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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0223 冒険者

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グラフィティ 単行本化のために本文に加えて、コラムを7本入れることにして、その原稿を書いている。
そのことを、このブログで、メイキンググラフィティとしてこのところ書き続けている。
そのうちの1本が冒険についてであり、2000字くらい書いてしまったところから920字に削る。単行本はスペースが限られている。

削る作業はきらいではない。削った結果の現在0423である。

③ 冒険
僕の好きな言葉、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion .スコットの悲劇的な南極探検(1913)に参加して書かれた、チェリー・ガラードの「世界最悪の旅」。
グラフィティのコンセプトは、「夢と冒険」である。冒険と探検との違いは何だろう。
冒険は命がけとする考え方はかなり一般的で、「冒険とは死を覚悟して、そして生きて還ってくることである。」と植村直己が言っている。
探検も冒険も、命がけになってしまうこともある。しかし、最初から死を覚悟するようなことは、愚かであり、知的ではない。
27歳の100m潜水は、潜水技術の発展のための探検と考えていたのが、命がけになってしまい。冒険になってしまったと反省した。
しかし、冒険と探検に、危険の差を見出すことはできない。先のスコット探検隊も、学術的な目標を追求したために、全員が死亡した。冒険的に極点到着だけを目指したアムンゼンは無事に生還した。モチベーションの高さが、危険に結びつくとすれば、探検の方が危険度が高いかもしれない。
探検も冒険も、目標を決めて、そのハードル(難度)を分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動という事では同じだ。どっちだって良いではないか、楽しければ。
作業ダイバーも、陸上の作業員よりも、楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。なぜ楽しいか、自分なりに理屈をつければ、原始の水中世界に、原始の人間が生きる危険を、自分の知恵と判断で解決しながら生きぬいて行くことに、喜びを感じるからである。
ダイバーは、自分と言う潜水艇の船長であり、潜水艇の安全についての絶対権力者である。これを海ではキャプテンシップと言う。責任者ともいう。そして自分一人ではなくチームの生還も互いに担わなければならない。
未だ、キャプテンシップを担えない初心者にとって、潜水は冒険ではなく単なる危険かもしれない。インストラクターとかガイドダイバーに責任をもってもらって、それに従う。それでも水中と言う冒険の世界にほんの一足で入り込むことができる。

 923字である。

 これにもう少し加えたい。
 スクーバの冒険は、ディズニーワールドの冒険ではない。造られた冒険ごっごでもない。水中と言う人の生きられない世界に入って行く、真正の冒険である。本当の冒険が安全にできる、安全を目指す本当の冒険である。
 このことを入れたいのだが、その分を削らなくてはならない。
 また。次のフレーズもちょっと書き直したい。
「探検も冒険も、目標を決めて、そのハードル(難度)を分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動という事では同じだ。どっちだって良いではないか、楽しければ。
作業ダイバーも、陸上の作業員よりも、楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。なぜ楽しいか、自分なりに理屈をつければ、原始の水中世界に、原始の人間が生きる危険を、自分の知恵と判断で解決しながら生きぬいて行くことに、喜びを感じるからである。」

 そんなことで、冒険について考え続けているし、冒険と言う視点からいろいろな事件を考えている。
 最近、世の中はSTP細胞発見の小保方さんのことでもちきりだ。僕もテレビを見たり、週刊誌を立ち読みしたりして、ウオッチしている。これほど、日本人庶民が研究者とか科学について注目したことは無い。まず、その功績が大きい。
 科学は冒険のフィールドである。だから研究者は、冒険心で、冒険に引かれて研究のフィールドに入ってくる。研究者とは、果てしも無い科学と言う荒野に踏み入って、道なき道を行く冒険者である。それが実験室とPCに限定される研究であっても冒険である。僕の友人、仲間である研究者も冒険者であり、実験室の研究者が、海の中と言うフィールドに進出すると、それは危険である。実験室の中にも危険はあるが、フィールドは危険に満ちている。
 水中は、人跡未踏の密林と同様に、猛獣毒蛇がワンサと居る。最近、日本海で猛毒、噛まれると致死のヒョウモンダコが発見された。エビ篭だかに6cmほどのこの蛸が、1尾とれた。そしてら環境省のレンジャーが危険なので、なみうち際は、厚い長靴を履いて歩くようにと注意を促していた。昔からヒョウモンダコは、八重山から九州、四国、伊豆半島で普通に見られる。この地域の渚をビーチサンダルなどで歩くことは厳禁である。北限はどこだか知らない。日本海では初めての1個体である。

 すぐに脱線する。小保方さんはどこに行った。小保方さんは、他の科学研究者とどうように冒険者である。何かのはずみでSTP細胞を発見した。それを、理研、とかネイチャーの編集者が認めた。だから、公表し特許申請をした。特許の利権は理研のものである。別にシャレではない。
 それを割烹着付きで発表した。美人の冒険者であり、それも飛び切りアッピールのしかたが上手である。最近の記者会見など、絶賛である。
 ノートが無いという。ノートが無いのはまだいい。ずぼらな冒険者も数多い。僕など、研究者ではないけれど、ダイビングログも、この頃つけていない。70歳から、一昨年まではエクセルでしっかりと記録して、この方法がダイビングログのナンバーワンだとおもっていた。それがこの2年書いていない。ダイビングの数も減ったが、ブログに書いているから良いだろうと投げてしまっている。まあこれはどっちでもいいだろう。二つ書く時間が無くなっただけだ。
 小保方さんも時間がなかったのだろう。いい加減な人だったのかもしれない。いい加減が悪いことであれば、僕の周囲にわんさといる。僕ももちろんその一人であり、アバウトは美徳であるとさえ思っている。小保方さんは、アバウトであったかもしれないけれど、美人であり、STP細胞を作り出したと自分で信じた、この信念は生涯まげることはないだろう。他に、生きる道はない。美人だから、男には持てるけれど、女は敵対視するタイプだ。後ろから刺されたのかもしれない。
 STP細胞はあるかどうかわからない。しかし、この後、数千人の研究者が実験を重ねれば、見つかるかもしれない。私が一番目ですと主張することに小保方さんは、賭けたのだろう。おそらくは、これが本当だと信じたにちがいない。周囲の科学者は、その真摯さに、もしかしたらだまされたのかもしれない。真摯でなければ、人は騙せない。STP細胞の真実はまだわからない。ただ、そのフィールドを提示したのは彼女であり、もしかしたら途を開いた。
 冒険とは何なのだろう。考え続けている。
 

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