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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0424 スポーツダイビング入門

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冒険について書いているので、冒険と言う視点からすべてを見ようとしている。

  昨夜、JAUSのウエアラブルカメラ研究会のミーティングがあった。今後、どのようにやって行くのか議論した。おわってから、飲み会に参加。僕はお酒を飲まないことにしているのだが、酒を飲まないと付き合いが悪くなる。悪くならないように酒を飲まずに参加しなければならない。
 なぜか、話題はダイビングのことになった。僕はしばらくは聞き役になっていて、そのまま終了しようかとも思った。このディスカッションに参加して、良いこと、得になることなど何もない。
 しかし、今書いている本のコラムで書けないようなことが沢山あり、それが頭の中に残っているので、つい、気が付けば、議論に参加してしまっている。

 僕が話題にしていたのは、二つ、一つはバディシステムの問題、バディシステムよりもソロが良いという話題。インストラクターとかガイドダイバーは、一人で四人のゲストを連れて潜るとして、ゲストを二つのバディにすることで、安全をキープしている。四人のゲストがいないで、自分一人だったら、どんなに安全だろうか。事故を起こしたとしても、自分が死ぬだけだから、別にどうと言うことも無い。
 だが、これはレクリエーショナルダイビングの場合で、プロの潜水は、事業者が責任の大半を持たなければならないのだから、一人にしてしまえば、そして、その時に事故が起これば、事業者の責任である。グラフィティの最後の章が、スガ・マリンメカニックの脇水輝之の事故で、これが僕のダイビング生活を変えてしまった。それまで、一人で潜れば一人死ぬだけ、バディの二人だったら二人が死ぬなどとうそぶいて、水深20m以下だったら、調査の仕事で一人で潜ることもあった。それを見て育ってきた脇水輝之が、一人で潜っても不思議ではない。そして、減圧停止中に一人でいて死んだ。原因は不明である。ただ、死んだ。原因は不明であるが、その時、バディが居れば死ななかった。
 事業者、自営の経営者本人だけならば、一人で良い。しかし、一人で潜らせて、つまり命令して、口で命令しなくても、それを許可すれば、命令と同じことになる。命令して、通話器のないスクーバで一人で潜っていて、事故をおこせば、経営者の責任になる。プロのスクーバダイビングについては、バディシステムが絶対であり、一人で潜らせてはいけない。自営で経営者が一人で潜って、事故を起こしても、責任を問われる自分が死んでしまっているので、どうでも良い。
 
 もう一つの話題は、「昔のダイビングの方が、今のダイビングよりも安全だった。?」
今、グラフィティのコラム原稿を書いているが、グラフィティ本文で、自分の書いた本については、ほとんど触れていない。だからコラムで紹介している。
そのうちの一冊。

 「スポーツダイビング入門」1976年 初版 マリン企画刊
共著者は竜崎秀夫さんで、ドウ・スポーツプラザ新宿の指導責任者、つまり校長をやっていた。ドウ・スポーツプラザ新宿は、「新宿から海がはじまる」というキャッチで知られていて、新宿の高層建築群の始まり的な住友三角ビルの別館に作られ、1974年4月にオープン、深さ10m、このプールだけでダイビングの初心者訓練のすべてができた。
この本で、スポーツダイビングの危険について、「インストラクターの望みは、受講者が正しい判断を下す能力を身につけてくれることである。-中略―行動の最終的な判断をするのはあなた自身である。どんなに有能なインストラクターも個々の潜水者について回れない以上、すべて責任をもつことはできない。ダイビングは安全なスポーツであろうか?適切な判断を下して、それを越えないような行動をするならば、ダイビングほど安全なスポーツはない。」と書いている。
まだ、潜水事故で遺族から訴えられることは想定していない。

この本の1976年時にはバランシングベストという名称で、ライフジャケットと同じような首に掛けるベストの形で、レギュレーターのファーストステージから中圧ホースで空気を気嚢に送り込むスタイルのベストが出来ていた。
「このベストは、水中に静止したい水中カメラマン、重い道具を扱うワーキングダイバーなどにはたいそう有効であるが、急上昇の可能性があるので、相対的な圧力変化の大きい、浅い水深で潜水することの多い初心者にはすすめられない。」と書いている。まだ、BCを使うことを全面的には認めていない。

 この本の1976年は、僕たちのダイビングが一つの頂点だった。新宿の高層街のど真ん中に水深10mのプールもできたし、ダイビングクラブもダイビングスクールもショップとなって今の老舗の多くが、その頃には出そろっていて、利益を挙げていた。つまり景気が良かったのだ。ほとんどのお客に、小売価格で道具が売れた。
 安全性の面でも、そのころが、今よりも安全だったのではないかと思う。 なぜ?それはBCが無かったからだ、と僕は思っている。
 BCがなかったころは、自分が潜る水深を目当てにして、ウエイトを調整して、潜る。例えば30mに潜れば、浅い10m以下では浮き上がってしまう。目標を30mにしたら、30mでだけ潜水している。潜水する水深がマルチになるとしても、せいぜい、30mと20mとか、二つぐらいの水深に決めておかないと減圧停止が決められない。
 魚突きをやっていても、よほどのエキスパートでないと、行動半径は今の半分程度だった。ただ、エキスパートになると、遠くの岸に流されて、バスで帰ってくるようなこともあったが、それも一生に一度か二度である。
 減圧症については、ヨーヨー潜水はしない。そんな言葉もBC普及の後から出てきた。
 BCが原因の空気塞栓も、BCを使っての浮上方法の研究と普及が無いころには、多発とは言えないが散見された。
 しかし、器材、道具の進歩は、人間の冒険心と同じで、避けられるものではない。器材が精密化、複雑化しつつ、行動半径が拡大してゆくのも、人間の本性であるが、ダイビングについては、器材の発達が安全化とは逆行している可能性もあることを知らなければならない。
言うまでも無く、器材の進歩は避けられることではない。時代とともに変わってゆく。器材が進歩するほど、垂直、水平に行動範囲が拡大し、それに比例するように危険が増大し、知識も多く必要になり、技能の講習のための費用も増大する。もちろん器材そのものの価格も上昇する。
 機材は複雑化するほど、慎重に、完璧にチェックしなければならない。危険を避けるための努力、練習が要求される。良いことは何もないが、しかし、人間の生きがいである冒険をもとめる本性が機材の進化を求める。
  僕は80歳で80mに潜る企画を立てているが、このような複雑な機材の進化を捨てて、出来るだけシンプルな機材と方法で潜る。行動半径を定めれば、その範囲内で、シンプルに安全をキープして潜れる。

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