13日の辰巳国際水泳場のスキンダイビング練習会は、15時から17時という、これまでに、あんまり使ったことのない時間。だから、どうなのかな、誰も来てくれないのかな、と思っていたが、10人ほど集まってくれた。中には、この時間が都合がよかったのに、来られなくて残念という人もいた。悪くは無いのだが、僕が風邪をひいてしまって、かなり風邪らしい風邪なので、こんな状態で泳ぐのは、めちゃくちゃだとも言われるが、それでも20年前、現役のテレビ番組カメラマンの時には、メインのカメラマンが寝込むわけには行かないので、熱があっても水中でカメラを振っていた。でもそれは20年昔のことで、今は、と思わないでもないが、とにかく泳いでみることにした。2時間泳ぐのはさすがにはばかられるので、16時から17時まで泳ぐことにした。
左、石橋君、右須賀 まだえんりょして抜かないでついてくる。
中尾研究室の新人、石橋君が来てくれた。PADIのアドバンスを持っているということ、そして、早稲田のダイビングクラブ、学連に入っている水中クラブではない、後、ブルーラグーンというクラブ、あんこう というクラブもある。耳が悪いので明確に聞かなかったが、彼はバドミントンのクラブにも入っていて、それはキャプテンだったので、ダイビングサークルの方は、おざなりで、別にPADIのダイビングショップにも通っていて、そこで、アドバンスも、そしてドルフィンスイムにも行ったということだった。スキンダイビングも、僕の基準である、水深5mで25m水平というのも楽々できるし、フリスビーもはじめてにしては、敏捷に動ける。次のお台場にもきてもらい、そして、プライマリーコースに来てもらう。いますでに、PADIのアドバンスというのも使えるなと思うほどである。
僕自身は、1時間フルに、普通に泳いで、ダッシュも3本入れたし、プールでは風邪の影響はほとんどなかったし、今日も普通にしていられるし、20年前のと、風邪に対する抵抗力は衰えていない。
さて、
自己責任について述べてきているが、講習を省略して行う体験ダイビング、あるいは、講習修了直後にヒヨコのようなC-カード取得者、C-カード取り立てから10本程度の間の事故が多いと言われているが、その間のダイzビングでは、確実な安全管理のもとで行わなければならない。
前回書いた若い社員の安全停止中の事故の原因が何であったかはわからなかった。病院に送られて来てからの症状をみても、レントゲン検査の結果からも、空気塞栓ではないことがはっきりしている。減圧症に関係した事故でないことも確かであった。
死因はなんだったのだろう。親しくさせていただいていた東京医科歯科大学の真野教授に意見書を書いていただいた。遺族の意向もあり解剖もおこなわなかったから、正確な判断はできないが、肺圧外傷によるエンボリヅムも、減圧症も、内耳損傷も兆候も症状もなく、空気も十分に残っていて、海面も平穏で流れもなく、2年の経験があるプロのダイバーが、パニックになる可能性も無く、ウエイトを外して浮かび上がり船底にひっかかっていたことから、何らかの身体的な不調で浮上しようとして、船底に拘束されてしまった。としか判断できない。ということだった。
僕のチームはサーカスと異名をもらっていた。サーカスで跳んでいる時の事故ならば納得ができる。しかし、減圧停止の時である。僕の想像だが、ハードな動きの後の休息中に負債を請求するかのように体の不調が襲ってくることがある。何かが体の中で起こった。そして、とにかく意識を失った時、脇水は一人だった。
経営者として適切ではなかったと思うが、みんな僕のチームだと思っていた。チームの勝敗の責任は、選手とそして監督にある。監督としての責任を果たさなければならない。
まず、社員、保険給付規定では三分の二だったが、およそ6000万の全額を受け取っていただき、ご両親の心のケアに専心した。何度も繰り返しお目にかかり、もしも、ご両親との人間関係を損なうようなことになる、例えば法廷での対決などがあるのならば、スガ・マリンメカニックは解散する。撮影の会社は別になっていたから、そちらの業務だけにするとお話しした。ご両親とも素晴らしい人で、良く理解してくださり、次の年の新入社員の歓迎会には、紅白の水引のあるお祝い金をいただいた。その後も、親しい付き合いが続いている。
今回も、月刊ダイバーに掲載した記事のことをご紹介したところ、丁重なお礼状をいただいた。
脇水輝之も生きていれば今は40代半ば 夢と冒険などと書いてあるのは月刊ダイバーのコンセプトだったからだ。
レクリエーショナルダイビングでは、参加するダイバーの自己責任が原則で、ダイビングを組み立てることができるが、業務の潜水では、事業者の責任が大きくなる。港湾土木名の作業潜水のほとんどは、送気式の潜水で行われる。送気式の潜水はホースで、空気を送っており、ホースに沿わせて束ねた電話線によって、常時通話が保たれている。この繋がりによって、船上の監督と潜水士が責任を共有することができているが、スクーバでは、この連携がない。このことが、スクーバの使用が必然となっているリサーチダイビングなどで、大きな危険要因になっている。スクーバでは、プロでもバディシステムが絶対であり、またプロであるからこそ役割分担などを定めやすくバディが組めるのであるが、人件費の節約、もしくは技術過信によって、バディが行われない例が多々あり、それがために、前記の事故が起こった。
100m潜水で手作りしたフルフェイスマスク
1964年に行った、27歳の時、東亜潜水機で行った館山沖での100m(実際は90mまでしか行かれなかった)大深度実験潜水では、水中と船上との明瞭な会話が実験成功の条件となった。空気を呼吸して潜水した90mの深さで、一緒に潜水した舘石昭さんは、こん睡状態に陥り、すぐに気が付いたがとにかく意識が途切れた。僕は、自分の通話ケーブルと潜降索が絡み合って、自力では外せないで、舘石さんに助けてもらった。しかし、水面との通話話明瞭で、これは大成功だった。今、空気を呼吸して70mより深く潜ろうとする者はいないから、現在生きているダイバーで空気で90m潜った経験があるのは、世界でも僕一人だろう。今となっては自慢もできないが。この潜水は、現在使われている工事用潜水機の主流であるデマンドバルブ付きの全面マスクの嚆矢だtt。
そして、フルフェイスマスクによる有線通話器による会話は、僕の得意技となり、1986年から始まったニュース・ステーションの水中レポートシリーズは、娘の潮美を世に出すとともに、水中撮影のテレビシリーズとしては、もっとも人気を集め、10年以上続いた長寿番組となった。今ではもう、記憶に残っている人は少ないかもしれないが。
ニュース・ステーション 水中レポート
この番組では有線通話器のケーブルを引いて、世界の海をで縦横に潜水した。行かれないところは、ほとんどなかったのだ。2ノットの強い潮に流されてもケーブルが助けてくれた。50mで昏睡状態になってもケーブルが引き上げてくれる。殆ど無敵のような気分になった。
当初は、テレビの信号ケーブルと束ねて、浮子を着けたごついものだったが、終わりのころには、中性浮力のプラスティックケーブルで、黄色で細く、引っかかりにくく真っ直ぐ伸びて行き、4人のダイバーが掴まっても引き上げられる強度をもつものになった。
これは、テレビ番組だけではなく、一般の潜水、特に家業であるリサーチダイビングにも使えると思い、ケーブルダイビングシステムと名付けて売り出そうとしていた。それをテスト的に使うようにと、事故が起こった北海道にも持たせてやった。
中性浮力ケーブル
通話機部分
そして、若い脇水輝之が一人で潜る状況になった。このケーブルを使ってさえいれば、「呼吸音がいつでもスピーカーから流れているし、「助けて」と一言言えばケーブルを手繰って事故は起こらなかった。ご丁寧に海保への許可申請には、この有線通話器を一人で潜る時には使いますと書いておいたのだ。
社長として、はらわたが煮えくり返る思いだった。現場全員、縛り首にしたかった。縛り首にはしなかったが、自分が狂ってしまった。有り金を全部はたき、親しい有力な友人全部からお金をだしてもらい、株式会社テ・ルを資本金2900万円で立ち上げた。テ・ルは、亡くなった輝之のなまえにもちなんでいる。このケーブルを運用するあらゆる事態を想定した、運用マニュアルも作って、およそ10年間奮闘した。いくつか成功した場面もあった。船橋三番瀬沖で24時間定点観測潜水をやった時、強い流れがかけて、ケーブルを使っていた僕たちのチームは流されず、使わなかった風呂田先生のチームは流された。当時は、VIPのダイビングも受けていたが、それはこのシステムあればこそだった。
体験ダイビング
沈船に入るところ
マニュアルの図
チュークでは沈船の中にもこのケーブルで安全に入り込めた。
しかし、ダメだった。
どうしても一人はボートの上で監視員に残さなければならない。こんなことは当たり前の事なのだが、いざやるとなるとスクーバダイバーにとっては大きな負担なのだ。事故を起こしたスガ・マリンメカニックでさえも、このシステムを使わないことが多くなったとき、僕はあきらめた。これはスクーバではないのだ。スクーバダイバーというものは、命を失っても、ケーブルでつながれることは嫌なのだ。自由に動きたい。その代償が、たとえ命であったとしても、フリーで居たいのだ。
事故を起こして死んでも自由で居たい。ならば勝手にしろ、すなわち自己責任なのだ。しかし、自己責任ではない体験ダイビングや、講習、そしてサイエンスダイバーのソロには役立つと水中科学協会を作ってから、たびたび、人に勧めもしたし使ってもらいもした。しかしそれでも、スクーバダイバーは自由がほしいのだ。
まだまだ、それでもあきらめてはいない。80歳で80m潜る時にはこのケーブルを使ってフルフェイスマスクで通話しながら潜ろう。27歳の時の90m潜水の再現である。
僕が有線通話にこだわる理由、そして、スクーバはケーブルでつながれていない以上、初心者であろうと、ベテランであろうと同じように自己責任なのだ。中田さんがなんと言おうと、関係ない。すべての束縛から自由になれば、頼るのは自分だけなのだ。プロの送気式潜水は、業務だから責任を分担し合える。プロのリサーチダイビングは、ケーブルダイビングシステムを使わない限り、業務であろうと、ハード的に自己責任だ。バディシステムはもちろん、それ以外にも、潜降索、ガイドライン、様々な手法を凝らして、舟との間接的でも良いから連携を取って潜ろうとするのが僕のフィロソフィーで、僕が生き伸びている理由でもある。
左、石橋君、右須賀 まだえんりょして抜かないでついてくる。
中尾研究室の新人、石橋君が来てくれた。PADIのアドバンスを持っているということ、そして、早稲田のダイビングクラブ、学連に入っている水中クラブではない、後、ブルーラグーンというクラブ、あんこう というクラブもある。耳が悪いので明確に聞かなかったが、彼はバドミントンのクラブにも入っていて、それはキャプテンだったので、ダイビングサークルの方は、おざなりで、別にPADIのダイビングショップにも通っていて、そこで、アドバンスも、そしてドルフィンスイムにも行ったということだった。スキンダイビングも、僕の基準である、水深5mで25m水平というのも楽々できるし、フリスビーもはじめてにしては、敏捷に動ける。次のお台場にもきてもらい、そして、プライマリーコースに来てもらう。いますでに、PADIのアドバンスというのも使えるなと思うほどである。
僕自身は、1時間フルに、普通に泳いで、ダッシュも3本入れたし、プールでは風邪の影響はほとんどなかったし、今日も普通にしていられるし、20年前のと、風邪に対する抵抗力は衰えていない。
さて、
自己責任について述べてきているが、講習を省略して行う体験ダイビング、あるいは、講習修了直後にヒヨコのようなC-カード取得者、C-カード取り立てから10本程度の間の事故が多いと言われているが、その間のダイzビングでは、確実な安全管理のもとで行わなければならない。
前回書いた若い社員の安全停止中の事故の原因が何であったかはわからなかった。病院に送られて来てからの症状をみても、レントゲン検査の結果からも、空気塞栓ではないことがはっきりしている。減圧症に関係した事故でないことも確かであった。
死因はなんだったのだろう。親しくさせていただいていた東京医科歯科大学の真野教授に意見書を書いていただいた。遺族の意向もあり解剖もおこなわなかったから、正確な判断はできないが、肺圧外傷によるエンボリヅムも、減圧症も、内耳損傷も兆候も症状もなく、空気も十分に残っていて、海面も平穏で流れもなく、2年の経験があるプロのダイバーが、パニックになる可能性も無く、ウエイトを外して浮かび上がり船底にひっかかっていたことから、何らかの身体的な不調で浮上しようとして、船底に拘束されてしまった。としか判断できない。ということだった。
僕のチームはサーカスと異名をもらっていた。サーカスで跳んでいる時の事故ならば納得ができる。しかし、減圧停止の時である。僕の想像だが、ハードな動きの後の休息中に負債を請求するかのように体の不調が襲ってくることがある。何かが体の中で起こった。そして、とにかく意識を失った時、脇水は一人だった。
経営者として適切ではなかったと思うが、みんな僕のチームだと思っていた。チームの勝敗の責任は、選手とそして監督にある。監督としての責任を果たさなければならない。
まず、社員、保険給付規定では三分の二だったが、およそ6000万の全額を受け取っていただき、ご両親の心のケアに専心した。何度も繰り返しお目にかかり、もしも、ご両親との人間関係を損なうようなことになる、例えば法廷での対決などがあるのならば、スガ・マリンメカニックは解散する。撮影の会社は別になっていたから、そちらの業務だけにするとお話しした。ご両親とも素晴らしい人で、良く理解してくださり、次の年の新入社員の歓迎会には、紅白の水引のあるお祝い金をいただいた。その後も、親しい付き合いが続いている。
今回も、月刊ダイバーに掲載した記事のことをご紹介したところ、丁重なお礼状をいただいた。
脇水輝之も生きていれば今は40代半ば 夢と冒険などと書いてあるのは月刊ダイバーのコンセプトだったからだ。
レクリエーショナルダイビングでは、参加するダイバーの自己責任が原則で、ダイビングを組み立てることができるが、業務の潜水では、事業者の責任が大きくなる。港湾土木名の作業潜水のほとんどは、送気式の潜水で行われる。送気式の潜水はホースで、空気を送っており、ホースに沿わせて束ねた電話線によって、常時通話が保たれている。この繋がりによって、船上の監督と潜水士が責任を共有することができているが、スクーバでは、この連携がない。このことが、スクーバの使用が必然となっているリサーチダイビングなどで、大きな危険要因になっている。スクーバでは、プロでもバディシステムが絶対であり、またプロであるからこそ役割分担などを定めやすくバディが組めるのであるが、人件費の節約、もしくは技術過信によって、バディが行われない例が多々あり、それがために、前記の事故が起こった。
100m潜水で手作りしたフルフェイスマスク
1964年に行った、27歳の時、東亜潜水機で行った館山沖での100m(実際は90mまでしか行かれなかった)大深度実験潜水では、水中と船上との明瞭な会話が実験成功の条件となった。空気を呼吸して潜水した90mの深さで、一緒に潜水した舘石昭さんは、こん睡状態に陥り、すぐに気が付いたがとにかく意識が途切れた。僕は、自分の通話ケーブルと潜降索が絡み合って、自力では外せないで、舘石さんに助けてもらった。しかし、水面との通話話明瞭で、これは大成功だった。今、空気を呼吸して70mより深く潜ろうとする者はいないから、現在生きているダイバーで空気で90m潜った経験があるのは、世界でも僕一人だろう。今となっては自慢もできないが。この潜水は、現在使われている工事用潜水機の主流であるデマンドバルブ付きの全面マスクの嚆矢だtt。
そして、フルフェイスマスクによる有線通話器による会話は、僕の得意技となり、1986年から始まったニュース・ステーションの水中レポートシリーズは、娘の潮美を世に出すとともに、水中撮影のテレビシリーズとしては、もっとも人気を集め、10年以上続いた長寿番組となった。今ではもう、記憶に残っている人は少ないかもしれないが。
ニュース・ステーション 水中レポート
この番組では有線通話器のケーブルを引いて、世界の海をで縦横に潜水した。行かれないところは、ほとんどなかったのだ。2ノットの強い潮に流されてもケーブルが助けてくれた。50mで昏睡状態になってもケーブルが引き上げてくれる。殆ど無敵のような気分になった。
当初は、テレビの信号ケーブルと束ねて、浮子を着けたごついものだったが、終わりのころには、中性浮力のプラスティックケーブルで、黄色で細く、引っかかりにくく真っ直ぐ伸びて行き、4人のダイバーが掴まっても引き上げられる強度をもつものになった。
これは、テレビ番組だけではなく、一般の潜水、特に家業であるリサーチダイビングにも使えると思い、ケーブルダイビングシステムと名付けて売り出そうとしていた。それをテスト的に使うようにと、事故が起こった北海道にも持たせてやった。
中性浮力ケーブル
通話機部分
そして、若い脇水輝之が一人で潜る状況になった。このケーブルを使ってさえいれば、「呼吸音がいつでもスピーカーから流れているし、「助けて」と一言言えばケーブルを手繰って事故は起こらなかった。ご丁寧に海保への許可申請には、この有線通話器を一人で潜る時には使いますと書いておいたのだ。
社長として、はらわたが煮えくり返る思いだった。現場全員、縛り首にしたかった。縛り首にはしなかったが、自分が狂ってしまった。有り金を全部はたき、親しい有力な友人全部からお金をだしてもらい、株式会社テ・ルを資本金2900万円で立ち上げた。テ・ルは、亡くなった輝之のなまえにもちなんでいる。このケーブルを運用するあらゆる事態を想定した、運用マニュアルも作って、およそ10年間奮闘した。いくつか成功した場面もあった。船橋三番瀬沖で24時間定点観測潜水をやった時、強い流れがかけて、ケーブルを使っていた僕たちのチームは流されず、使わなかった風呂田先生のチームは流された。当時は、VIPのダイビングも受けていたが、それはこのシステムあればこそだった。
体験ダイビング
沈船に入るところ
マニュアルの図
チュークでは沈船の中にもこのケーブルで安全に入り込めた。
しかし、ダメだった。
どうしても一人はボートの上で監視員に残さなければならない。こんなことは当たり前の事なのだが、いざやるとなるとスクーバダイバーにとっては大きな負担なのだ。事故を起こしたスガ・マリンメカニックでさえも、このシステムを使わないことが多くなったとき、僕はあきらめた。これはスクーバではないのだ。スクーバダイバーというものは、命を失っても、ケーブルでつながれることは嫌なのだ。自由に動きたい。その代償が、たとえ命であったとしても、フリーで居たいのだ。
事故を起こして死んでも自由で居たい。ならば勝手にしろ、すなわち自己責任なのだ。しかし、自己責任ではない体験ダイビングや、講習、そしてサイエンスダイバーのソロには役立つと水中科学協会を作ってから、たびたび、人に勧めもしたし使ってもらいもした。しかしそれでも、スクーバダイバーは自由がほしいのだ。
まだまだ、それでもあきらめてはいない。80歳で80m潜る時にはこのケーブルを使ってフルフェイスマスクで通話しながら潜ろう。27歳の時の90m潜水の再現である。
僕が有線通話にこだわる理由、そして、スクーバはケーブルでつながれていない以上、初心者であろうと、ベテランであろうと同じように自己責任なのだ。中田さんがなんと言おうと、関係ない。すべての束縛から自由になれば、頼るのは自分だけなのだ。プロの送気式潜水は、業務だから責任を分担し合える。プロのリサーチダイビングは、ケーブルダイビングシステムを使わない限り、業務であろうと、ハード的に自己責任だ。バディシステムはもちろん、それ以外にも、潜降索、ガイドライン、様々な手法を凝らして、舟との間接的でも良いから連携を取って潜ろうとするのが僕のフィロソフィーで、僕が生き伸びている理由でもある。