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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0310 自己責任

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  こんなことばかり書いていると、気がめいるけれど、書きかけたものだから、今の僕の気持ちとして、結末をつけておきたい。
 自己責任について、引き続いて書く。
 中田さんの「商品スポーツ事故の法的責任」では自己責任を完全に否定している。商品としてのダイビングであれば、責任逃れのために自己責任を主張するビジネスマンもいるだろう。その問題については、訴訟によって争う他ないと思う。「安全対策が不十分だったことで消費者に損害が生じた場合、その責任を「自己責任」という文言を利用して、消費者に転化することは許されない。」消費者対、サービス提供者という関係だけであるならば、それで良いと思う。
 僕の立ち位置は、少し違う。もちろんプロは、受け取る対価で生活しなければならないから、一般的な表現をすれば、消費者対サービス提供者であろう。しかし、僕はその消費者対サービス提供者という人間関係が、事故を起こす一つの、それも最重要な要因になっているとおもっている。

 ダイビングで最重要な活動規則として、バディシステムが上げられるが、バディシステムは、一般社会でいうところの消費者対サービス提供者の関係では成立しない。ここでいうサービス提供者、インストラクターやガイドダイバーも不死の人ではない。もしかしたら、消費者よりもフィジカルでは弱い人かもしれない。最近では女性インストラクター、ガイドダイバーが多い。僕の周辺にいる女性ダイバーは、フィジカル的にはアマゾネスである人が多いが、インストラクターやガイドダイバーのすべての女性がアマゾネスとは限らない。女性インストラクターが、経験による知力と判断力を提供し、強い男性ダイバーがお客であり、助け合ったダイビングを達成するのがバディシステムである。最近では、年齢としても、高齢のガイドダイバー、インストラクターが次第に多くなっている。中田さんの本では、30代と40代、50代のフィジカル能力を血圧によって比較しているが、血圧の高いガイドダイバーも、枚挙の暇もない。彼らが全部現役を退いたら、経験豊富なガイドの多くを失うことになる。ガイドの能力として、フィジカルを求めるか、メンタルをもとめるか、言うまでも無く両方だが、どちらに軸足を置くかとなれば、メンタルであろう。
 そして、バディシステムというものは、心の繋がりであり、相互理解と協力が無ければ成立しない。どうしても、気質的にバディが成立しない消費者が居た場合、どうするかと言えば、天に祈るしかない。消費者とサービス提供者の人間関係において、消費者の権利を振り回すお客であれば、これも、耐え忍ぶしかない。
 これらの人間関係の基調になっているものが自己責任である。自己責任を責任逃れのために持ち出すガイドダイバーもインストラクターもいるだろうが、そんな人の多くは淘汰されるであろうから、まず、大丈夫と思ってよいだろう。
 そして、自己責任は、ガイドダイバーとかインストラクターのための方便ではなくて、個々のダイバー、ここで言えば消費者のための理念なのだ。こちら側、ガイドダイバーの側で考えれば、一応の手段を尽くした上で、どこかに消えてしまった、事故を起こしたとすれば、、賠償責任保険を適用して、自分は生き続ける他ないが、死んでしまったとすれば、その命は戻らない。自分の命は自分のものだから、自分の責任で守る他、守りようがないのであり、これは、死んでしまってからの商品スポーツ事故の法的責任とは別の次元のことなのだ。
 商品スポーツだから、すべての責任を負ってくれる、自分は何も考えなくても良い、他力本願がレクリエーショナルダイビング事故の原因として大きな部分を占めている。良く、スポーツは心技体と言われるが、特にダイビングは心、メンタルな部分が優先するスポーツと言える。
 そのメンタルな部分が自己責任である。スクーバダイビングのスクーバという言葉は、自己責任を指している。セルフ・コンテインド、自分ですべての責任を持つて行動することだと、ダイビングを始める第一歩で教えられるはずである。
 業務として潜水を行う、労働者と事業者の関係は自己責任ではない。責任の大部分は潜水を指令する事業者の側にある。労働者は自己責任でその指令を拒否することができるが、拒否をしなかった責任をダイバー自身が負うことはない。自分の意志で、自分の責任で、危ない潜水をしたとしても、それを黙認した事業者の責任になる。幸いにして、作業潜水の多くは送気ホースで空気を送り、電話が通じている送気式潜水機であり、最近では、ホースによる送気と背中に背負うタンク二系統の呼吸気元を持っているから、スクーバよりもはるかに安全度がたかく、水面の指令の責任で潜水することができる。
 一方、スクーバは、自分の意志によって水中で活動する。しかしプロの潜水、業務潜水では自己責任は許されないのだ。もちろん、ダイバーの自由意志も尊重されない。僕は、スクーバを使って業務潜水を行う調査潜水の会社を経営していた。ハイリスクである。ハイリスクハイリターンであればよいが、ローリターンである。
 そして、事故を起こした。最近まで、3月号まで、自分の若いころからの夢と冒険を追った潜水生活を書きつづった「ニッポン潜水グラフィティを28回にわたって連載していた。その最終回にこの事故のことを書いた。ブログでも、何度もこの事故については書いた。僕にとっての潜水生活最大のポイントであり、一生を通して背負って行かなければならない事柄であった。

 あらすじを言えば、自分の責任がある会社スガ・マリンメカニックが北海道で調査をおこない。一番若い社員脇水輝之君が一人で潜った。その一人で潜ってスケジュールは彼自身が立てたものであるが、現場の監督はそれを承認している。僕は現場にはいなかった。そして、浮上して来て水面に顔をだし、再び安全停止のために水深3mまで潜りアンカーロープにつかまっていた状態で命を落とした。その原因はわからないが、事故の時に一人であったことは間違いない。その潜水をさせて事は、最高責任者である僕の責任である。
 それより以前から、有線通話器を使って水中でしゃべる、レポートするテレビ番組を娘の須賀潮美をレポーターとして、行っていた。その有線通話器のケーブルは中世浮力で水中で真っ直ぐに伸びる。絡むことも少ない。長さは100mだが、その100mの半径範囲で、水中でおこるほとんどの事物を撮影できていた。
 このシステムをリサーチダイビングでも使おうと、ケーブルダイビングシステムとなずけて、それを、事故をおこした調査現場にも持たせて行かせていた。
 このシステムを使ってさえいれば、命を落とす事故は発生しなかった。

 続く

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