今、自分がやろうとしていること、本当に難しいことばかりで、なんでこんなことになっているのだろうと肩を落としてしまう。
リストアップしてみると、①80歳で80m潜る、②潜水士の受験勉強がスクーバダイビングの初心者教育に有意に結びつくようにしたい。③大学生の部活動としてのスクーバダイビングの責任体制を明確にするとともに、その責任を負う監督・コーチの横の連絡協力ができるようにする。④スクーバダイビングの安全管理について自己責任の限界を明確にする。⑤スクーバダイビング運用のローカルルールをリストアップして明示する。⑥人工魚礁調査などのリサーチをウエアラブルカメラを多用して行い、レクリエーショナルダイビングでも成果(記録)が残せるようなフォーマットを作る。
僕に残されている時間がどれだけあるのかわからないが、あと3年として、「うーん」と考え込んでしまう。その間、トレーニングを続けつつ、実際に潜水して、プロなのだからお金も稼がなくてはいけない。実際に潜水しないと死んでしまうし、お金も必要だ。、六項目のうち四項目までが、やることに大きな抵抗がする。②潜水士の受験勉強がスクーバダイビングの初心者教育に有意に結びつくようにしたい。誰も望んでいない。レクリエーショナルダイビングとしては、潜水士免許は一生に一度だけちょっと勉強して受かれば、後は考えなくても良い。なるべく触らないようにしている。③大学生の部活動としてのスクーバダイビングの責任体制を明確にするとともに、その責任を負う監督・コーチの横の連絡協力ができるようにする。大学生自身が望んでいない。監督とかコーチとかうっとうしいし、これまで居なくても20年ていど無事故だった。④⑤は微妙な問題がある。⑥は、お金がかかるし、レクリエーショナルダイビングとしては、お金の割に面白くないと思うかもしれない。
まず、前回まで書きかけていた①80・80からかんがえよう。日本の抱えている大きな問題は高齢化社会が進行中という事で、特に自分にとっては、自分自身の問題として、高齢化とスポーツの問題が差し迫っている。「スポーツなどやらないで、死ぬまでおとなしく寝て暮らせ」、といわれて、「ハイ、そうですね、そうします、」と答えて、そのように楽になってしまえば自分的には解決する。そうだろうか、解決するのだろうか。どちらかに決めなければいけない。
ためらうときに思い浮かべる。
In the world’s broad field of battle
In the bivouac of Life
Be not like dumb, driven cattle!
Be a hero in the strife!
※Henry Wadsworth Longfellow A Psalm of Life
決めたら迷わずその道を行かなければいけない。
僕の場合はとっくに道の選択は済んでいる。
1988年 53歳の時、財団法人社会スポーツセンターの常任理事に就任した。社会体育指導者の資格をスクーバダイビングに導入するためだった。
社会体育指導者とは、この後日本が直面するであろう高齢化社会で、高齢者の多くがスポーツ活動を行いながら人生の終わりを迎えるようにならなければ、国がなり行かなくなる。何よりも国民それぞれが不幸だ。歳をとるというだけでも不幸なのだから、寝たきり老人とか、車いすに乗る老人が老人の大半になったならば、国はどうなるのだろう。
そこで社会スポーツである。競技スポーツは勝敗を争うことに主眼がおかれるが、社会スポーツは、国民の幸せのためのスポーツと位置付けられ、その指導者の制度を国が積極的に推進することにした。そして、何を隠そう、指導者養成が一番お金のかからない、スポーツ振興策なのだ。こちらとしては、国の援助、後ろ盾がほしかった。
口に出しては言わないが、やがて来る高齢化社会で、高齢者は、最後までスポーツを楽しみ、続けて、突然死してくれるのが一番。高齢者もそうありたい。スクーバダイビングも生涯スポーツであると、僕は位置づけて、この.社会体育指導者制度に取り組んだ。いろいろあったが、とにかくおよそ1000人の社会体育指導者を作った。スポーツの指導者だから、ビジネス目的のインストラクターとはちがう。クラブ活動のリーダーであり、講習会ではなく日常のコーチングとしての指導をする。一つの理想であるが、理想は現実に重なりにくい。
ともかく、その一環として、指導者である自分が高齢になっても、最後までダイビングを続けて死ぬと決めた。In the world’s broad field of battle で倒れなければならない。
読んでいてわかると思うから白状してしまうが、それもこれも、自分が死ぬまで、最後までダイビングを続けたいという、願望であり、それを正当化する理屈だ。
そして僕は1996年、60歳で100mに潜水した。それが人生の一つの頂点で有り、その点から先は下り坂であろうが、その時、それから20年、ダイビングを続けて80歳の時に80m潜ろうという目標を定めた。そして、今それは目前に来ている。
1996年の100m潜水に使ったステージ、これを使うためには吊降ろしのための大きなデリックを持つ船でなければ潜水できない。
数日前、DANの機関紙「Alert Diver 55」が届いた。ようやく、読むに値する雑誌になりつつあるが、高齢化の問題を扱うことが多い。この雑誌の主張は、高齢者のダイビングを安全に行わせることだ。高齢者というのは、一歩一歩、年々、死に近づいて行くのだから、それを生かそうという事は二律背反則の最たるものだ。しかし、僕もそれを追求しなければならない。「Alert Diver 55」には、僕の主治医にさせられてしまった河合先生も登場している。循環器の専門医で唯一ダイビングに詳しく、ダイバーの心情がわかる医師であるが、高齢のダイビングの危険、高血圧の危険性を書いている。僕は残念ながら高齢、である。なのに、80歳での80m潜水を目指す。
誰もが決して勝つことがない、「老い」に対する挑戦だから、何時かは負けるけれど、今度ではない。今度は大丈夫、自分だけは大丈夫という、これを、この頃読み込んでいる中田さんは正常化の偏見だといい、これがダイビング事故の原因の一つだという。正常化の偏見とは、言葉を変えれば生きるモチベーションともいえる。自分だけは大丈夫、これまで大丈夫だったのだから今度も大丈夫、という希望がなければ、多くの人が自殺するだろう。僕も同様だ。
しかし、河合先生に迷惑をかけないように、正常化の偏見ではなくて、具体的に死なない方法を考え出して潜る他ない。それでケーブルダイビングシステムと、呼吸気体については、余裕のあるガスバンク方式を考え出した。
この方式は、うまく行けば,プロでもレクリエーションでも、水深40m以上潜る時の手軽なシステムとして使える可能性がある。安全性を証明する手段として、須賀が80歳で80m潜って見せる。80歳80mが安全にできるのならば、60歳での60mは楽に安全確保ができるだろう。
昨年だったか、大分県で水深60mにスクーバで潜ったプロのダイバー3人が死亡する事故が起こった。これを受けて、水深40m以上の作業は、SDC.(沈める再圧タンクで水中エレベーターのようなもの)でなければやってはいけないような規則にしようとする動きがあった。もしかしたら本当にそうなるかもしれない。一般の作業潜水ではそんなことはできないから、40m以上の作業は事実上できなくなるか、密かにやるかしかない。
僕の80m潜水を安全にできたシステムは、実用可能なものとしての提案とすることができるかもしれない。
80:80潜水計画は、高齢化社会のダイビングについての提案と、新しい潜水システムの提案、二つの意義がある。もちろん、意義など無くても、どうしても潜りたい。80歳を越えてから先、死ぬまで潜り続けるためには、80歳の時に80mまで潜ったというタイトルが必要だという理由で、僕はこのプロジェクトを進める。
リストアップしてみると、①80歳で80m潜る、②潜水士の受験勉強がスクーバダイビングの初心者教育に有意に結びつくようにしたい。③大学生の部活動としてのスクーバダイビングの責任体制を明確にするとともに、その責任を負う監督・コーチの横の連絡協力ができるようにする。④スクーバダイビングの安全管理について自己責任の限界を明確にする。⑤スクーバダイビング運用のローカルルールをリストアップして明示する。⑥人工魚礁調査などのリサーチをウエアラブルカメラを多用して行い、レクリエーショナルダイビングでも成果(記録)が残せるようなフォーマットを作る。
僕に残されている時間がどれだけあるのかわからないが、あと3年として、「うーん」と考え込んでしまう。その間、トレーニングを続けつつ、実際に潜水して、プロなのだからお金も稼がなくてはいけない。実際に潜水しないと死んでしまうし、お金も必要だ。、六項目のうち四項目までが、やることに大きな抵抗がする。②潜水士の受験勉強がスクーバダイビングの初心者教育に有意に結びつくようにしたい。誰も望んでいない。レクリエーショナルダイビングとしては、潜水士免許は一生に一度だけちょっと勉強して受かれば、後は考えなくても良い。なるべく触らないようにしている。③大学生の部活動としてのスクーバダイビングの責任体制を明確にするとともに、その責任を負う監督・コーチの横の連絡協力ができるようにする。大学生自身が望んでいない。監督とかコーチとかうっとうしいし、これまで居なくても20年ていど無事故だった。④⑤は微妙な問題がある。⑥は、お金がかかるし、レクリエーショナルダイビングとしては、お金の割に面白くないと思うかもしれない。
まず、前回まで書きかけていた①80・80からかんがえよう。日本の抱えている大きな問題は高齢化社会が進行中という事で、特に自分にとっては、自分自身の問題として、高齢化とスポーツの問題が差し迫っている。「スポーツなどやらないで、死ぬまでおとなしく寝て暮らせ」、といわれて、「ハイ、そうですね、そうします、」と答えて、そのように楽になってしまえば自分的には解決する。そうだろうか、解決するのだろうか。どちらかに決めなければいけない。
ためらうときに思い浮かべる。
In the world’s broad field of battle
In the bivouac of Life
Be not like dumb, driven cattle!
Be a hero in the strife!
※Henry Wadsworth Longfellow A Psalm of Life
決めたら迷わずその道を行かなければいけない。
僕の場合はとっくに道の選択は済んでいる。
1988年 53歳の時、財団法人社会スポーツセンターの常任理事に就任した。社会体育指導者の資格をスクーバダイビングに導入するためだった。
社会体育指導者とは、この後日本が直面するであろう高齢化社会で、高齢者の多くがスポーツ活動を行いながら人生の終わりを迎えるようにならなければ、国がなり行かなくなる。何よりも国民それぞれが不幸だ。歳をとるというだけでも不幸なのだから、寝たきり老人とか、車いすに乗る老人が老人の大半になったならば、国はどうなるのだろう。
そこで社会スポーツである。競技スポーツは勝敗を争うことに主眼がおかれるが、社会スポーツは、国民の幸せのためのスポーツと位置付けられ、その指導者の制度を国が積極的に推進することにした。そして、何を隠そう、指導者養成が一番お金のかからない、スポーツ振興策なのだ。こちらとしては、国の援助、後ろ盾がほしかった。
口に出しては言わないが、やがて来る高齢化社会で、高齢者は、最後までスポーツを楽しみ、続けて、突然死してくれるのが一番。高齢者もそうありたい。スクーバダイビングも生涯スポーツであると、僕は位置づけて、この.社会体育指導者制度に取り組んだ。いろいろあったが、とにかくおよそ1000人の社会体育指導者を作った。スポーツの指導者だから、ビジネス目的のインストラクターとはちがう。クラブ活動のリーダーであり、講習会ではなく日常のコーチングとしての指導をする。一つの理想であるが、理想は現実に重なりにくい。
ともかく、その一環として、指導者である自分が高齢になっても、最後までダイビングを続けて死ぬと決めた。In the world’s broad field of battle で倒れなければならない。
読んでいてわかると思うから白状してしまうが、それもこれも、自分が死ぬまで、最後までダイビングを続けたいという、願望であり、それを正当化する理屈だ。
そして僕は1996年、60歳で100mに潜水した。それが人生の一つの頂点で有り、その点から先は下り坂であろうが、その時、それから20年、ダイビングを続けて80歳の時に80m潜ろうという目標を定めた。そして、今それは目前に来ている。
1996年の100m潜水に使ったステージ、これを使うためには吊降ろしのための大きなデリックを持つ船でなければ潜水できない。
数日前、DANの機関紙「Alert Diver 55」が届いた。ようやく、読むに値する雑誌になりつつあるが、高齢化の問題を扱うことが多い。この雑誌の主張は、高齢者のダイビングを安全に行わせることだ。高齢者というのは、一歩一歩、年々、死に近づいて行くのだから、それを生かそうという事は二律背反則の最たるものだ。しかし、僕もそれを追求しなければならない。「Alert Diver 55」には、僕の主治医にさせられてしまった河合先生も登場している。循環器の専門医で唯一ダイビングに詳しく、ダイバーの心情がわかる医師であるが、高齢のダイビングの危険、高血圧の危険性を書いている。僕は残念ながら高齢、である。なのに、80歳での80m潜水を目指す。
誰もが決して勝つことがない、「老い」に対する挑戦だから、何時かは負けるけれど、今度ではない。今度は大丈夫、自分だけは大丈夫という、これを、この頃読み込んでいる中田さんは正常化の偏見だといい、これがダイビング事故の原因の一つだという。正常化の偏見とは、言葉を変えれば生きるモチベーションともいえる。自分だけは大丈夫、これまで大丈夫だったのだから今度も大丈夫、という希望がなければ、多くの人が自殺するだろう。僕も同様だ。
しかし、河合先生に迷惑をかけないように、正常化の偏見ではなくて、具体的に死なない方法を考え出して潜る他ない。それでケーブルダイビングシステムと、呼吸気体については、余裕のあるガスバンク方式を考え出した。
この方式は、うまく行けば,プロでもレクリエーションでも、水深40m以上潜る時の手軽なシステムとして使える可能性がある。安全性を証明する手段として、須賀が80歳で80m潜って見せる。80歳80mが安全にできるのならば、60歳での60mは楽に安全確保ができるだろう。
昨年だったか、大分県で水深60mにスクーバで潜ったプロのダイバー3人が死亡する事故が起こった。これを受けて、水深40m以上の作業は、SDC.(沈める再圧タンクで水中エレベーターのようなもの)でなければやってはいけないような規則にしようとする動きがあった。もしかしたら本当にそうなるかもしれない。一般の作業潜水ではそんなことはできないから、40m以上の作業は事実上できなくなるか、密かにやるかしかない。
僕の80m潜水を安全にできたシステムは、実用可能なものとしての提案とすることができるかもしれない。
80:80潜水計画は、高齢化社会のダイビングについての提案と、新しい潜水システムの提案、二つの意義がある。もちろん、意義など無くても、どうしても潜りたい。80歳を越えてから先、死ぬまで潜り続けるためには、80歳の時に80mまで潜ったというタイトルが必要だという理由で、僕はこのプロジェクトを進める。