険であり、探検であるからだ。
最後に夢について。
三宅島に、潜水博物館を作ろうとした。プールがあり、昔の潜水機を体験できる。夢は破れ、その後、三宅島は噴火した。房総で同じ計画を某漁業組合長に相談したら、言われた。なぜ、須賀さんは、そんな夢みたいなことばかり考えるのだ。でも、その組合長も、港を仕切って、ヒラメ養殖のために海の深層から汲み上げてきたきれいな水を流して、ダイビングプールにしたら?と。すぐに乗ったが、残念なことに水産庁の許可が下りなかった。国の予算で作った漁港は、ダイビングプールにはできないと。そして、今の僕は、お台場の海浜公園をダイビングプールにしてしまおうという夢を抱えている。
でも、もっと小さい日常の夢もたくさんある。人が幸せになるのは夢がかなえられた時、
この本を読んでくださった皆様の夢がかなえられますように。

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