グラフィティの単行本化のためにコラムの原稿を書き、その中で、冒険と探検のちがい、探検は良いけれど冒険してはいけないという考え方に縛られて考え続けた。何をいまさら、という感が強いけれど、歳を重ねて、考え方が硬くなっている。グラフィティのコンセプトは、「夢と冒険を追う水中探検」だけど、それで良いのだろうか、よくないと根底から覆ってしまう。
最後の最後になって、冒険とは精神のことだ。と原点に戻った。そして、自己責任のことも、
60歳の時の100m潜水練習中。赤いジャケットの代わりに、赤いドライスーツを着て、よろこんでいる。水深60m
③ 冒険
恩師、宇野寛教授から、「須賀君、命がけの冒険はいけないよ。エキスペディションなのだから」と言われた。エキスペディションとは、探検だと解釈した。先生は30代、僕は20歳だった。しかし、グラフィティのコンセプトは、夢と冒険を追う水中探検である。
僕の好きな言葉、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion .スコットの悲劇的な南極探検(1913)に参加して書かれた、チェリー・ガラードの「世界最悪の旅」。
「冒険とは死を覚悟して、そして生きて還ってくることである。」と植村直己が言っている。しかし、最初から死を覚悟するような冒険を追って探検することは、知的ではない。
27歳の100m潜水は、潜水技術の発展のための探検と考えていたのが、冒険になってしまったと反省したが、より正確には、結果として命がけの冒険になってしまったとするべきだったろう。冒険とはスピリッツであり、探検とは行動の目的である。
探検とは、未知の世界に踏み入って、探求する人間の活動を言い、分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動であり、その根底になっているのは、冒険精神である。それは、何事があっても生き抜く精神である。そして、自分の知恵と判断で障害を解決しながら生きぬいて行くことに、人は喜びを感じる。つまり、楽しい。作業ダイバーも、陸上の作業員よりも楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。
ダイバーは、自分と言う潜水艇の安全についての絶対権力者である。これを海ではキャプテンシップと言う。そしてバディの生還も互いに担わなければならない。このことを自己責任と言う表現を使うこともある。
未だ、キャプテンシップを担えない初心者は、インストラクターとかガイドダイバーに責任を担ってもらう。
ガイドダイバーに頼ったとしても、冒険ごっこではない、真正の冒険がそこにある。
本当の探検であるから、避けなければならない危険もそこにはある。その危険を自分の知恵と判断で避けて行く冒険が潜水なのだ。
ところで、「冒険はいけない」と言う精神が、何時、僕の心の中にうまれたのだろう。死んではいけない、死なせてはいけないという精神が強くなり、危険を冒してはいけないのだという気持ちが強くなったからだと思う。やはり、脇水輝之の死が、死なせてはいけない、絶対に、だから冒険を追ってはいけないとなったのだろう。グラフィティの年月は冒険をおっていた。79歳の自分は冒険を追ってはいけないと、人に教えるようになっていた。そのくせに、80歳で80mもぐるという、夢と冒険を追っている。
ダイビングをする人、つまりダイバーだが、誰もが迷い、そしてそれぞれの結論に到達するのだろう。いや、永久に結論に至らないのかもしれない。
僕の考えたことは、一つのサンプルである。
僕のブログを見て、いや違う、とか、これで良いとか考えていただければ、幸いで、ぜひ、単行本になったら、「ニッポン潜水グラフィティ」を買っていただければとおねがいする。
最後の最後になって、冒険とは精神のことだ。と原点に戻った。そして、自己責任のことも、
60歳の時の100m潜水練習中。赤いジャケットの代わりに、赤いドライスーツを着て、よろこんでいる。水深60m
③ 冒険
恩師、宇野寛教授から、「須賀君、命がけの冒険はいけないよ。エキスペディションなのだから」と言われた。エキスペディションとは、探検だと解釈した。先生は30代、僕は20歳だった。しかし、グラフィティのコンセプトは、夢と冒険を追う水中探検である。
僕の好きな言葉、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion .スコットの悲劇的な南極探検(1913)に参加して書かれた、チェリー・ガラードの「世界最悪の旅」。
「冒険とは死を覚悟して、そして生きて還ってくることである。」と植村直己が言っている。しかし、最初から死を覚悟するような冒険を追って探検することは、知的ではない。
27歳の100m潜水は、潜水技術の発展のための探検と考えていたのが、冒険になってしまったと反省したが、より正確には、結果として命がけの冒険になってしまったとするべきだったろう。冒険とはスピリッツであり、探検とは行動の目的である。
探検とは、未知の世界に踏み入って、探求する人間の活動を言い、分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動であり、その根底になっているのは、冒険精神である。それは、何事があっても生き抜く精神である。そして、自分の知恵と判断で障害を解決しながら生きぬいて行くことに、人は喜びを感じる。つまり、楽しい。作業ダイバーも、陸上の作業員よりも楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。
ダイバーは、自分と言う潜水艇の安全についての絶対権力者である。これを海ではキャプテンシップと言う。そしてバディの生還も互いに担わなければならない。このことを自己責任と言う表現を使うこともある。
未だ、キャプテンシップを担えない初心者は、インストラクターとかガイドダイバーに責任を担ってもらう。
ガイドダイバーに頼ったとしても、冒険ごっこではない、真正の冒険がそこにある。
本当の探検であるから、避けなければならない危険もそこにはある。その危険を自分の知恵と判断で避けて行く冒険が潜水なのだ。
ところで、「冒険はいけない」と言う精神が、何時、僕の心の中にうまれたのだろう。死んではいけない、死なせてはいけないという精神が強くなり、危険を冒してはいけないのだという気持ちが強くなったからだと思う。やはり、脇水輝之の死が、死なせてはいけない、絶対に、だから冒険を追ってはいけないとなったのだろう。グラフィティの年月は冒険をおっていた。79歳の自分は冒険を追ってはいけないと、人に教えるようになっていた。そのくせに、80歳で80mもぐるという、夢と冒険を追っている。
ダイビングをする人、つまりダイバーだが、誰もが迷い、そしてそれぞれの結論に到達するのだろう。いや、永久に結論に至らないのかもしれない。
僕の考えたことは、一つのサンプルである。
僕のブログを見て、いや違う、とか、これで良いとか考えていただければ、幸いで、ぜひ、単行本になったら、「ニッポン潜水グラフィティ」を買っていただければとおねがいする。